筋書きどおりに婚約破棄したのですが。
一花カナウ・ただふみ
【1】婚約はなかったことに(想定どおりですけども)
こうなる未来を知っていたけれど、私はとても悲しい気分だった。エルヴィーラ・ダヴィッドとして生きてきた十八年間の中で、一番悲しかったかもしれない。
覚悟をしていたし、私には荷が重すぎるとさえ感じていたけれど、慕っていた相手に誤解されて別れを告げられるのは想像以上につらいことだ。
私は涙をぐっとこらえて、先ほどまで婚約者だったヨハネス王子を見上げた。
「弁解はいたしませんわ。書状で済ませることなく、こうして面と向かって仰っていただけてよかったと思います。さようなら、ヨハネス様。どうかお元気で」
非はないはずだが、ここで身を引くのが美しい。どう考えてみても私には、第二王子ヨハネスの妻の座は重すぎる。
侯爵家の次女として生まれ、身分としてはそう悪くないだろう。見目もよいと評判ではあるが、もっと美しい女性はいくらでもいる。
別れを告げてきたヨハネス王子は穏やかでとてもお優しく、王位を継ぐことはないかもしれなくても、きっとこの国を支えるに相応しい人物として生きていくことだろう。そんな彼のそばにいるには、ただ綺麗なだけの私では役に立たない。彼がこれから選ぶことになるだろう女性に託すのが一番なのだ。
さようなら、ヨハネス様。楽しい時間をありがとうございました。
心の中で礼を告げて、私は踵を返し颯爽とその場を去る。
夏至の訪れを祝う王宮内のパーティーで別れを告げられた私は、自分が覚えている物語のとおりにエルヴィーラを演じる。これでいいのだと自分に何度も言い聞かせて。
涙を目の端に浮かべながら、脇目も振らずに歩いていけば、やがて一人の少女とぶつかった。勢いよく身体が当たり、彼女は弾むように転んでしまう。
ああ、この娘だ。
床に尻餅をついている少女を一瞥して、私は確信した。
やっぱりここは私が前世で愛読していた物語の世界なのだと。
足下で転がっているこの少女こそ、のちに第二王子ヨハネスと結ばれる主人公だ。
「ごめんなさい。私、急いでおりますので」
うっかり彼女が起き上がるのを手伝ってしまったら、物語が変わってしまう。彼女を助けるのはヨハネス王子の役目なのだ。
どうか、ヨハネス様と幸せになってね。――さあ、急ぎましょう。
長居は無用だ。王宮を出て屋敷に戻り、事の次第を両親に報告しなくてはいけない。そうしたら、今度は私は私の人生を歩む準備をしなくては。これで物語の枷から解き放たれる。自由に生きる権利を得たのだ。
この国で十八歳といったら、嫁き遅れって言われる年齢。両親には申し訳ないけれど結婚は諦めてもらうとして。
ここから事業を立ち上げるか、地方に移住してスローライフか……物語の邪魔をしたくないから、しばらくは領地で隠居がよさそうよね。心を癒しつつ、計画を練りましょうか。
やってみたいことはたくさんある。実現ができそうなことを取捨選択して、この窮地を乗り越えよう――そう心に誓って、パーティー会場だった大広間の扉を抜ける。
その途端に強烈な衝撃を受けた。みぞおちの辺りだろうか。腹部が痛い。
「……え?」
何が起きたのか理解できないまま、視界がぼやけていく。
まさかここで殺されるの?
いやいやまさか。あの物語では、前婚約者エルヴィーラは最後まで存命であったし、主人公のよき相談相手として書簡を行き来させるのだ。こんなところで死ぬはずがない。
私は腹部を押さえたまま前傾姿勢になる。そこには太い腕が構えていて、私はもたれるようにそこに身体を預けた。
誰か……
助けを求めながら、私は気を失ってしまった。
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