神なき街で夜明けを共に

烏多森 慎也

序章

 目の前にある光景を異様だと思わないのは、自分の感覚が壊れているからなのだろう。

 二神ふたかみ叢司そうじは自分で出した答えに不本意ながら納得して、担いでいた軽迫撃砲を床に降ろした。

 目の前に広がるのは、機械仕掛けの神殿だ。大型演算機メインフレームの柱が鋼鉄の床から天井まで伸び、LEDの松明が薄暗闇を仄かに照らす。周囲の機器からは絶えずファンの轟音が響いており、金属的な祝詞を奏でていた。

 その中央、全てのケーブルが繋がる祭壇には、円筒形の機械が備え付けられている。

 大企業の工場などにある大型深行炉リアクターと似ているが、サイズは一回り小さい。生体炉と呼ばれる、驚異的な物熱変換効率を誇る新型の炉だ。一般社会ではまずお目にかかれない代物だが、叢司はここへ潜入する前に、資料写真でその姿を目にしていた。

「ノアの代わりにこんなものを見つけるとは……あながち、ハズレとも言い難いか」

 叢司は呟きながら、慎重に歩を進める。

 生体炉の中央、ガラスで覆われた円筒形の装置は半透明の液体で満たされていた。まるで培養槽か、巨大な試験管だ。

 液体の中には、一つの人影が浮かんでいた。

 いや――それを人と呼んでもいいものか。

『それ』はもはや、人間としての最低限の形しか保っていなかった。

 頭と胴体は残っているが、手足はない。肩と腿から先は切除手術でも受けたのか、綺麗になくなっていた。かつて関節部があったであろう場所には金属製の機器がはめられ、そこから四方に伸びたコードが、芋虫のような『それ』を磔よろしく固定していた。

 頭部も無残なものだ。くすんだ銀髪は荒れ放題で、薬物の影響か眼球は白濁している。そのうえ口には轡がはめられ、喋ることもできないようにされていた。

「生きては……いるようだな」

 ほとんど骨と皮だけになった胸板は、それでも微かに上下している。わずかに膨らんだ胸元を見て、そこで初めて、叢司は『それ』が女性であることに気がついた。

(……ここまで来たら、男でも女でも変わらないけどな)

 十四番と書かれたプレートを見ながら、叢司は心の中で呟く。

 科学と神導ミドラの発達したこの時代、昔に比べて生命維持の技術は格段に進歩している。それでも劣悪な栄養状態と、絶え間なく続く神導の強制励起で、彼女の体は触れれば壊れそうなほどに衰弱していた。おそらく、このままではあと数ヶ月しか生きられないだろう。

 叢司は床を埋め尽くすケーブルを無造作に踏みつけながら、彼女へと近づいた。

 濁った瞳をガラス越しに覗き込む。だが少女が反応を見せる様子はなかった。有機コードの鎖に繋がれ、保護液の牢に閉じこめられた姫君は、何も語らずにただ朽ちる時を待っている。

 叢司はナイフを取り出し、自分の指を薄く切る。

 切り口から滲み出た血を、叢司は指全体に擦りつけていった。やがて指の腹が、鮮血で赤く染まる。その血に染まった部分を、叢司はそっと強化ガラスの表層に触れさせた。

「おい、聞こえるか? ここから助かりたいと願うか?」

問いかけるが、反応はない。

 血を媒介した神導で精神に直接呼びかけているので、水中であっても聞こえるはずだ。だが肝心の精神が死んでいた場合は、もうどうしようもない。

「助かりたいなら助けよう。死にたいなら殺そう。だから問う。お前はどうしたい?」

 やはり反応はない。

 意思を消去されているのか、それとも廃人になってしまっているのか。無駄だったか、と叢司が思った時、掌を介して微かに声が聞こえた気がした。

『……きたい』

 それは錯覚と言われればそれまでの、本当に小さな声。

 だが叢司は、少女の願いを確かに聞き届けた。

「いいだろう。少し苦しいかもしれないが、我慢しろ」

 優しげに微笑み、叢司は腰の得物に手を伸ばす。

 金属を断ち切る音と物々しい警報が、闇の中に響き渡った。

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