第34話・作戦会議は団らん(?)の中で

 「ありがとうございましたぁ……」

 「……え、っと…未来理ちゃん?あまり気を落とさないで…ね?」


 悔し涙でも流しそうな表情で部室を出て行く中等部の後輩を、いっそ自分がついていってやろうかみたいな空気を背負いつつ、吾音は見送っていた。


 「姉貴、んじゃちょっと送ってくっから」

 「…うん。おねがい」

 「要らんことをするんじゃないぞ」


 要らんことって何なんだよ、とぼやきながら、先に出た未来理を追って次郎も出ていく。

 今日も今日とて未来理は三郎太をヘコますために知恵を絞り、持ち込んできたのがUNOだったのだが、今日に限って三郎太の手札の引きが奇跡的によく、とうとう最後まで未来理は三郎太を負かすことが出来なかったのだ。

 それでしょんぼりされたのでは三郎太も悪いことをしたという気になるのだが、とかくダイス運に恵まれないことの多い三郎太にして、コレである。今日は未来理は何をやっても勝てない巡り合わせだった、とでも思う他あるまい。


 「…UNOの神さまももーちょっと空気読んでくれりゃあいいのにね」

 「たった今でっち上げた神に縋ったところで御利益などなかろう。それより次郎が戻ってくるまでに話のすりあわせをしておいた方がいいのではないか?」

 「そーね。といってこっちは連絡待ちだから、まだ話すようなことも無いけど。三郎太の方は?」

 「クラス内での神納の騒がれ方に異変が起きてる」

 「へえ、それは興味深いわね。なんて?」

 「高等部の女癖が悪い先輩に目をつけられたらしい」

 「……それってまさか」

 「次郎のことだな」

 「…あのアホはもー、日頃の行いがアレ過ぎるわねー…」


 未来理が帰ったあとの、まだ飲み物のグラスも片付けられていないテーブルの上に突っ伏す吾音。三郎太では中坊を怯えさせる、自分ではなめられる、という判断から未来理の送り迎えを次郎にさせていたのだが、こうなると自分たちのうち誰がその任にあたっていても結果に大して違いはないのかもしれない。

 徒労感が身を浸していく吾音と、それを生温かく見下ろしている三郎太。

 初夏の涼風が部屋を抜けていく様を心地よく楽しむには格好の雰囲気なのだろう。

 吾音はいい思いつきもなく、たまたま手に触れたグラスをつついたり回したりしていて、次郎が帰ってくるまではなにも起こるまいと目した三郎太も、ゲームブックを取り出してめいめいに時間潰しに勤しんでいた。


 「…ねー、三の字。思うんだけどさー」


 だがそれも長くは続かず、じっとしているということの出来ない吾音は程なく姿勢を変えて三郎太に声をかける。


 「なんだ」


 チラと視線だけ向けると、吾音はテーブルにアゴを乗せた格好で正面を見据えて何やら難しげな顔をしていた。

 これは面倒を言い出す兆候だな、と気づかれないようため息を小さくついて、三郎太はゲームブックを閉じる。どうもゲームオーバーに至る流れを回避出来そうにない状況だったので、むしろ好都合だった。


 「未来理ちゃんのことさ、これ以上構ってもいいのかな、って思うんだけど」

 「………」


 こいつはまた強気が二本足で歩いてるような姉にしては珍しく、迷いのあることを言うものだ。

 興味深くはあるが決して好ましいもの見るのではない目つきで、三郎太はぐだぐだになっている姉を見下ろす。


 「……理由とか訊かない?」


 すると、希に見る…両親祖父母以外には次郎にすら見せない、迷いのある眼差しがこちらを見上げていた。

 それが腹立たしいかといえば…きっと次郎であれば何故かむかっ腹でも立てて姉をおちょくるようなことを言うだろうが、三郎太が姉とも妹とも捉える家族に対して抱く心情は実のところ、次郎とはいくらか色合いを異にする。

