探しものはなんですか

須野 セツ

その1

 ごくりと息を呑んだ。


茶ぼけた椅子の下にある荷物入れ。閉店間際まで喧しく酒を片手に甲高く騒いでいた一人の客があの中に忘れ物をしていった。

ちらと見えた黒いケース、あれはカメラを入れる用のものだというのを見逃さなかった。

あれは確実に泥酔した客が所有しているものだ。

自分の中の悪い感情があの荷物入れに手を伸ばせ、と耳に囁いてくる。

今だったら妙に間のずれたあのアルバイトの店員もいない。あの客を支えながら店から一階に繋がっている階段を歩いているだろう。

他の客も残り数人ほど。みな、周りのことなど気にせずこの店で思い思いに楽しんでいるように見えた。

カメラのことに気付いているのなんて他に誰もいない。

もうすぐすると店内にも大きく書かれた閉店時間だから一斉に帰ってしまうだろう。

気付くのならきっとそのときだ。


「お客さん、そろそろお帰りですか」


 年季の入ったカウンターの内側でこちらを見ずに店主が言った。

紛れもなく自分に向けた言葉だった。


「ええ、この一本を頂いたら」


慌てて口に黒赤色の砂肝を入れる。

なんだか少し塩辛かった。


 しかし、と落とし物のカメラに対する良からぬ感情を思い直した。

そもそも自分にはカメラを入れられる大きなカバンを持ってきていない。さすがに剥きだしのまま持ち帰ろうとするのはリスクが大きいと分かりきっていた。


椅子を引き、照明の当たらない床周辺をよく見て忘れ物がないかを確認する。

すぐに階段に繋がるドアまで行くと、ちょうどアルバイトの店員が店に入ってくるところだった。


「あ、お会計ですね」


 適当に頷くとアルバイトの店員はこちらに身を乗り出して無邪気な顔つきになった。


「さっきのお客さん、店の前ですごい勢いで吐いちゃって、だから少し汚いので帰るときに気をつけてください」


 これから出会う吐瀉物よりも自分がまだカメラに気を取られていることに遅れて気がつく。

返事が曖昧になった。

だがカウンターの方を振り向かなかった。さりげなく帰ろうと心掛けた。


 店を出るとその話題に上がった彼の面影が鼻を擽ったが、気には留めず駅を目指して真っ直ぐと歩き続けた。


靴底が地面を叩く音が妙に大きく響いていた。

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