第8話 こうしましょう
「連邦の武力は強大です。対抗するにはヤマタイに住まう全ての者が力を合わせるほか、ありません」
リーファの言葉に異を唱えたのは、カガシだった。
「……理想としては正しいでしょう。だが、それは大契約に反します」
かつてヤマタイが群雄割拠の小国家に分かれ、戦乱に明け暮れていた頃。
神尊は人に対して無敵であり、まさに神に等しい存在だった。
銃火器のない時代、霊術を振う神尊に人間が対抗する術はなかったのだ。
やがて特定の神尊を味方に引き込んだ国が現れ、勢力を拡大。
他国も追従し、やがて神尊は戦争の切り札となっていった。
いかに強力な神尊を味方にするかが、国の興亡に直結していたのだ。
必然的に神尊同士の殺し合いが頻発した。
戦乱は激化し、神尊達は大きく数を減じてしまう。
もともと数の少なかった彼らにとってダメージは深刻だった。
幾つもの一族が途絶え、離散した。
この時代を境に神尊の勢力は衰えていく。
三百年に渡る戦乱が終った時、健在な神尊の数は当初の二割以下になっていた。
存続の危機に陥った神尊諸族は一堂に介し、長い協議を経て、
ヤマタイ統一政権と包括的な契約を結んだ。
これが大契約である。
契約は神尊と人の関わりを定めたもので、様々な項目がある。
「――なかでも一番大事な項目は神尊と人は互いの争いに関与しない、という部分です。
関わりすぎれば人は神尊に依存する。長期的に見れば、双方共に利益を損ねるのです。
互いに過度の干渉を慎むことこそ、共存共栄の道であったはず」
カガシの言葉にリーファは首を振った。
「それは神尊と人の間に圧倒的な力の差があったからです。ですが……」
「ちょっとお待ち」
ヒャクソ婆がゆっくりした調子で割って入った。
声色はひどく平板だった。
「もう、力の差はない。神尊と人間は対等だ――とでも、言いたいのかね?」
感情の失せた顔。
ヒャクソ婆はほとんど閉じられた瞼の隙間から、剣呑な眼光を放っている。
緊迫した雰囲気にあてられ、俺は思わずつばを飲み込んでしまう。
まいったなー、こういう空気は苦手だぜ。
ぼっちだったから、他人との濃密なやり取りにはなじみがないんだよな。
にらまれているのは俺ではないのだが、ひどく居心地が悪い。
「はい、わたしはそう思っています」
「大契約はどうする気だね?」
「破棄すべきかと。もう状況が違うのです。大契約を遵守しても、共存共栄は成し得ません」
「ほう。レンス家の惣領、いや実質的な頭領としての言葉と捉えていいんだろうね」
問われ、リーファの表情は張りつめた。
本来は彼女の一存で約していい話ではないはずだ。
だが、それを踏まえた上で神尊の大主に対して言質を与える覚悟があるか――
ヒャクソ婆はそれを測っているのだ。
「ええ、ヒャクソ様。我々はパダニ族と対等の存在として共に歩みたい。戦場においても、です。
――レンス家はパダニ族と同盟を結びたいのです」
さざなみのように周囲の神尊達へ広がったのは、困惑だった。
ヒャクソ婆も呆れたように首を振った。
「わからないね……何故、そこまでする? お前が護るべきはパダニ族ではないだろうに」
「わたしもそう思っていました。言うまでもなく、わたしは人間です。
ならばレンス家を第一に、他は切り捨てるしかない。それが当然だと」
リーファは静かに言葉を紡ぐ。
それはまるで懺悔のようだった。
「――ですが、タケルと話して気づかされたのです。
わたしが一番護りたいもの。絶対に失ってはいけないもの。何を犠牲にしてでも、最優先にすべきものはなにか」
え、俺?
