第3話 ばくばくたぬまる
結局、俺達はパダニ族と合流した。
大騒ぎが起きてしまった地底湖からは、早々に撤収。
入り組んだ通路をぬけ、少し離れた場所にある避難所へたどり着いた。
壊れた霊獄機は神尊達が十数人がかりで運んでくれた。
避難所はいくつかの小洞窟を繋いだ形で、出入口は巧妙に隠されている。
急場に作られたものではない。
禁域に結界を張る以前から、万が一に備えていたのだろう。
中には簡素ながら石畳が敷かれ、ある程度の家具類もある。
気を使われたのか、俺達にあてがわれた部屋は比較的広かった。
おかげで居心地自体はそう悪くない。
ただ、食料や飲み物の備蓄はほとんどなかった。
基本的に神尊は飲食を必要としないから、当然ではあるのだが。
「これじゃー、腕のふるいようがないですねぇ」
ハナは残念そうに嘆息した。
なにしろ竈や調理器具はもちろん、食器すらない。
「お掃除するような場所もないし……ああ、もう、なにかすることないですかね?」
手持ぶさたが嫌なのか、ハナはうろうろしている。
アカツキは椅子に座っていたが、ついに我慢できなくなったようだ。
「あのね、少し落ち着きなさい。休むのも仕事と思って――」
「ぶーっ! 休むなら仕事じゃなくて、ちゃんとお休みにすべきですよ。ダメですよー、切り替えないと」
「いや、だから休みなさいって言ってんのよ、馬鹿たぬき!」
声をひそめて言い返すアカツキ。
うーん、器用な娘だ。
椅子の横にあるベッドではリーファが眠っている。
起こさないように気を使っているんだろう。
「アカツキ。リーファは大丈夫そうか?」
俺の問いかけに、アカツキは顔を曇らせた。
「休めば体力は回復する。ただ本来、人の身にはあまる力を行使しているのよ」
霊気を浄化するリーファの能力。
それは、彼女の心身に重い負荷をかけてしまうらしい。
もとより人間は神ではなく、聖者でもない。
浄化されすぎた霊気は、人の身には毒として作用する。
結果、穢れを祓う技を行う度にリーファは魂をむしばまれている――
というのが、アカツキの見解だった。
「疲弊した魂は、そう簡単には回復しない。こんなことを続ければ、この人は長生きできないわ」
淡々と語るアカツキ。
恐らく見立てに間違いはないだろう。
まるで、この世のものならざる美しさ。
俺はあの時、確かにそう思ったのだ。
「――タケル。今、よろしいですか?」
戸口からカガシの声がした。
部屋と通路はぶら下がった布で目隠しされているだけなのだ。
俺が顔を出すと、カガシは一礼して用件を述べた。
「大主様の意識が戻りました。あなたにお会いしたいと」
「ヒャクソ婆が? ――わかった」
「はいはい、はーい! ハナもお供致しますよ!」
嬉しそうに手を振るハナ。よほど退屈していたらしい。
アカツキは戸口には視線を向けなかった。
「私は残るわ。この人を見ていないと」
「……ああ、そうだな。頼むよ、アカツキ」
「では行きましょう、タケル」
カガシの表情もやや硬い。
残念ながらアカツキに対する見解は変わらないようだ。
さすがに今、追い出せとは言えないだけだろう。
カガシを先頭に、洞窟を加工した細長い通路を黙って歩く。
うーむ、気まずいな。
この際だし、ハナについてカガシの見解を聞いてみるか。
ハナは幽霊のはずなのに、しっかり実体化している。
おまけにお腹が空いたと騒ぐし、俺以上にばくばく飯を食う。
どう考えても変だろ、これ。
そう聞くと、カガシは驚いたようだ。
俺だけでなくハナ本人も状況をまるで把握していないのだから、無理もない。
「理由はわかりませんが――なんらかのきっかけで霊体が変化したのだと思います」
ゆっくり言葉を選びながら、カガシは話し出した。
「我々は神尊に成る時、肉体を
同じように、ハナの霊体は
神尊に成る際、もとの肉体を分解し、霊核石を中心に再構成した身体。
これが耀体だ。
耀体はゆっくりと老化し、傷はすぐ治り、病気にもならない。
食事は必要とせず、霊尖角で霊気を集めて生命力にする。
偽体は幽霊が強固に実体化し、生前を精巧に模した姿――らしい。
老化や発病はしないが、傷は負う。
痛みもあるから、癒えるまでは行動に制約がつく。
自然環境から霊気を吸収して生命力にすることは、まったくできない。
「霊が偽体を成した事例はほとんどないので、私がハナを診る限りは、ですが」
カガシはそう前置きし、
「ただ、ハナの偽体は消化器官も精巧に再現している。どうやら食事で栄養を取り、生命力すら生産しているようですね」
「……幽霊が? 飯を食って生命力を、自力で?」
おいおい、まじかよ。
まるっきり、普通の人間と変わらないじゃないか。
「ありなのかよ、そんなの。もしそうなら、生き返ったのと同じだろ」
「いや、あくまで偽体です。成長はしないし、子孫も残せない」
考え深げにカガシは言葉を続けた。
「そもそも霊体が偽体化するケースは極めて稀少で、ほとんど例がない。
相当条件がよくても、ヒルコのように半端に実体化するのが関の山なんですよ」
俺はヒルコの姿を思い浮かべた。
ぶよぶよしたゼリー……いや、生物ならアメーバーか。
確かに実体ではあるが、極めて単純な姿だ。
直接触れ合った時、彼らから死に際の痛みや感情は伝わって来た。
だが、姿形や情景の印象はほぼ皆無だった。
魂が欠片になってしまったことで、情報の大半を失ったのだろう。
彼らは自分の生前の姿すら、覚えていなかったのだ。
恐らくヒルコは普通の食事はできない。
普通の悪霊のように人間などに取り憑くこともできない。
だからハナを取りこみ、分解しようとした。
残留している生命力を吸収するために。
結果として霊体専門の捕食者になってしまったのだ。
一番後ろを歩いていたハナが、突然話に割って入った。
「はいはい! カガシさん、質問!」
俺の肩をつかみ、前へぐいぐい乗り出しながらカガシに呼びかける。
めっちゃ食いついてるな、こいつ。
「も、もしかして、今のわたくしはタケル様から生命力を頂かなくても存在できる! とか……!?」
「可能性はありますね。相当、沢山食べる必要はあるでしょうが」
ぱああああぁっ、と表情を明るくするハナ。
長年の重荷からやっと解放されたような顔をしている。
「なんだよ、そんなに気にしていたのか?」
「してましたよ、とーぜんじゃないですかっ!!」
驚いたことに、ハナは涙ぐんでいた。
おいおい、さすがに大げさ……でも、ないのかな。こいつの性格からすると。
他人――いや、俺に寄生しながら存在し続ける。
それはひどく負担だったのだ。
悪霊なのに人のいい、うちのたぬき娘にとっては。
「ああっ、でも悩ましいですね。いっぱい食べて太ましくなってしまったら……」
「いいだろ、別に。ハナは細いんだから、少しくらいは」
「でも! タケル様に、おお、体型までたぬきそっくりになったな!