 だから、いくらかは胡乱なものを見たようにではあっただろうけれど、吾音にそうと知れる程でもなく、なるべく気遣わしげに言った。


 「訊いて姉さんの気が晴れるならそうすればいいさ。但し俺のやることは変わらんがな」

 「それって、未来理ちゃんのことが何かいー感じになるまでは関わってやろー、って意味?」


 言わずもがな。

 目線を切って肩をすくめ、態度だけでそう示す。


 「そか。じゃあわたしもー……うん、ちょっと気の迷いがあったってことで、引き続きよろしくね、三郎太」

 「別に姉さんによろしくされるようなことなどあるまい。神納のことなら俺も気になるしな」

 「ふーん。三の字にしては……まあいいや。次郎戻ってくるまでにまだ時間あるし、善後策くらいは相談しとく?」

 「まあ姉さんに何か考えがあるのならな」

 「無いこともないけど」

 「ほう」


 新しい情報をまだ仕入れていない、みたいなことを言っていた割にはそこそこ確信のありそうな吾音の口振りに、三郎太は興味が沸いて本をテーブルの上に置く。


 「…珍しーわね、三の字が身を乗り出すとか」

 「なに、姉さんの手練手管の冴えを間近で見届けられことに興味があるだけだ。俺も次郎も楽しませてくれるのだろう?」

 「あんたたちのためじゃなくて、未来理ちゃんのためだけどね。ま、そんな難しいことを考えてるわけじゃないし。要はさ、未来理ちゃんの生活範囲内であの子を気にかけてくれる存在がいればいいだけのことだし」

 「…難しくないか?」


 それは、つまるところ、同じクラスなり学校の環境で、未来理の後ろ盾となる級友なりを探し当て、自分たちがその更に後ろ盾となればいい…という話なのだろうが。


 「神納がクラスで孤立しているのは次郎の見立てで分かりきっているんだろう。親しい仲の者がいるのならそれこそこんな場所に出入りする必要など…」

 「そーじゃなくってさ、未来理ちゃんのことが気にかかってるけど、自分にも矛先が向くのが怖くてそれを態度に出せない子もいるんじゃないかな、って」

 「……いるのか?」

 「三郎太、あんたね」


 と、吾音は体を起こして呆れ気味に、だが辛抱強く噛んで含めるように弟の疑心を解きにかかる。


 「もーちょっと人間の心ってやつを信用してもいいと思うわよ。それで、もーちょっと人間の心の暗いトコにも気付いた方がいい」

 「それは全然正反対じゃないのか」

 「次郎はそーいうとこひねてるから理解早いんだけどね。あんたは良くも悪くもひとに対して素直過ぎるのよ」

 「む……」


 口ごもる三郎太。


 「やっぱり人間って自分が大事だもの。未来理ちゃんの状況に心を痛めていても、自分が同じ目に遭うのはイヤだって思ってる子はきっといる。でもわたしはそれを悪いことだなんて思わないし、責めるつもりだってない。無関心じゃなくって、クラスの中でひとりぼっちにさせられてる子を気にしてるってことに変わりはないもの。だからわたしたちは、そんな子の背中を守ってあげる。ううん、守るなんて大げさなことじゃなくて、あなたは間違ってないから、その本心を表に出すことを応援する、って教えてあげるだけでも…きっと勇気を出してくれると思う」

 「……」

 「だからね、三郎太。これは未来理ちゃんだけを助ける、あの子の逃げ場をここに作ればそれでいい、って話なんかじゃない。わたしたちの後輩が、自分の中の優しさを見つけてそれを外に向けて、そーすれば未来理ちゃんのことだけじゃなくいろんなことが良い方向に向かうと思うんだ。どう?」

