第8話・彼女の意外な顔について

 「ちょっといいかしら」

 「あん?うちの大将なら出入のさいちゅ………げぇっ?!」


 留守を任された次郎が何をしていたかといえば、三郎太の想像したようなダーツではなく一人花札という意味不明なものだったが、不意の来訪者の正体ときたら、手にした札を取り落として床に花を咲かすに十分なのだった。


 「何よ、『げぇっ?!』って。私は関羽じゃないわよ」

 「いや俺も司馬仲達じゃねーし。ていうか、どしたん?会長がこの部屋に来るなんて珍しい…というか初めてじゃねーの?」


 言いながら次郎は足下の花札を片足で片付けつつ、上ずった声で来意を問う。幸いダーツには飽きてさっき片付けたところだったから、黒板はきれいなものだ。

 だが伊緒里はそれ以外の惨状は見逃さず、顔をしかめると「酷い有様ね」と吐き捨てるように言う。

 返す言葉も無い次郎には目もくれず、さながらマルサの査察のごとき闊歩で部室に入り込む。

 あるはずのない給湯室を見て顔をしかめ、そして一番目立つパーティションの向こう側をのぞき込むと、次郎を睨んだ。


 「…どうせ好き勝手しているだろうと思っていたけど、ここまでとは思わなかったわ」

 「あー、まー…その、わりぃ」


 自覚はあったし相手も悪いので、抵抗もせず降参。


 「悪いと思っているならあなたが止めて欲しいんだけれど。どうせあの子じゃ私の言うことなんか聞きやしないんだし」


 事と次第によっちゃあ、そうとも限らんけどな…と思いつつも、どうせ信じやしないだろ、と肩をすくめる。

 しかしそれならどういうつもりでここに来たんだか。


 「…えー、取りあえず……茶でも飲む?」


 睨まれっぱなしというのも、自分たちの城でされているのは据わりが悪い。話の接ぎ穂のつもりでそんなことを行ってみた。

 どうせこれも「結構よ」とでも言われて終わりだろ、と思うとえらく虚しい気もするのだったが、戻ってきた答えは意外にも、


 「そうね。何かある?」


 という素直なもので、拍子抜けした次郎をいくらか気遣わしげに見つめる視線までおまけについてきてしまっていた。


 「どうかした?」

 「…いんや、別に。冷たい緑茶しかねーけど。いいか?」

 「のどが渇いていたのよ。丁度いいわ」


 まさか饗応する羽目になるとは思わなかったので、紙コップのストックがあるか確認するところから始めなければならなかった。




 「ありがとう」


 その紙コップが無かったため、念入りに洗った何ヶ月も使っていない来客用のグラスで出されたペットボトルのお茶を、伊緒里は礼を述べて素直に受け取り、一息で半分ほど空けていた。のどが渇いていた、というのは偽りでもないらしかった。


