辺境の村〜エルフの森


 はため息をついて、手に持っていたちょっとだけ高そうなナイフを放り投げる。


「だからやめたほうがいいって言ったのに」


 その言葉遣いや仕草に、先程までの洗練さはない。

 シン、と静まり返っていた広場が、村人たちの困惑のつぶやきでざわつき始める。


「かわいそうに。まだ若い女だったんだぞ。よくもこんな無残に殺せるよな」


 磔にされたリーナの死体の頬を撫でると、神父の手についていたリーナの血液が付着する。

 それを見たは、血でまみれた手を無造作にで拭った。


 ここまできて、村人たちはようやく事態が飲み込めたようだった。


 すなわち、リーナは死んだ。


 そして、「リーナだったなにか」は、神父の体を乗っ取って、今ここにいるのだと。


 悪魔だ、と叫んだ村人は、いったい誰だったのだろうか。

 その言葉を皮切りに、広場にいた村人全員が逃げ出していく。ダンを除いて。


「早くどっかいけ。次はお前が魔物扱いされるぞ」


 腰を抜かしていたダンは、俺の言葉をポカンとした顔で聞いていた。


 おいおい、一応リーナを魔物扱いして殺した神父様のお言葉なんだから、もっと真面目に聞けよ。

 シッシッ、と手で払うような動作をすると、悲鳴をあげてダンは転びそうになりながらも走り去っていった。


 俺は小さくなっていくダンの背中を眺めるだけだ。


 非常に、やるせない。


 リーナが無残に死んだことも、ダンの初恋が最悪な形で終わったことも、村人全員に最低なトラウマを植え付けたことも、全部が全部、やるせない。





 「リーナだったなにか」というのは、当然俺のことである。


 俺の名前は、松岡緋色。

 こちら風に言えばヒイロ・マツオカだ。

 日本で学生をやっていたんだが、ひょんなことから異世界に来てしまったらしい。


 俺は平凡で、特筆すべき点がある人間ではなかった。


 しかし少々、非凡なイベントを経験したことがある。


 きっかけはまるで思い出せないが、ある日俺は、いわゆる「神」と遭遇することになる。


 「神」と会ったときのことは、正直ほとんど覚えていない。

 人知を超えた存在を認識したことで、俺の正気度が削られたのかもしれない。


 ただ覚えているのは、「神」と契約したことだ。

 いや、契約というには、俺と「神」の立場は対等ではなかった。

 「神」から俺への、一方的な押し付けである。


 「神」の一存で、俺は剣と魔法のファンタジー世界に転がり込む羽目になった。


 それも、最低最悪な「呪い」つきで。

 呪いは生き返った代償、と言えるのかもしれないが、俺にとっては忌まわしい呪いにすぎない。



 呪いによって俺は、生き物に殺されると、俺を殺したその生き物に成り代わってしまうようになった。



 この世界に降り立った俺は、まず森にいた。

 そして、目の前には飢えた熊。


 当然、なんの力もない日本に生きてきた非力な学生の俺は、速攻で殺された。


 異世界に降り立って1分のことである。


 3分クッキングだったとしても随分と尺が余る。


 今日はクマに襲われた学生の死体を作りましょう!