 「……どう、と言われてもな…悪いことじゃないとは勿論思うが、姉さんもいつから…むう」

 「いつからって?わたしは別に考え変えたつもりなんかないケド」

 「いや、そのだな」


 三郎太の戸惑いの源泉は、この学監管理部を立ち上げた時に姉が声高く宣った言葉による。

 曰く、「他の誰がどーなろうと知ったこっちゃない、この学校でわたしたちがのし上がっていくそのためだけに、わたしたちは在る!」……と言っていたのだから。その吾音がたまたま迷い込んだ後輩本人だけでなく、その級友のことまで気にするというのは、宗旨替えでもしたのかと心配にもなるというものではないのか。


 「あー、そゆことね」


 だが、三郎太が首を捻りながら奉った言上に、吾音は得心が行ったとばかりに肩をすくめる。


 「あんときはわたしも修行が足りなかったからねー。いろいろあってさ、『わたしたち』の範囲が広がっていったワケよ。それだけ」

 「それだけ、とはな。一体何処まで行くつもりなのだ、姉さんは」

 「生きてる限りどこまでも、よ。別に全人類まとめて愛しましょう、なんてお花畑な御託並べるつもりなんかないけどさ、卒業するくらいまでにはこの学校程度まとめて『わたしたち』にするくらいのことは……何に笑ってんのよ」


 興が乗ったのか、立ち上がって拳を握りしめている吾音を、三郎太は心底愉快そうに見ていた。


 「いやなに、会長にあてられたようなことを言うものだな、と思ってな」

 「ふんっ、伊緒里と比べられるだなんて不本意もいーとこだわ。わたしをあのふわふわ娘と一緒にすんじゃないわよ」

 「会長を『ふわふわ』などと評するのは姉さんくらいのものだろうな…いや、最近の次郎との馴れっぷりを見れば分からん話でもないか」

 「そーゆーこと。ま、それで伊緒里も少しは可愛げが出てきてるし、いーんじゃない?」

 「本人が聞いたらどんな顔をするもんかな」


 それには、苦虫をグロスで噛み潰したよーな顔になるんじゃない?という吾音の予想に対し、照れ隠しに次郎をボコる方じゃないのか、と吾音を納得させることを言い放つ三郎太なのだった。




 「たでーま…ん、どしたん?二人とも」


 そして伊緒里と次郎をネタにひとしきり盛り上がった頃、未来理を送り届けてきた次郎が戻ってくる。

 ニヤニヤ、という態の顔で出迎えられた次郎は、身構えつつ二人のいたテーブル席に腰を下ろすと、まだ何か言いたげな二人を気持ち悪そうに「なんだよ」と睨んだものだ。


 「別になにもー?あ、そういえば次郎あんたさ、最近伊緒里とはどうなの?」

 「そういえば、じゃねーよ姉貴!そうか二人して気色悪い顔してたのはそーいうことかよっ!別になんでもねーよつーか自分らこそどうなんだよ…ったく」


 吾音にそんな相手がいたらそれはそれで顔色を失いそうな次郎の雑な煽りに、三郎太はあらぬ想像でもしたのか狼狽えを見せ、吾音はケロッと「わたしに言い寄るよーな度胸のある男がこの学校にいるのかしらねー」などと、知らぬが何とやら、なことを言う。


 「…ああいや、そんなことはどうでもいいよ。で、今日も俺らが入ったらまーた妙な空気になってたけどさ。二人して何話してたん。ちっとは前向きな方針でも固まったか?」

 「余計な茶々いれる弟がいないお陰でね。三の字、端末出して」

 「うむ」


 三郎太が準備している間、吾音は次郎がいない間にした話を聞かせる。後から考えると恥ずかしいものでもあったか、三郎太を相手にぶった大演説は都合良く省略し(その間肩を震わせていた三郎太を次郎が怪訝な顔で見ていた)、未来理の級友に味方を見つける、という方針だけを説明するに留める。


 「話としては分かったけどさ、それどーすんの」

 「そこであんたたちの調べてた裏サイトまがいが役に立つのよ。三の字」

 「用意出来たぞ」


 三郎太がテーブルの真ん中に置いたのは、いつも情報収集に使っているノートPCだ。VPNへの接続も済まし、中等部の生徒が使うサイトが相手であってもご丁寧にプロキシを二重に通してある。


