第12話・つわものどもが、何とやら

 「…ということがあったのさ」

 「あったのさ、じゃねーよ…なんで俺も連れてってくれなかったんだよぅ…」


 経研であったことを一部始終説明し終えると次郎は案の定、残念というか恨めしく姉と弟にぼやいてみせた。


 「なんでも何も、行く前の話じゃあ次郎だって納得してたじゃない。それに、ンな話になるだなんて予想も出来ないでしょ。まあこのわたしの予想の斜め上を行った、という意味では、その時だけ佐方のおっさんはわたしに勝ったと言ってもいいかもね」


 ぼーぜんとしてる佐方のもとを吾音の高笑いと共に去った後は、二人ともまっすぐ部室に戻ってきた。

 その時まだ次郎と何ごとか話し込んでいた伊緒里については、何か気まずい空気を醸し出しているのをニヤニヤと見守るに止めて見送ったのだが、さて次郎にしてみればその後の針のむしろを想像もしてなかった、という意味では迂闊に過ぎるというものだろう。


 「…それにぃ、次郎だっていい目見てたんでしょ?いやー、姉としては弟がオトコになる場面見れて満足だわー」

 「そうだな。まさか会長女史と乳繰り合ってるとは、次郎も大物になったものだ。弟として尊敬するぞ」

 「やめんかアホ姉弟!…そんなんじゃねーよ、ちょっと気になったことで話し合ってただけだ」


 茶化されて面白くないのか、監理部室中央のテーブルに肘をついてプイとそっぽを向く。

 それが照れ隠しではない証拠に、次郎にしては珍しく真面目な顔のまま考え事をしているようだった。


 「…いーわよ。そっちであったことは、伊緒里が絡んでるってんなら任せておく。次郎、わたしに話せるようになったらちゃんと話すこと。いい?」


 だから吾音も、その部分においては伊緒里に対する信用も含めて、次郎に丸投げするような態度になる。

 こういう物言いは、吾音のことをよく知らない者から見れば無責任極まり無い、とも言えようが、実際のところ、吾音が首を突っ込みたいとウズウズしてることを、身内ならいざ知らず普段いがみ合っているハズの人物に投げてしまう、というのは余程のコトと言えるのだ。


 …つまるところ、伊緒里に対しては、それなりの信頼と信用を寄せてはいる、ということになる。


 「へいへい。まー姉貴が出張るような事態にゃならんことを祈っておくよ。んで、そっちの方はどうだったんさ」


 そしてそれが分かっている次郎としては、そうまで言われて返す言葉もない。不承不承、は隠しようも無いが、一先ず吾音たちの側で起こった事態の整理にかかる。


 「どーもこーもねー、わたしの勝ちが決まったらあとはぼーぜんとしてただけだし。一体何がしたかったのか、結局何も分からなかったからね」

 「何しに行ったんだか、まったく」


 次郎の慨嘆は当然のことだが、実際被害状況が分かるにつれて佐方の顔がだんだんと青くなっていくのを見て、流石にやりすぎたか?と思ったのも事実だった。

 だからアイサツもそこそこに、逃げるように退去してきた吾音と三郎太がその後の二課研…というか経研全体がどんな騒ぎになっているのかなど想像する他ないし、表面的な動きの奥で何が起きていたのか、これもまた推測の域を出ない。


 「…案外、単に遊び相手が欲しいだけだったのかもな、あの男」


 三郎太はそう言って話を簡単に納めてしまいたそうではあるが。

 まあ吾音の護衛を持って任じる三郎太としては当然の態度だろう。


 「んなわけないでしょ」


 けれど吾音は、当然の如くそんな楽観的観測を否定する。


 「そもそもの発端は、次郎が見たっていう伊緒里のオトコとの繋がりがクサいって話なんだから、あのおっさんが何か良からぬことを企んでいるなんてーのは決まりきってんのよ。関わりになりたくないってのが本音だけどね、まー無視は出来ねーってとこよ」