温泉での話なら、むしろ逆を勧めていたはずなんだが……。
「それは、人と神尊のつながりです」
迷いの失せた瞳でリーファは言った。
「わたし達は異なる種族です。わたし達の利害は必ずしも一致しません。
だからこそ、この絆には計り知れない価値がある。護るべき価値があるのです」
理想論だ。俺ならそんな選択はしない。いや、できない。
だけど彼女は信じている。心から信じていることを語っている。
俺にもそれはわかった。
「……お前がそう考えても、他の者は賛同しまい」とヒャクソ婆。
「大丈夫です。父をはじめ、当家の重鎮はほとんど投獄されています。
わたしが惣領として決定したことを覆せる者は残っていません」苦笑いを浮かべるリーファ。
だとすれば、皮肉な話だ。
連邦が行った投獄によって、大胆な方針変更が可能になってしまったのか。
「どれだけの危険を冒すことになるか、よく考えたのかね? お前の父母に累が及ぶかも知れないのだよ」
ヒャクソ婆の懸念はもっともだ。
だが、リーファは以前から連邦の法律を調べていたらしい。
連邦の法体系に連座制は組みこまれていない。
つまり子の犯した罪で親が裁かれることはないし、逆もまたしかりだ。
リーファが反乱行為を働いても、それは本人だけの罪。
収監されている父母が影響を受けることはない――はずだ。
まあ、理屈の上では。
「そうであっても、なんらかの形で報復は受けよう。
いや、共謀をでっち上げられるかも知れん。連中は甘い相手ではないぞ。
お前の考えはレンスを窮地へ追いやるかも知れないのだよ、リーファ」
ヒャクソ婆の心配は杞憂ではあるまい。リーファはレンス家の惣領だ。
俺はこちらの社会の仕組みはよく知らないけど、相当に高い公的な地位を持っているらしい。
父母のことは別としても、彼女の判断は必然的に大勢の人間を巻き込む。
子供のたわごとで収まりのつく話ではないのだ。
重たい、重たすぎる責任だ。
本来、彼女の歳で担えるものではない。
極論を言えば、誰であってもこんな責任は果たせないはずだ。
最初から無理なのだ。
ならば決断は避け、現状維持。
多少の不都合は座視して見逃し、大人しく長いものには巻かれるしかない。
そうなるのが普通だ。
だけど、リーファは違うらしい。
「それも覚悟の上です」
「お前だけの覚悟がいかほどのものかね! その覚悟で購えるものなぞ……」
「どうか、お聞きください!
長らく絆を紡いだ我らが、互いを見捨ててしまうことこそ、真の危機なのです。
分断され、力を失った我々を連邦が尊重するでしょうか? 今以上の抑圧が始まるに決まっています!
そうなってからではもはや手遅れです。人だけ、神尊だけの安寧を求めても結局、先はない」
リーファは穏やかながらもよく通る声で訴えた。
実際のところ、彼女が正しいとは限らない。
彼女1人の判断で大勢の人間の人生まで賭けてしまっているのだ。
己が見込み違いをしている可能性をちゃんと承知の上で。
傲慢と言えばこんなに傲慢な話はあるまい。
だが、リーファは確信を持っている。
なんとしてもこれをやり遂げようと覚悟している。
そのことだけは、誰が聞いても間違いようがなかった。
「人と神尊は同じ世界に住んでいる。関わりをもたない訳にはいきません。
ならば、よりよい関わり方をしたい。現にレンスとパダニはそういう歴史をつむいできたはず。
わたし達は共に困難に立ち向かうべきです!」
話を終え、リーファは口をつぐむ。
禁域の明け渡しを請うた時に見せた、すがるような色はない。
言うべきことは言った。
本当に自分が正しいと思うことを彼女は言った。
後は結果を待つつもりなのだ。
ヒャクソ婆は目をつむり、沈黙を続ける。
ふっと表情を緩め、軽く嘆息すると瞼を開く。
「お前も大きくなったものだよ。いや、わっしが耄碌したのかね」
「婆様、それでは……」
「申し出を受けよう。パダニ族はレンス家と同盟を結ぶ」
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