想いは死して時を超え
「私と准麗と蝶華は共にこの後宮で育ったんだよ――――走るな!私の寿命が縮む」
春。
紅鷹承后殿内、祥明殿中庭には待ちに待った春が訪れている。
「大丈夫ですぅ!昨日も、お饅頭を作って…あ」
「出産するまではそれは禁止だと言ったはずだが?そなた、あれほど腹を丸めるなと言っただろう」
「平気です~」
言うことを聞かない正妃に光蘭帝はため息をつき、明琳の手をしっかりと握って、蓮華の園に立っている。
『共に生きよう、明琳――』
飛翔の押し出した言葉から、三か月が過ぎようとしている。言葉を飲み込むように、明琳は顔色を取り戻し、怯えることも一切なくなった。
「では、わたしは退位しよう」と飛翔は更に決意を口にした。
もうずいぶん前から、揺れていたそうだ。「そなたと一緒にいたいから、皇帝をやめる」最後まで我儘な飛翔だったが、内情は違っていた。
民衆に、政治を取り返す動きがあることと、飛翔の無能は一緒にはならない。
「無能ではないだろうな。では、結論は出たのだな」
「俺は、この子と生きていく。おそらく、この不格好な饅頭を食った時点で、私はもう一人の人間として生きる決意があったのだろう」
星翅太子は頷くと、ゆっくりと振り返った。
「俺の莫迦仙人二人が済まなかった。――氷のほうは追放、焔のほうは幽閉だ。俺からの詫びを置いておくよ」
その言い方はまるで……。翠色の龍が空へ駆け上がる。二人が顔を見合わせたところで、星翅太子はきょとんとし、明琳はぷくんぷくんと動く腹を見下ろした。
「お腹が動くんですけど」
「ご懐妊です!」と星翅太子が医師を呼び、二つの胎動が確認された。
「双子か!」
――いいわよ。その種、わたしたちが引き取るから。
遠く、消えたはずの友達の声がする。「わたしは、おまえたちのためだけに生きたい。多分、俺は長くないんだ。仙人に逃げようとした罰だな」
飛翔の言葉に、明琳は「わたしのお饅頭、届けます」と小さく答え――。
*****
明琳の腹はそれとわかる程に、はっきりとした形に膨らみ始め、光蘭帝は侍医に婚姻前の不祥事と命の危険さについてたっぷりと絞られて、今に至る。
「見事な庭だな」
祥明殿はすべての弔いが開始され、大がかりな葬式が執り行われる。一か月の喪を服した後、人の住まわぬ宮殿となった。だが、何故かその地に一輪の芽が芽吹き、少しずつ、花々が呪われた宮殿を覆い始めたのが一か月前。
紅月殿にも、靑蘭殿にも、花々が溢れはじめたのは、また華仙の誰かの仕業かと、後宮では首を傾げるひとつの怪異だ。
「光蘭帝さま。そう言えばあのお話はどうなりました?」
「あ、ああ…やはり遷都する事に決めた。この土地では民衆が見えないから、しばし巡遊に出る。どこにするかは未定だが……取り敢えず、この後宮は無くなるだろうな」
そうですか…と明琳が俯いた。その目の前で、光蘭帝は明るく言う。
「何を落ち込む。私がいて、そなたがいる。……たくさんの人々が行き過ぎても、私とそなたは一緒にいる。それとも、それでは不満であると…?」
言ってません。
明琳は蝶華のようにしっかりと上げられるようになった髪を風に戦がせた。
―――――あの後。
死地を彷徨って、明琳は無事に生還。しかし、今度は体内の種に慣れるのに時間がかかり、動けず、苦しんだ。その間、光蘭帝は仕事を放棄して、ずっと付き添っていた。後宮みんなで、明琳の無事を祈ってくれたそうだ。
その騒動が落ち着いたら、今度は敵国の襲来。もう仙人はない。だが、後宮で不抜けていた女官や武官はイチから出直すいいきっかけになったと光蘭帝は嫌みを言っている。
正妃を迎えた後宮では、今や貴妃の争いも、陰謀もない。元々は遥媛公主がウラで糸を引いていた陰謀もすべて消し去られた。
正妃が決まれば、後宮は不要。幽玄の娘たちは自分で決める、という初めての選択を強いられた。その幽玄の妃と一人一人明琳は会話し、正妃として、彼女たちが再び生きる道の相談をしていたのである。
それはかつて君臨していた遥媛公主のように見えたと、后の一人が後世に残している―
―――以下は後日談。
そんな中、紅鷹国の遷都を光蘭帝飛翔は決め、その足で巡遊を行った。その道中で、まさに玉のような双子を産み落とした皇后の話は別として。
後宮に咲き乱れる花、それから光蘭帝のある秘密、不思議な事はまだあった。
皇后の作る饅頭には奇跡の力が宿ると人々は噂をする。そうして食べたものは幸せになるのだと。皇帝のためにだけ作っていた明琳に人々が押し掛けた。
不格好で、でかい饅頭。しゃれっ気など皆無の。
しかしその饅頭は愛され始める。
やがて国交の一つとなり、立派な街が作られることとなる。その名前は蓬莱都。
かつて皇后が愛して止まなかった、小さな店の名前である。
後宮の跡地は整備され、道断の砦から、一つの国として独立することになる。遙か未来に生まれる国、靑蘭大国と芙蓉国。その合間に蓬莱は作られ人々の癒しの街となってゆく。
「わたしに力があるのなら、すべての人たちを幸せにします」
明琳の思いは死して、時を超えて、尚、続くのだ。
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