 「…んで、何か用事があったんじゃねーの?」


 自分の分を用意するのを忘れ、そのために手持ち無沙汰になっていた次郎は背もたれを前にしたパイプ椅子をギシリと鳴らし、話を聞き出す構えになる。

 遊びにくるような間柄でもないし、何よりも昨日見た光景は気になる。

 それを自分から問い糾すわけにもいかないが、それと無関係に訪れた、とも思えないのだった。


 「…用事、ね。まあ、用事と言えば用事か。あの子…吾音は出かけてるの?」

 「姉貴なら…あー、さっき言った通りに出入の最中」

 ぴく、と伊緒里の形のいい眉が跳ね上がる。次郎の言葉の中に、いくらか物騒なニュアンスでも嗅ぎ取ったのだろうか。

 「それであなたはこんなところで何をしてるの?」

 「…言っとくがなー、姉貴の指示だぞ?腹芸が必要な場面がありそうだから、すぐ顔に出やすい俺は留守番してろ、だとよ。荒事なら三郎太がいるし問題ないだろ」

 「役立たずを自慢するのは止した方がいいんじゃない?」

 「ご挨拶だな、おい。こう見えても対人の情報収集ならお手の物なんだぞ」

 「女子限定でね」


 …あと陰に潜んでどっかの迂闊な女の子の様子を探るとかな、と言ってやろうかとも思ったが、控えた。


 「で、何しに来たんだっての。俺に対する文句なら製造者か管理責任者にでも言ってくれよ」


 代わりにやさぐれた風に顔を背ける。拗ねたところを見せれば優しく構ってくれる伊緒里の性格に甘えた形になっているのだが、次郎は気づいていない。


 「そんなんじゃないわ。ちょっと、時間を持て余してね。相手してもらおうと来てみただけ」

 「…鬼の霍乱?」

 「なんですってぇ?!」


 文字通り鬼の形相で食ってかかる伊緒里を、次郎はなんとなく眩しそうに見る。そんな相手の様相に調子でも狂ったか、伊緒里は立ち上がりかけた腰を下ろしてため息をついた。


 「…まあそい言われても仕方ないかもね。何せ『氷鉄』なんてありがたい通り名を頂戴してるくらいだものね」

 「別に俺が名付けたわけじゃねーだろ」

 「そうね。あなたに文句言う筋合いじゃないけど…」


 そこで伊緒里は黙り、沈黙が長くなりそうとみた次郎が口を開きかけると、今度は冷静そのもの、という調子で話し始める。


 「ちょっと聞きたいんだけど。吾音って『リーグの燃える赤』ってあだ名つけられてたわよね」

 「あー、別にそう呼ばれて怒ったりはしてねえけどな。むしろ喜んでる」

 「そう。変な子ね。それと、ココの通り名…というか妙な二つ名ついてたわね。『変人同盟』とか」

 「変人、は返上したいけどな。まあ『リーグ』とか言われるのは悪くはねーけど。ナントカ倶楽部、みたいのよりはよっぽどマシっつーか」

 「変な趣味してるのね。それで、もし知ってたら教えて欲しいんだけど。あなたたちにそんな妙な通り名付けたのが誰か、って知ってる?」


 こいつはまた妙なことを言い出した、と次郎は伊緒里の顔を見つめる。


 「あなたに関しては私が付けたから分かってる。というか、吾音の赤に並べただけだから、我ながら工夫も無いんだけれど」

 「…言われてみりゃ確かにこの学校、そんな変な風習があるよな。中二病とかいうんだっけ?ちょっと目立つヤツにはいつの間にか変なあだ名ついて、いつの間にか定着してる。けどさー、あだ名なんて普通そんなもんじゃね?」

 「それはそうかもしれないけど、でも普通を言うなら、そういうものって友達同士の間でしか通用しないものじゃないの。どうしてクラスどころか全校規模…ううん、高等部だけじゃなくて下は中等部に上は経研にまで知られてるのかしら」

 「そりゃおめー………」


 気の利いた回答の一つでも披露してやっか、とアタマを働かせて次郎は、困窮した。

 なるほど確かに伊緒里の言うとおり、発生源はともかく流布する理由も経路も分からない。いや、経路というのならこのバカバカしいくらい広い学園には、地表と同じくらいにバカバカしく広大なネットワークの海もあるのだ。

 悪意にせよ無邪気にせよ、人口に膾炙する手段には事欠かない。

 だが、手段はあってもそう簡単に広まるものではない。

 人の噂話、がいかに娯楽になるとしても、こんなあだ名が誰の耳目にも入るようになるような理由など、そうそうあるはずもないのだ。


 そこまで考えて次郎は、伊緒里がこちらに向けている視線と自分のそれを交える。


 「…どっかの誰かが、意図的に流行らせてる?」

 「流行らせる、って言い方はちょっと呑気に過ぎると思うんだけれど…でも何処かの誰かの意図が絡んでいる、っていうのはあながちズレた見方じゃない、って思う」


 こいつぁなんとも人の悪い発想だ、と伊緒里を少し見直す次郎だった。

 真面目で遊びも知らない堅物かと思ったら存外悪党の素養でもあるのだろうか。だったら多少見方を変えた方がいいかもしれない、と口の端に健康的とは言えない笑みが浮かぶのを自覚せずにいられなかった。

 ふと、昨日見た光景のことを思い出した。あるいはいまそのことを知らせてやったらどんな顔をするだろうか。

 仲のいい友人に悪戯でもするぐらいのつもりで話しかけようとした、その時だった。


 「…鳴ってるわよ」


 自分の考察に思いを馳せでもしていた様子の伊緒里の方が、先に気付いた。


 「……何だよ面白くなってきた時だってのに…って、姉貴か」


 自分のスマホを制服の内ポケットから取り出して通話ボタンを押す。

 頃合いからして話自体は終わったころだろうが、そんなことをいちいち報告してくるような性格はしてないハズなんだがなあ、と思いながら電話に出る。


 「はいはいこちら本部。ただいま凶悪な敵の襲来中につきゆっくり話してる暇は…ってなんだよえらい後ろが騒がしいじゃん………なに?姉貴、もっかい言ってくれ、今何してるって…?」


 凶悪な敵、のくだりで気色ばんだ伊緒里を適当に無視しながら、どうにかこうにか聞き取れた吾音からの返事は、


 「……は?銃撃戦……?」


 思わず身動きの止まった伊緒里と見つめ合うくらいには、常軌を逸している内容、らしかった。

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