 はい、そして完成した死体がこちらですって感じ。


 熊の鋭い爪によって心臓を貫かれた俺は次の瞬間、熊になっていた。


 わけがわからない、と放心することもできなかった。

 なぜなら目の前には、臓物を撒き散らしている自分自身の死体が転がっていたからだ。


 気が狂うかと思った。いや、たぶん、狂った。


 熊になった俺は叫びながら——正確には吠えながら、がむしゃらに走りまくった。

 なにがなんだかわからなかったし、自分が死んだことも、自分が熊になったことも、到底受け入れられることではなかった。


 しばらく走り回っていると、どうやらそこはどこかの村の近くだったらしく。

 さらに村には、腕のいい狩人が住んでいたらしく。


 狩人の弓に射抜かれて、熊だった俺は殺された。


 そして次の瞬間には当たり前のように、俺は俺を殺した狩人になって熊の死体を眺めていたのである。


 相変わらずわけがわからなくて、発狂しながら走り回りたい気分だったが、そうするとまた誰かが俺を殺すかもしれない。

 そう思うと、多少は冷静になれた。


 誰かに殺されると、俺は俺を殺した誰かになってしまう。

 人間だろうが熊のような動物だろうが、関係ないらしい。


 それは俺がこの異世界に降り立ってから、一度たりとも変わらない法則なのだった。





 ひとりぼっちで死体の前に取り残された、神父になってしまった俺は、十字架から死体をはずすと丁寧に葬った。


 ちなみになんと、神父になるのは初めてじゃない。


 つまり、神父に殺されたことが過去にある。

 あのときは奇跡的に1年近く誰にも殺されなかったので、神父生活はそれなりに長かった。


 一応正式な葬式の上げ方も知っている。

 だが、リーナに対しては、あえて正式な葬り方をしなかった。


 この神を信仰する神父によって殺されたのだから、その神によって弔われたくないのではないか、と勝手に想像したからだ。

 間違ってたらごめん、リーナちゃん。


 そもそも殺されたのは俺であって、リーナちゃんじゃない。

 この宗教で弔ってやりたくないというのは完全に俺のエゴだ。


 女の子を、しかも自分の姪……姪だっけ?

 まあその辺の親族の女の子を殺すような神父に対してムカつきを覚える。

 まあ今俺がその神父なんだけど。


 リーナちゃんには1月ほど体を使わせてもらった恩があるし、できるだけのことはしてやりたいと思っていた。

 しかしできることというのが非常に少ないのだった。


 彼女について知っていることはほとんどない。

 ただ、きっと彼女はとても善良な少女だった。


 リーナちゃんは、1月前に村の外に出ていた。

 そこで、屠殺を経験した。食用に育てられた豚を、彼女は殺したのである。

 リーナちゃんにとっては本当に運のないことだったが、彼女が殺した食用に育てられた豚、というのが、たまたま俺だったのだ。

 なんで豚になっていたのか、という経緯は省く。人生いろいろだ。


 豚だった俺はリーナちゃんに殺された。そして、殺された俺はリーナちゃんになった。

 リーナちゃんになった俺は神父様に殺されて、俺は神父様になった。


 そして、今に至る。






 リーナちゃんを弔い終えると、俺は村から出た。


 悪魔だなんだと恐れられていたわけだし、あそこに留まってもいいことはないだろう。

 そもそも、逃げ出した村人たちがあの村に戻ってくるかどうかすらわからないしな。

 まあ多分他に行く場所なんてないだろうから、そのうち戻っては来るだろう。


 一人寂しくたそがれながら森を歩いていると、「止まれ!」という声がした。

 驚いて、足を止める。


「貴様、何者だ!?」


 それは木の上から聞こえてきた。

 上を向いて声のした方ををよく見ると、そこにいたのはエルフの少年であった。

 木の枝で屈みながら、弓を構えている。

 器用だな、俺には真似できない。


 様子を見るに、どうやらここから先はエルフの領地らしい。

 こんな近くにエルフが住んでいるなんて、初耳だ。


 エルフは警戒心の強い種族で、村の周りにはこうして警備員的なのを配置するのだ。


 わかるわかる。俺もエルフだった時期があるしね。

 おとなしそうな顔してるけど、案外簡単に人殺すんだよな、エルフも。


 彼は境界を守る番人で、しかし若く、その役目を負ったばかりのように思えた。

 成人したばかりという感じだ。初々しさを隠しきれていない。


 おーっと、つまりそれは、付け入る隙があるということじゃありませんか?

 あわよくばエルフの領地に入れないか、と俺は思った。


 エルフは比較的、温厚な種族なのだ。たぶん。少なくとも人間よりは。

 できるだけ死にたくないし、というか殺されたくないし。

 どうせ住むなら人間の村より、エルフの村のほうがいいなあ……。


 もちろん、強引にその方法を取るつもりはなかったのだが、せめて道を聞くくらいはしたかった。

 着の身着のまま村から出てきてしまったので、どっちに行けば隣村につくのかもわからないし、食料も全くない。


「お尋ねしたいことがありまして」


 神父らしい口調を心がけながら、エルフ少年に話しかけると、彼はむちゃくちゃに警戒を強めた。


「とにかく、そこで止まれ!」


 いやいや、さっきからずっと止まってるって。

 お、おい。尋常でない勢いで手が震えているみたいだけど大丈夫か、エルフ少年。


 おい、おい!? 大丈夫なんだよな!?

 エルフって弓の扱いはすっげえもんな!?

 まさか、そんな、ついうっかり打っちゃったりしないよなあ!?

 今まさに威嚇射撃でもしそうな感じだけど、その矢が問答無用に俺にぶち当たるなんてことは、ないんだよなあ!?


「と、とにかく落ち着いて……」

「喋るなー!」


 先走ったエルフの少年は、ついうっかり、弓を誤射してしまったらしい。


 エルフ少年が誤って撃った矢が神父の脳天にぶち当たり、神父は死んだ。

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