第22話 とある歴史の裏舞台:勇者の挑戦

 彼女は、それを「一世一代の大芝居」と評する。

 遺された記録、伝説、神話。そうしたものを総括した上で、ではない。この世でただ一人、なおも生存している目撃者であるがゆえに。


 その真実を知れば、「なんでそんなことを」と言う者もいるだろう。あるいは、「あり得ない」「信じがたい」、場合によっては「おかしい」などと口さがなく言う者もいるかもしれない。


 けれども彼女は、当事者ではない連中のそんな感想など一蹴するだろう。

 お前たちには関係ないです、と。


 人が持つ気持ちは、正負に関係なくその当人のみが持ちうるものである。他人がどうこう言おうが、その人が苦しければそれ以上のものはないし、逆もまた然りだ。

 だからこそ、どんな些細なことであっても当人たちが些細だとは思わなかったからあの結果になっているのであって、であれば外野がどうこう言うものではない。


 それが普通ではない相手に恋をし、想いを募らせ、そして悠久の時を生き続けてきた彼女の感覚だった。


 だからこそ。


 繰り返すが、それが一世一代の大芝居だ、と彼女は思っている。それ以外の表現は当てはまらない、とも。


 言ってしまえば、相思相愛ながら決して結ばれぬ定めの男女がいた。だから心中を選んだ。そのために衆人環境で死闘を文字通り


 そういう話なのだから。



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 ヴシルいわく、神聖ロウ帝国はかつて隆盛を極めたコルトウィーン共和国を簒奪して興った国である。

 その賛否はさておき、帝国の領土は確かに共和国のそれから始まったし、首都もまた共和国のそれから始まっている。ならばその首都は、かつてアマテラスと呼ばれていた時代からの流れをくむ世界有数の古都であり、この世のほとんどを見聞きして来た生き証人とも言えるかもしれない。


 そんな帝都が、今。まさに崩壊しようとしている。

 上空に浮かぶ、世界でただ一つの浮遊島、ウル・ラ=ピュータ。その底部に設えられた大量破壊兵器が、唸りを上げて破壊の力を撃ち込もうとしているのだ。

 そのときは間もなくであり、秒とは言わずとも数分も経てば、この歴史ある空間は更地になるだろう。


 にも関わらず。

 破壊を頭上にしながらもなお、この場を去らないものたちがいた。


 世界の中心たる帝都の、さらに中心。古の教皇が築き上げたインペリアルパレス、その地下大聖堂にて。命をぶつけ合う二人の若者がいる。


 いや、そこは既に地下ではない。両者の放つ強大な魔術によって、地面――あるいは天井か――は吹き飛び露天となっている。彼らを照らすべき太陽は天空にはなく、代わりにあるのは破壊の権化ではあるが。


 そうであってもなお、二人の戦いは止まらない。


 方や黒髪の青年。たくましく鍛え上げられた肉体に刻まれた幾重もの傷は、エルフが持つ超常の治癒力を越えた重傷であることの証左であり、五体満足であることが不思議であるくらいだ、しかしその赤い瞳は小揺るぎもせず、溢れる闘志はそのままに、全身が躍動する。

 その手に握られているのは、破壊されたはずの神剣アマテラス。正しくは、新たに作られた二つ目のアマテラスだ。


 対するは、金髪の娘。エルフの女特有の矮躯でありながら、その膂力、破壊の技は男のそれを遥かに凌駕する。彼女がひとたび腕を振るえば、対峙する青年の身体は紙切れのように吹き飛び、盛大に血を流す。


 だが娘の身体も無事ではなく、満身創痍と言って差し支えない。青年によって与えられたあらゆる攻撃が、やはりエルフの治癒力を超えて彼女の身体を追い詰めている。

 にもかかわらず、その手から放たれる冷気は、いささかも衰えない。魔術を凍てつかせる暗黒の冷気は波動となって青年を、周辺を包み込んだまま離さない。さながら、愛しい人を抱きしめるかのように。