 そう言う割には吾音は騒ぎの起こる予感にワクワクを隠せない、といった具合の邪悪な笑みを浮かべ、対照的に次郎は少なからずウンザリしたような顔つきになり、そして三郎太は淡々と、手にしたミネラルウォーターのボトルを傾けている。


 「今回は挨拶代わりに一戦やらかしたからしばらくは直接ちょっかい出してきたりはしないでしょーね。その分陰にこもって陰険なやり口になるかもだけど。だから次郎?」

 「…んだよ」


 きっとろくでもない指示を出されるのだろうな、と身構える次郎に、吾音は思いっきり人の悪い笑顔を浮かべて続ける。


 「あんたはなるべく、伊緒里から目を離さないこと。何だかんだ言ってあのコが今回のポイントになりそーな気はするからね」


 そして次郎が目をしばたたかせているのを、イタズラが成功した子供のような表情で見つめる。


 「…姉貴、それ嫌がらせ?」


 それは次郎の精一杯の抵抗にも見えた反駁にも動ずることはなくて、軽く身を乗り出していた次郎の額にデコピンを一発見舞うのだった。


 「愛しの伊緒里ちゃんと一緒にいる口実が出来て、嬉しいんじゃない?ってことよ。やさしーお姉さまに感謝しなさいよね」


 別にそんなんじゃねー、と抗議しようとして、止めた。実際去年の秋頃言い寄っていたのは事実でもあったことだし。


 「へっ、そうと分かって俺を付けておこうとか姉貴も悪党じゃねーの」


 だから少しばかり話を逸らして、この逆らいようのない関係に抵抗して見せたのだが。


 「…そうね、杞憂に終わればいいんだけど」


 戻ってきた反応は至極マジメな態度で、思わず面食らう次郎なのだった。


 「何だかんだ言ってもサ、わたしたちの周りであやしー動きしてたのは事実なわけよ、あのおっさんが。それに伊緒里も絡んで来るってんなら、気をつけておくに越したことないでしょ?あのクソ真面目には荷が重すぎるっての」


