第三章ー10:誰が一番欲深か

 その時、天窓に妖の気配を感じて、明琳は震えあがった。するりん、とそれは闇を縫い、明琳の足元に忍び寄った。暗くて見えない。ふと、声がした。


「お前はよく捕まる。懲りるということを知った方がいいぞ」

「白龍公主さま!」


 白龍公主は黒い闇の擬態から、すぐに元の人型に戻り、長くしっとりとした髪を盛った頭をぶるると振る。


「お前のせいで、俺は光蘭帝からしこたま怒られた。このままでは、羽衣は手に入らない。蝶華が子を宿す気配もない以上、別の策を練らねば、遥媛のババアに持って行かれる」


 遥媛のババア…その言い方はとても公主ではない。明琳は後ずさりながら、涙目で公主を見上げた。


「貴方たちは何が目的なんですか」


「あん?……光蘭帝の身体かな。あの躰は病み付きになる。どんな激しい行為もすんなりと自身の物にしてしまう。ああ、おまえには早かったか」


 白龍公主はさも悪げもなく口にして見せた。


「華仙界の天帝の寿命が尽きる。その前に最高の器を持ち帰った方が天帝――――わかるか? 天帝の意味。この世界を思うが儘に出来る、統治者の事だ。光蘭帝はそれに相応しい」


「思うが儘にしたいんですか?」


「したいだろう。俺には生まれた時から欲しかない。そうだな、すべてを手に入れれば何かが分かるのかもな。だから手に入れる。何が望みなのか分からないからな」


 白龍公主は籠に山積みになっていた木イチゴを抓むと、がりっとそれを噛んで見せた。


「お前の饅頭を身体に入れてから、どうにも食物が恋しくなるんだ。それで? 俺が天帝になるのが不服かよ。読む気がしない俺にがんがん聞かせるほど心で絶叫すんな」


 思いっきり頷いてしまった。だが白龍公主は目を丸くし、大声で笑い出したのだ。


「っハハハ! こうもはっきり言われると、素晴らしく爽快だな。お前の度胸は面白い。蝶華でなく、お前の方が子を持ちそうだ」


「子供子供って……どうしてそんなに光蘭帝さまの子を」


「魔を形にし、排出させて光蘭帝を連れ去るためだ」


 ―――――魔!


「光蘭帝には、人間の機能を天人に近づけ、差し替えるために苦しみを抱えさせた。だから光蘭帝は眠らず喰わずとも生きてゆける。残るは愛情。一番厄介で苦しめる病原菌。それを手放し、蝶華が光蘭帝の魔を吸い込み産めば、光蘭帝は見事に天人に生まれ変わる。天界に魔のある人間は入れないからな……だが蝶華ではだめなのか。何故かは知らないが、あの女の身体はどこかおかしいのか」


 すたすたすた。

 明琳が至近距離になった。


「なんだ」


 ぱん!


 頬を叩かれた白龍公主が驚きで目を瞠る前で、明琳は涙目できっぱり言った。


「蝶華さまにすぐに謝ってください!貴方にはその理由はわかりませんよね!」


「ではお前は分かるのか? どうして蝶華は孕まない? 俺を好きなら出来るだろう」  


―――――蝶華さまは貴方が好きだからです!


 怒りで吐き出しそうになって、明琳はどうしようもなくなって、涙を溢れさせた。


 愛おしい人に抱かれてこそ、愛は実るのだ。

 多分白龍公主には一生理解出来ないのだろう。だから、蝶華さまは光蘭帝の子など口で言う程望んでいない。


 可哀想だ。蝶華さまが哀れすぎる。白龍公主がいいとは思えないけれど 


―――――でもどうすることも出来ない。




「・・・・・・私の心が読めましたか」

「いや、驚きで・・・・・・おまえのきゃんきゃんわめく言葉を理解するのを忘れていた」


「!」


「っと・・・お前はよく俺を怒るな、小羊」

「めいりん、です!」


「では明琳、お前ほど俺を怒る女はいなかったぞ。そしてお前は俺との約束を護り、光蘭帝とは契りを持たずにいるようだな」


(やり方を知らないだけです!)とは言えず、明琳は俯いた。日に日に、光蘭帝への欲はゆっくりと育っている気がする。夜に来るのが当たり前だと思い始めたし、来れば抱き合うのも当然で、自分から唇を擦りつけることだってあった。


 混乱してきた。やっぱり仙人さまと自分の波長は合いにくい。違う、遥媛公主さまは考えてくださる。この人が考えなしなだけだ。文句言おうにも、蝶華さまは蝶華さまの考えの基、お慕いしているのだし。それでも、頭に来る物は、頭に来るのだ。


「もうもうもう!」


 手当たり次第の野菜を掴み、明琳は白龍公主に向かって投げた。


「子供とか! 愛情とか!……お金とか欲とか! そんなものばっかりで嫌です!好き、それだけじゃどうして駄目なの?!」


「俺に聞くなよ! もともと人も天人も欲から生まれた生き物だ」

「わたしは欲なんか要らない! 光蘭帝さまがいればいいの!」


 っは…白龍公主が乾いた笑いを見せ、それなら、と顔を近づけて、明琳の顎を抓んだ。


「それなら、誰が一番欲が深いか知っているのか? 俺と遥媛? 蝶華か? それとも准麗か?……すべてを手に入れ、安穏を掴み奪おうとした男がいる事を教えてやるよ」


 聞きたくない。

 拒絶の態度を見せた明琳に意地の悪い声が降った。


「お前がお慕いする、光蘭帝飛翔。天帝を狙うが為に、人に見切りをつけた」


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