 「本気で探られたら気休めにしかならんがな」

 「よく分かんないけどあんたがいいと思うんならいいわよ。で、ね?未来理ちゃんについてあーだこーだ書き込んでいる子のハンドルがこっち。で、掲示板に書き込みしてる子全部のリストがこっち」

 「…それで?」

 「要するにさ、この…未来理ちゃんに関するスレッドには書き込みしてなくて、このサイトを常用してる子が、未来理ちゃんに直接悪いちょっかいかけたりしない子なんじゃないかな、ってこと」


 画面に向かって左に陣取る三郎太。間に吾音を挟んで右側から画面をのぞき込んでいた次郎は、「それで?」と先を促す。


 「…次郎にしては察しが悪いわね。伊緒里と付き合って色ボケしてんじゃない?」

 「付き合ってねーよ!……まだ」


 痛いところを突かれたか、飛び退いて抗議の声を上げる次郎だったが、僅かに顔を赤くしてポーカーフェイスが破綻しているのでは迫力もない。


 「その辺は後で追求するから、ほらこっち戻って」

 「永遠に追求なんざしないで欲しいとこだけどなあ…んで?」

 「こっちの方なんだけど」


 と、もう抽出が済んでいたと思われるリストを見せられる。


 「ハンドルだから誰が誰だか分かんないのよ」

 「そりゃそーだろうな」

 「他人事みたいに言うな。お前の仕事だろうが」

 「俺の?何が?……って、おい。まさかこのハンドルネームだけでこれが誰かを探せっていうんじゃねーだろーな?」

 「まさか、じゃなくて当たり前でしょ。クラスに顔出してるのあんただけなんだから」

 「何のために神納の送り迎えをしてると思っているのだ。こういう時のためだろうが」

 「いや……そりゃそうだろうけどさあ……」


 ノートPCの前から離れ、パイプ椅子に腰掛ける。

 確かに教室で見聞きした生徒の言動や書き込みの内容から両者を結びつけるのは、能く人をみる次郎にとってはお手の物だった。

 だが口調はどうにも歯切れが悪く、その態度は吾音の不興を買うところなのだったが、流石にそこは十六年連れ添った姉弟だったから、次郎のごねる原因が分かって、からかうように言う。


 「あ、そーか。中学生のこと観察してるみたいに思われるのが体裁悪いんでしょ。しかも女子生徒とかだと。ばっかねー、そんなことわたしたちは気にしたりしないわよ」

 「いや姉貴がよくてもさあ……その」

 「伊緒里にバレたらどーなるかって?んー、あの子そんなに嫉妬深かったっけ?」

 「姉貴と俺に対してじゃ態度最近全然違うんだよぉ!…てか別に嫉妬とかじゃねー……と、思う」


 聞こえないような声でごにょごにょと口ごもる次郎を、その姉と弟は顔を見合わせて「処置ねーなあ」と肩をすくめる。

 まったく、恋にわずらう少年というガラでもないだろうに、と。


 「まあそんな心配はしなくていいわよ。別に伊緒里にチクったりしないから。大体、最初にあの子とあんたをくっつけようとしたのわたしなんだし」

 「そうだな。姉さんはそんな野暮はしない。完璧にくっついた後ひっかき回すだけだ」

 「……ちょいと三郎太さん。あなたわたしをどーゆー目で見てるんですか」

 「姉さんがやらないなら俺がやるが?」

 「じょーだんでしょ。そんな面白い真似三郎太にだって譲らないわよ!」

 「おまえらなーっ!」


 そこまで弄られては家族愛という概念も薄っぺらく思えてしまう。

 最終的には吾音の提案通り、各人動くこととはなったものの……その結論に至るまでの間、どれほどのプライドやら羞恥心やらが、次郎から削られたことだろうか。

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