40. 実は最近、一日の栄養のほとんどをペンギン印の魔力と体力を回復するお茶で誤魔化してました
シュプレをわたしの使用人にするにあたり、当然のことながらあれやこれやと手続きだとか、根回しのようなことが必要になってくる。
わたしが思い付くだけで、わたしの両親、姉のソディア、シュプレが歌謡祭シシガ、わたしの通うキシガに、あとはシュプレの実家にも連絡や手続きが必要だろう。
「そういったことは全て俺にお任せください」
完璧執事モードのマトが丁寧に腰を折った。
動くのに合わせて、ひとつに結んだ艶々の黒髪が、背中から肩へと滑り落ちる。
今日もやっぱり顔がいい。腹が立つほど声もいい。後で、絶対にあのキューティクルの秘密を教えてもらおう。
その夜、わたしとシュプレは同じベッドで寝た。
翌朝は時のウタグ、十三日。ゼロのイボウなので、ゆっくりと部屋で朝食をとることができた。
「クオラ、あなたそんな朝食で足りるの? ダイエットでもしているのかしら」
わたしの朝食は、相変わらずのお粥である。とろとろで、さらさらで、刻んだ漬物みたいなものがトッピングされている。
一方、シュプレの朝食はマトが食堂から持ってきてくれた焼き魚定食だった。おいしい、おいしいと言いながら、シュプレはご飯をおかわりしていた。シュプレったら、あんな食いしん坊キャラじゃなかったのに、この四ヶ月で変わってしまった。
ご飯はすぐに炊けるものではないので、おかわりはわたしのお粥の残りになってしまったけれど、お粥はお粥でとてもおいしいと言ってもらえて、わたしも鼻高々である。実はこのお粥、わたしが準備を手伝ったのだ。朝食も作れるなんて、わたし、良妻賢母になれる気がしている。
「………朝はどうしても食欲がわかなくて」
わたしはペンギンさんが差し出してくれたお茶に口をつける。美味しい。
もともと美味しいお茶なのだけれど、ペンギンさんが運んでくれたことに意味がある。これはもう至高の飲み物である。
谷のウタグにあのリゾート地で買った魔力と体力を回復させるお茶がないと、最近は一日を乗りきるのが難しくなっていた。
「晩御飯も少ししか食べてなかったじゃない。噂でなんとなく耳にはしてたけど………クオラの食欲が落ちてるのって、ヘイプのせい?」
素敵な笑顔でしっかりと朝食を食べきったシュプレの表情は少しだけ、曇ってしまっていた。シュプレだって、今まで大変だったんじゃないだろうか。わたしにはヘリヤとマト、姉であるソディアに、両親、友達がいたけれど、シュプレは一人だったのだ。
「そういうお話は、こちらの書類を書き上げてから致しましょう」
わらわらと、ペンギンさんたちがどこからか現れた。彼らは一斉に朝食を片付けていく。かわいい。
テーブルを拭き、シュプレにもお茶と、あとお菓子はマカロンがこんもり盛られたお皿に、あとおかきに、クッキーまである。いくらなんでもこれは多いだろう、とわたしは思ったけれど、シュプレは感激したように、小振りな大きさのマカロンをかじっていた。そしてペンギンさんはいつでもかわいい。
夜のうちに、マトはあちこち動いてくれていたらしい。
「シュプレ様の生活費は、これよりクオラ様が負担することとなりました」
基本的に、キシガ同様、シシガも学費はかからない。必要なのは細々とした雑貨、あとはおこづかいだろうか。今のシュプレを見る限り、シシガでの食事はちょっと、量が足りていないような気がする。
「契約はコボトリウ家ではなく、クオラ様個人となります。玄関を出て右の一室をシュプレ様用として確保いたしました。各方面への調整も済んでおりますので、明日には引っ越しをいたしましょう。それにより、守秘義務のあるいくつかについて共有しておきたく思います。こちらはそのあたりの契約書でございます」
言いながら、マトが取り出したのは魔力の込められた契約書に、魔力の込められたインクだった。マカロンの半分がもう消えている。契約書もインクも、どれも授業の予習として、わたしが作らされたものだ。
契約書というか、紙についてはまだだけれど、インクを作り方は授業でこの前やった。授業ではサバクがインクを作ることになっていた。そして、授業で作ったものより、わたしが作ったインクのほうが、明らかに質が良かった。これはマトが手を抜いたからではなく、どうしようもない、人間とメージャの違いなのだそうだ。
「………いいわ。クオラの秘密を他人に漏らしたり、不利益になることをしなければいいってことよね」
わたしと、マトがサインした契約書にシュプレもサインをすると、契約書は淡く光って、三つのビーズのような玉になった。
それを、マトは男の人らしい、わたしよりも太い指でつまみ上げた。器用に糸を通していく。マカロンが消えた。この糸も、わたしが授業料の予習として作らされたもので、真夜中の海の底の水と、月光を浴びた月桂樹の葉脈をわたしの魔力で糸に加工したものだ。
「手首にでも結んでおけ」
マトの執事モードが解除された。ぽい、ぽい、と薄桃色のビーズのついた輪っかをわたしとシュプレに投げて、マトはわたしの隣に座る。きっちり着込んでいた上着は脱いで、いつものソファにぽい、だ。わたしにとっては見慣れたものだけれど、シュプレは驚いたように目を見開いたまま、固まっている。いつの間にか、おかきは消えていた。
「さて」
マトはテーブルに新しい紙を一枚、載せた。
それから、ヘリヤの鏡もだ。
「先に言っとくが、今の契約玉を身につけていようがいまいが、さっきの契約は常に有効だ。あんたがクオラの親友だろうがなんだろうが、契約を破ったとき、俺はあんたを餌にさせてもらう。それは万が一、他人に秘密の漏洩を強要されたときの盾として使え」
「わかった」
「シュプレは言いふらしたりしないよ」
わたしはシュプレを擁護する。けれど、マトは軽くわたしの頭をはたいてきた。痛くはなかったけれど、不愉快だ。
「馬鹿か、お前は。強要されたときって言っただろう。クオラの情報が狙われるかもしれないだろ」
「………ヘイプ?」
「だけならまだ、いいけどな」
もう、さっさとヘイプとヨウシアが結婚しちゃえばいいのに。そしたら、あれこれ面倒が減ってわたしも少しは心が軽くならないだろうか。
マトはシュプレに向き直った。
「俺は、こいつのサバクじゃない」
ひゅっ、とシュプレが息を飲む音が聞こえた。
「あんたも、こいつも、二人とも『ウケイレ』の妨害に合ってる。俺は縁があって今はこいつのサバクのフリをしてる。本当はクオラのサバクになる予定だったのは、こいつだ」
マトは鏡の上部をトン、と押さえるようにして示した。
「やっほー」
こちらからは鏡の背しか見えないけれど、たぶん、ヘリヤが顔を見せているのだと思う。
「猫ちゃん………」
ん?
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