星流夜〜流れ星への願いごと
蜜柑桜
第1話
「空をご覧ください。明日の夜、八時頃の天空の状態です。」
暗い室内、天井の円蓋だけが仄かに藍色に光り、無数の小さな点が散りばめられている。部屋の中央に整列した人々が頭を反らせるのを見て、私は操作卓に手をかけた。天井の隅に、一筋、二筋、細い光の筋が遮る。
「見えますか?大体八時頃から、空のどの部分にも、獅子座流星群が見られるようになります。さぁ、ここから明後日の朝まで進めてみましょう」
九時、十時、十一時……つまみを動かしていくのに合わせて藍色の面の上を次々に光の線が遮り、みるみるうちに室内が明るくなっていく。銀、金、橙、黄色、青…中心は白く輝きながらもその周りを囲む色は様々で、つまみを動かすごとに空間の色が微細に変わり、人々の小さな歓声が部屋中に充満する。そして東の空に朱の色が射し始め、強い光源が無数の筋と混じり合う。日の出だ。
「流星群は朝七時頃にピークを迎えます。獅子座流星群、学名をレオニード、発光数が非常に多く、天文学史にも大きく貢献した流星群の一つです。ただし活動期以外にその発光数は激減してしまうので、明日はこれを見る大きなチャンスです」
太陽が完全に登り、光の筋が無くなるところまでつまみを動かし切ると、私はゆっくりと室内の照明レバーを上げた。円蓋は幻想的な色彩を失い、味気ない無表情なスクリーンに変わる。白熱灯の光が視界を明るくする。
「是非、この貴重な機会を逃さずに。ご来場ありがとうございました。皆さんの願い事はなんですか。それが流れ星に届きますよう」
私の願い事は、流れ星なんて無くなってしまえ、だ。
今日の最終上映の客が全員ドームの外へ出るのを確認し、操作卓と投影機のチェック表に記入を終えて、私はロッカールームへ戻った。胸元を留める流れ星のブローチを外して紺地の制服を脱ぎ、ハンガーにかける。制服は宇宙をイメージしたデザインで、襟元とポケット、袖口には金銀の細い糸で点描のように星々が刺繍されている。同じ刺繍はロングスカートの裾にも施され、四季の夜空を描く。
勤め始めの頃はこの制服が大好きで、袖を通し、ブローチで胸元を留めるだけで心が弾んだのに。
今はこの流れ星を見ると握り潰したくなる。特に流星群が近くなると。
「星歌さん、今帰りですか?」
ロッカールームの入り口からした声に、私は反射的に制服をロッカーに押し込み扉を閉めた。後輩のスズちゃんが、受付嬢のターコイズブルーの帽子を取りながら入ってくる。
「うん。受付も全部終わったの?」
「はい。正門まで一緒に行きましょうよ」
「いいよ」
やたっと可愛い声を上げたスズちゃんは急いで着替え始める。流石に後輩にブローチを凝視しているところを見られたくはなかった。きっと般若のような顔をしていただろうから。後ろめたい思いを悟られないよう、私は壁のカレンダーをじっと見るふりをした。赤味がかった空一面に無数の星が螺旋状の軌跡を描く、獅子座流星群の天体写真。
なぜここにまで私の心をざわつかせる写真を載せるのだ。十一月なら紅葉の写真にすればいいのに。
「お待たせしましたー行きましょー」
スズちゃんと一緒に静まった館内を抜けて裏口から出る。ひやりとした風が頬を撫でた。もう虫も鳴いていない。冬の近づく晩秋だ。
私たちが勤めるプラネタリウムは小高い丘の中腹にある。周りは大小の起伏がいくつも連なり、言ってみれば沢山の丘が集合したような一帯だ。丘は大部分が草地で、その中に人道が蛇行している。木は僅かしかなく、少し高いところから眺めれば一面の緑の上に青い空がだだっ広く広がっているように見える。
そんな見晴らし抜群の場所なので、丘には天文台と気象台もやや標高の高いところに建っていた。これらとプラネタリウム「スペース・ドーム」は合わせて「スター・プラネット」という複合機関を成す。このプラネタリウムは技術の進んだこの時代になお、手動で投影機を操作し、ライブで説明をするというアナログな天体ショーを行っており、私はその解説員ということだ。
「星歌さん、明日の『獅子座』も解説係ですか?」
緩やかな下り坂を並んで歩きながら、スズちゃんが聞いた。
「ううん、明日の夜の『獅子座』はお休みで、明後日の朝一レポートの解説」
「じゃあ明後日は引き継ぎが大変ですね」
「大丈夫よ。貰った観測記録をちょこっとアレンジするだけだから。スズちゃんこそ明日はお客さん多いよ。覚悟しないと」
「う、夜までなんですー。寝たーい」
スペース・ドームでは、流星群や月食など宇宙で見応えのある「イベント」が起こる日に、夜間臨時開館や特別ショー・プログラムを行う。その日のイベントを来館客とライブ観測するか、イベントの翌日、天文台の撮影映像を見せながらレポートという体裁で解説するのだ。明日の獅子座流星群も人気のイベントの一つで、私を合わせ四人いる解説員は、夜間のライブ観測か翌日のレポートか、どちらかを担当している。
「でも楽しみですよね、獅子座。お客さん達がワクワクしてるのも伝わるし、天文台のレポートも心踊るし」
「んー……そーねぇ……」
無邪気に笑うスズちゃんの明るい声に、私は歯切れの悪い返事をするしかなかった。正門で、それじゃあ明日、と彼女と別れたら、作り笑いが一気に崩れて重い溜息が出る。
獅子座流星群なんて曇り空で覆われてしまえ。
星が瞬く澄み渡った空を恨めしく眺めながら、私は家の方へ歩き出した。
私の家はスター・プラネットの隣の丘の上に建っている。天文台より標高は低いが、スペース・ドームよりは高い、だたっ広い草原の中に建つ家。遮る建物も木もほぼないこの地に家を建てたのは、職場が近いのとはまた別の理由があった。
家に着くともう電気が点いている。玄関を開けたらダイニングの方から「お帰り」と間延びした声がした。ダイニングテーブルには星図が広げられ、細身の男が天球儀とノートとパソコンを並べて真剣に星図と見比べている。
この私の旦那、空人が、私の星嫌いの大元凶だった。
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