「アレルッ!」


 と。

 そこに、頭上から声が落ちて来た。


 戦い続ける両者はそれに応じない。しかし、確かに両者の意識はわずかにそちらに向いた。


 崩落した天井部分から、三人のエルフが顔をのぞかせていた。いずれも青年につき従い、神鳥ラーミアに乗ってやってきた当代無双の英傑たち。

 そんな彼らが、切羽詰まった様子で声を張り上げる。


「アレル、やったぜ! 浮遊島のデータ、無事に奪取したっ!」


 ひときわ長い金髪をなびかせる青年が。


「そうよ! だからもう、これ以上あなたが魔王を引きつける理由はないわ!」


 紅一点たる黒髪の女性が。


「ああ! だからアレル……撤退だ! ウル・ラ=ピュータが雷を落とす前に、ここからずらかるぞ!」


 ひときわ身体の大きい男が、それぞれ言う。


 しかし、ああそれでも。


「ぼくは――逃げないッ!」


 青年は声を張り上げる。叫ぶ、と同時に剣を振るう。


「ここでこいつを取り逃がしたら、もうぼくたちに後はない! 今が最初で最後のチャンスなんだ!」


 だから、と彼は続けなかった。

 それでも、その背中は何よりも雄弁に語っていた。逃げるわけにはいかないのだ、と。


 代わりに彼の口から出た言葉は。


「君たちこそ早くここを離れるんだッ! ぼくたちの未来、ぼくたちの子供たちのために、君たちは生きるべきなんだッ!」


 どこまでも自己犠牲を地で行くものだった。


 青年――アレルを見つめる三人は、それぞれの感傷を胸に涙ぐむ。

 彼らもわかっているのだ。娘――ゾーマを止めることができるのは、同じく宿命の子であるアレルだけだと。倒し得るのも、また。

 いかな勇者の最有力候補であった三人であっても、そこに入り込む余地はない。だからこそ三人のすべきことは、生き残って情報を持ち帰ること。


 そう、理解しているのだが。感情を抑えることはできない。エルフの魔術は、まだそこまでの域に達していない。

 それでも、彼らは勇者の最有力候補たち。表に出す気持ちは最低限に、自分たちにできることをなすため立ち上がる。


「すまねぇアレル! ここは任せたぜ!」

「絶対、迎えに来るから……!」

「ああ! だから……」


 ――勝てよ!


 三人の声が重なり、アレルの耳朶を打った。


 その声に応じるように、彼の持つアマテラスが太陽のごとき輝きを放つ。アマテラスが彼にもたらした力。かつてのアマテラスも、太陽王を名乗った持ち主にもたらしていた力。持ち手のみに与えられる知識で放たれる、勇者の魔術。


「出でよ――聖なるいかずちッ!!」


 巨大な穴となった地下大聖堂に、天をも穿つ巨大な雷光が降り注いでゾーマの身体を貫く。その数、規模は、かつての太陽王のそれとは比べ物にならない。まさに魔を滅する聖なるいかずちであった。

 その赫奕たる光と音を背にして三人の使い手は走り、空から舞い降りてきた白鴉――ラーミアの背に飛び乗った。


 ラーミアは神鳥だ。神に導かれた大いなる「空」より授かった、神に連なる純白の大鴉である。その知能はエルヴンオオカミをも超えて言葉を解し、魔術をも操る。

 だから、乗った三人ごとその姿がたちまち周囲の景色に溶け込んだとしても、何もおかしなことはない。あらゆる視線を、耳を、鼻を、さらには魔術をもかいくぐる隠蔽魔術は、ウル・ラ=ピュータの監視網すらをくぐり抜けて太平洋の彼方をまっすぐに目指す。


 そしてその直後。アレルの放った魔術に引き寄せられたかのように、ウル・ラ=ピュータから雷が放たれた。その威力は勇者のそれをも凌駕した圧倒的なものであり、まさに破壊そのものであった。

 音という音が暴れ狂い、その場の全てを洗い流す。あまりの暴威に空気もまた薙ぎ払われ、圧縮されて吹きすさび周辺を一掃する。それから逃れることができたのは、神の恩寵を受けるラーミアが運ぶ三人だけであった。


 やがて雷の余韻が消えたとき、そこに残っていたものは大地だけ。勇者はおろか、魔王の痕跡すら残ってはいなかった。


 そしてたっぷりと時間をかけてそれを見届けたウル・ラ=ピュータは、かすかな音とともに高度を上げていく。

 ほどなくしてウル・ラ=ピュータは、世界を見下ろす高みに君臨した。あまたの武装を身にまとい、世界のすべてを監視する天空の城。それはまさに新たなロウの象徴にして、新たな時代の始まりを告げるものであった。


 ――かくして、時計の針は進んだ。ロウは女神クロニカを戴いて空の果てに立ち、世界に歴史はただしく全史黒書の記述通りに直されるだろう。

 勇者の挑戦は無意味であったのか? ただ魔王を討ち果たしただけで、最後には戦略兵器に薙ぎ払われた。ロウは揺らぐことなく健在で……。


 だが――そう、否である。答えはどこまでも、疑う余地なく否である。


 勇者が一人魔王に挑まなければ、三人のケンオウは生還できなかった。彼らの生還がなければ、ヴシルはもう二度と空へは至れなかっただろう。もう二度と、髑髏島から出ることは叶わなかっただろう。

 勇者が宿命の下にその命を使い切ったからこそ、ヴシルは命脈を保ったのだ。そしてヴシルは、そのか細い命脈を絶やすことなく育み、数万年の時の果てに歴史の答えへとたどり着く。