 そうかなあ、姉貴とはちっと違う方向性だけど、会長も会長で結構なタマだと思うぜ?…という感想は飲み込んでおく。

 結局の所、姉の吾音が伊緒里のことを悪しからず思っているのは悪い気分では無かったからだ。

 まあそれを指摘したところで、


 「んなっ、なわけないでしょ?!誰があんな堅物メガネのことなんか!バーカバーカ!!」


 …とでもいった感じの、ツンデレ乙な姿が見られるだけだろうが。


   ~~~~~


 その頃、吾音に「あのおっさん」呼ばわりされていた佐方同徳は、というと。


 「…ノートPCが二十三台、プロジェクターが二台、というのが大きかったですが、館内の内壁や扉の損傷が酷く、正確な見積は後で提出させますがまあ八桁には辛うじて届かない、というところでしょう。で、どうします?高等部に抗議しますか?」

 「………出来るわけないだろうが」


 …吾音と三郎太によってもたらされた被害の総額を聞いて、流石に青くなっていたのだった。


 「ま、それが賢明でしょうね。何せ、『これは訓練である』と全館放送しておいて、その結果に対してやり過ぎだ、などと言えるものではありませんしね。それも高等部の生徒二人、しかも片方は小柄な女の子に。そんなことをした日には、いい笑いものというものでしょう」


 字面だけ見れば皮肉たっぷりに揶揄しているように思えるが、口振りといえば実に淡々と、煽るでもなく嘲るでもなく、事務的に思うところを述べているだけに見える。

 そしてそれは佐方の頭に昇った血を下げるのに十分な効果を果たし、吾音と三郎太の去った時そのままな部屋の中央に立ち尽くしていた佐方は、楽しげな笑みさえ浮かべて上司の仁藤亜利にとう ありに、水を向ける。


 「どうかね?あの少女は」

 「鵜ノ澤吾音のことですか。まあ、変人同盟などという変テコな団体の首魁を名乗るだけのことはあると思いますが」


 佐方が振り向いて尋ねた先にいた女性は、佐方より年下でありながら二課研の課長の肩書きを持つ。

 もともとこの学園の出身ではなく、首都圏の国立大学を優秀な成績で卒業し、何を思ったか地方都市の怪しげな学校法人になぞ就職する辺り、佐方から見ても何を考えているのかよく分からないが、年若くして課の長を任される辺り、無能というわけでもあるまい。

 あるいは体でも使って上層部をたらし込みでもしたか、という品の無い想像を察したか、仁藤は年相応の感情の揺らぎをそのまま露わにして佐方を睨む。


 「…あなたが執着するような存在とも思えませんがね。ロリコン趣味はお好きにどうぞ、と言いたいところですがせめて学外で楽しんでくださいな。…犯罪にならない範疇で」


 ふん。無能ではないが野心を愉しむということを解せぬ小娘め。あれならあの『燃える赤』の方がよっぽど語るに足るわ。

 佐方は、こちらは年相応の処世術とばかりに内心の侮蔑を表にせず、ただ恐縮したように身を縮こませるのみだった。


 「……で、これからどうするのです?」

 「どうする?何を変える必要がある。今のままでいい。あの少女の資質を目の当たりにして、益々その想いは強くなった。あれなら、我が…我らが本懐を遂げるに相応しいと言えるだろう?」

 「…そういった男性のロマンとやらは、本当に理解し難い。ま、課の利に反しないのであれば、お好きにどうぞ」

 「そうさせてもらおう。仁藤課長の満足いく結果を、必ずご覧じてみせよう」


 自信たっぷりに頷く佐方だった。

 そして仁藤の方は、そんな佐方の壮言にも動じることなく、


 「…とりあえず直近では、今回の損害を早急に回収してもらいたいものですね」

 佐方の顔を苦り切ったものに戻す効果しかない感慨を述べるに留まった。


   ~~~~~


 「たっだいまー!」

 「帰ったぜー」

 「…ただいま」


 三者三様の帰宅の声に、鵜ノ澤家大人は子供たちの上機嫌なことを知って俄に和む。


 「なんじゃい、うちの長女はえらくご機嫌じゃの」

 「じーちゃん、お土産は?」

 「吾音、おかえりなさいの一言ぐらい先に述べるべきでないの?」

 「ばーちゃん、言っても無駄だって。この十年くらいずっとばーちゃん達が帰ってくる度に同じやりとりしてんじゃん」

 「…といって俺達が帰宅するのを毎度玄関で待っていてくれるのだからな。その点に感謝を忘れるべきではないだろう」

 「かてぇ。三太夫、おめえはかてぇよ。悠々自適の爺さん婆さんは旅行だが、俺らはガッコーで勉学に励んできてんだ。土産の一つ二つねだったってバチは当たりゃしねえって」

 「どこの誰が勉学に励んでいるのか確かめたいところだがな。それと三太夫ではない。三郎太だ」

 「はいはい、あんたらも玄関でじゃれ合ってないでさっさと上がる。あ、じーちゃん。ちょっと経研の人事で訊きたいことあんだけど」

 「そういう話は酒の肴にでもするのが丁度ええわい。しかし、相変わらず厄介ごとに首をつっこんどるようだの」

 「しゃーないじゃん。厄介ごとの方からこっちに来るんだもん。あと好きなことしてる代償だと思っておくわ」

 「くっくっく…いい心がけだ」


 悪党の笑みそのもの、といった祖父・鵜ノ澤東悟とうごは、ひとしきり笑うと「おら、三バカ。メシでも食らいにいけ」と肩をすくめる三人を置いて、先に広間に入っていった。


 祖父、東悟。祖母、勝乃かつの。それに父の榮二えいじに母の志緒しおを含めて、鵜ノ澤家は七人家族となる。

 その背景は学監管理部の在りようにも関わりはあるが、ひとまず今は、団欒の営みに心地よく身を委ねておける、三人だった。

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