とか言われたら、もう絶対生きていられません……」
「大げさな奴だなー。そもそも幽霊だろ、お前」
ハナはきょとんとした。
「え? タケル様の話ですよ?」
「俺が
ハナの奴、半分まじっぽいぞ。
たぬきネタを体型に絡めるのは自重しとこう。
「カガシ、アカツキはどうなんだ?」
「――どう、とは?」
うー、やれやれ。
俺も感情的になっちまったけど、この件に関してはカガシも頑なだな、どうも。
「アカツキは耀体って言ってたよな。さっき、食事をさせたけど……」
霊尖角がない以上、他の方法で生命力を得ているはずだ。
ハナと違って俺に取り憑いているわけでもない。
霊獄機を降りた後、特にアカツキから生命力を吸われた気もしないし。
「それは本人に聞くのが早いでしょう。
君と会う以前から身体を維持してきたのだから、洞窟内の動物を狩るなどしていたのだろうと思いますが。
しかし――」
話はまだ途中だったが、目的の部屋に着いてしまったらしい。
他と違って、ここには一応、扉があった。
護衛の者が二名、扉の横に立っていたが、カガシがうなずくと立ち去った。
気配を察知していたのか、ヒャクソ婆の声が俺達を出迎えた。
「――お入り」
部屋に入ると、ヒャクソ婆は質素なベッドの上にいた。
顔には疲労が滲んでいた。
こちらへ顔を向けるのが精一杯のように見える。
頭にはなにも巻いておらず、白髪の間から霊尖角が突き出ていた。
さすがにカガシよりもずっとツノが長い。昔話に出てくる鬼みたいだ。
挨拶もそこそこに、俺達は情報交換をすることにした。
まずはこちらからだ。
連邦の兵士やヴェイロンのこと、ヒルコのこと。
霊獄機のこと――アカツキのこと。
「ふむ……カガシの見立ては間違っちゃいないよ。ヒルコの神尊なんて、本来あり得ないからね」
「アカツキはちゃんと存在していますよ!」
俺は憤然と返す。
ヒャクソ婆は苦笑した。
「そういきり立つものじゃないよ。ヒルコはね、ひどく脆いのさ。
確かに実体化しちゃいるが、一年も持たずに崩れて消滅しちまうのが普通だ。
とても神尊に成るまでの歳月を過ごせやしないんだよ」
ヒャクソ婆の話には一定の説得力があった。
ヒルコが存在し続けている――
いや、そのように見えるのは、次々と新たな霊屑が加わってくるせいらしい。
説明が正しいなら、来年の今ごろにはヒルコはすっかり入れ替わっているわけか。
「じゃあ、アカツキは――そうか、霊獄機のお蔭ですか」
確かにアカツキ自身も霊獄機を「故郷」と呼んでいた。
出ることのできない魂の牢獄。
皮肉にも獄中へ迷い込んだヒルコにとって、
霊獄機は外界からの干渉を遮断する揺り篭になったのだろうか。
「わっしは人間が作った道具のことはよくわからん。
ただ、お前さんやカガシの話を聞く分にはそう思えるね」
それなりに筋は通っている気がした。
幸い、ヒャクソ婆はアカツキ自体への忌避感は薄いようだ。
「名まで与えるとは随分と入れ込んだものだね、お前さんも。
ただ、己の力が及ぶ範囲はわきまえた方がいい。わっしが言えた義理じゃないがね」
どういう意味だろうか。俺にはハーレムは早いって話か?
確かに女の子同士の諍いとか起きたら、俺の手に余りそうだ。
まあ、そんな意味じゃないだろうが。
ヒャクソ婆はすっと笑みを収めた。
「次はこちらの番だね。まず、事情を説明すべきだろう。わっしのことをね」
俺はうなずいた。
ヒャクソ婆の正体があのムカデであること自体はいい。
恐るべき姿だったが、古の神尊としてふさわしい威容でもあった。
問題はどうしてヒャクソ婆が理性を失い、暴走していたのかだ。
次にあんなことがあれば、今回のようにうまく収められるとは思えない。
疑問は顔に出ていたのだろう。
カガシは俺が一番聞きたいことを、端的にのべた。
「結論から言えば、ヒャクソ様の暴走はまた起きます。それも、そう遠くないうちに」
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