 勇者の挑戦は、成功したのだ。無駄などでは、決してないのである。


 けれどもこのときはまだ、その答え合わせのときではない。歴史の答えはただ、はるか彼方の地平線だけで語られるのみで。


 ――ヴシルの帰還は、まだ遠い。



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 ――ああ、ぼくは死んだんだな。


 黄泉路に沈みながら、彼はどこか他人事のように思っていた。

 死後のことを事前に聞いていなければ、きっと少しは取り乱したのだろうけれども。誰もが懸念する命の終わりも、わかっていればこんなものなのだなと彼は思っていた。


 とはいえ既に彼の身体はどこにもなく、ただ意識だけが静かに……さながら深海に降り注ぐ雪のように、緩やかに沈んでいくだけ。そんな中でただ一人きりというのは、勇ましきものと呼ばれた彼であってもいささか心細いものがあった。


 ここには音がない。どのみち耳は既になく、何も拾えないが。

 ここには光がない。どのみち目は既になく、何も映せないが。

 ここには匂いがない。どのみち鼻は既になく、何もとらえられないが。

 ここには感触がない――いや。


 何かが己に触れている。いや、誰かが抱きしめている。それだけはわかった。


 ――君なのかい?


 意識だけで問うてみた。


 ――そうだ。


 同じく、意識だけの答えがあった。


 彼は安堵する。どうやら、予定通り二人で心中できたらしい。「空」からは死は一人で完結すると聞いていたので今の状況は不可思議ではあるが、ここに己がいて、彼女がいる。であるならば、何も恐れることなどなかった。

 それが彼女も同じであることは、すぐにわかった。文字通り、産まれてから死ぬまで、多くの時間を「空」の下で共に過ごしてきたのだ。お互いに以心伝心であった。


 身体の沈降は止まらない。一向に終わりが見えないその中で、二人は自然と語り始める。この世に生を受け、そして終えるまでの出来事を。

 長い長い話だ。同じ年、同じ日、同じ時間に産まれた二人の人間が、一生を終えるまでの話だ。短いはずがない。


 それでも時間の概念が希薄で、ただゆらゆらと沈むだけの二人にとって、それはあっという間だった。人生という意味でも、二人の生きた時間は主観でいえばまったくの刹那であった。


 けれども……いいや、だからこそ?


 ともあれ、ああ、こうして二人でゆっくり言葉を交わす機会は、今世ついぞ訪れなかった。死してようやくそれにありつけるなんて、あの世界はどれほど残酷だったのだろう。


 彼は、彼女は、ずっと二人でいたかった。初めて「空」の声に招かれ、失われた聖地で顔を合わせたあの日から。


 それでも、二人は戦わなければならなかった。殺し合わなければならなかった。そうあれかしと望まれ、宿命を背負わされていたから。

 そんな宿命はごめんだった。自分たちはただ、同じ時間を一緒に、穏やかに過ごしたかった。


 だから心中を選んだ。宿命に相応しい大舞台で、宿命に相応しい役割を演じての大往生だ。誰も疑問には思わないだろう。あとは野となれ山となれだ。


 ――思わないでいてほしいなあ。まあ、後世の歴史学者くらいなら、思ってくれてもいいかもしれない……。


 などと、明後日のほうへ思考がそれ始めた、そのときだった。


「”神殺し”に導かれしものよ……まだ死ぬときではありません」


 声が、聞こえた。音を感じられるはずがないのに、確かにそんな声が聞こえた。

 女性の声だった。威厳ある、というよりは慈愛に満ちた、優しい声。二人はどちらも聞いたことがなかったが、母の声とはこんなものかもしれないと、なんとなく思った。


「私の名前は天照大御神。そなたたちを導いた”神殺し”を導いたもの。その立場にあるものとして、責任を感じています」


 その名乗りとともに、二人は失ったはずの感覚が戻ってくるのを感じた。


「そなたたちに再び命を与えましょう。さあ、目をお開けなさい……」


 そして言われるがままに目を開けた、その瞬間。


「産まれましたよ! 女の子と男の子、元気な双子です!」


 そんな声と共に、自らの口が盛大に泣き声を上げたことを認識して――それを最後に、勇者、魔王としての二人の自我は、新しい人生に上書きされて消えた……。



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「……で? その二人、歴史上の大人物に転生とかしてないだろうな?」

「さあ? そこらへんはソラも聞いてないです。興味なかったので」

「興味の範囲が狭すぎる……! 親の顔が見たい……って俺だよ!」

「はい、お父ですよ?」

「ノリツッコミにマジレスしないでくれ! しっかし……歴史上、あるいは神話で名のある双子キャラって言うと……いやまさか? まさかな? 嘘だよな? 嘘だと言ってよバーニィ!」


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