第20話 ご利用は計画的に

 洞窟内はぼんやりした明かりに照らされていた。

 ところどころに露出している鉱床や苔が、淡く光を放っているのだ。


 見通しがいいとは言えなかったが、お陰でどうにか歩くことができた。

 そうでなければ、俺達は早々に喰い殺されていただろう。


 神尊とは違う、不気味な怪物の群れに。

 

『ハ、ヒヒヒ、ヒィヒィ』

『ヒ、ハハ、ヒヒヒ。フヒ』

『イヒヒ。フフ、ヒヒヒ』


 怖気立つような奇声が聞こえてくる。

 ベチャリ、ベチャリと濡れた布を落としたような足音。

 それはいくつも重なり、執拗に俺達のあとをついてくる。


 怪物の足は遅く、今のペースで歩けばそうそう追いつかれることはないだろう。


 ただ、問題が二つあった。


 一つ目は地の利だ。

 ここは禁域よりさらに深い、パダニ窟の奥底である。

 

 怪物どもにとってはホームグラウンド。

 俺にとっては完全にアウェイだ。

 

 だから、引き離したつもりでも、油断していると――


『ヒヒヒヒ。ヒ、ヒフ?』


 五十メートルほど先の曲がり角から、怪物がのっそりと出てきた。

 ほら、こんな風に先回りされてしまう。


 怪物の肌は生白い。

 とけかかったアイスのような、とらえどころのない姿をしている。

 口は見当たらない。手足の形状はひどくいびつだ。

 出鱈目な位置に目らしきものがあるが、ほとんど視力はないらしい。

 ペタペタとあちこちを触りながら、よろめき進んでくる。


 俺は来た道を戻った。

 脇道に入る寸前、追いかけてきた怪物の集団がちらりと見えた。


 極めておぞましい、という意味で全体の印象は似ている。

 だが、形状はみんなばらばらだ。


 足がやたらと沢山ある奴。

 長細く、くねくねうねりながら寄ってくる奴。

 膨らんだ風船をでたらめに結合させたような奴。

 

 くそっ、あの連中に捕まった時のことはあまり想像したくないな。

 少し足を速めると、額から汗が落ちてきた。

 

 二つ目は俺の体調だ。

 禁域の脱出以来、ぞくぞくと悪寒がしているのだ。

 

 身体の芯からずるずると力が引き抜かれていく、この感じ。

 

 ポルターガイストのあとのおなじみの感覚だった。

 俺は生命力を悪霊に吸われているのだ。


 理由ははっきりしていた――ハナを背負っているからだ。



   □



 禁域でオーガスレイブを破壊した直後。

 まさに悪鬼のごとき表情で、ハナは俺につかみかかってきた。


『アア、アアアーッ!!』

「おい、ハナ! 落ち着け! 早く逃げないと――」

『イガァッ! イイイイイッ!!』


 だめだ、言葉なんか通じない。

 つかまれている首も肩も握り潰されそうだ。


 片手ずつだからまだよかった。

 もし両手で首を絞められていたら、本当にやばかっただろう。

 

 俺の力では抵抗できず、あっさり窒息させられていたかもしれない。


 ただ、このまま長引くのはまずい。

 オーガスレイブには咆哮が効いていないはずだ。

 

 混乱が終息し、連邦軍に見つかったら、今度こそ万事休すだ。


「ハナ、しっかりしてくれ! 今は一刻も早く脱出しないと……」

『ウウウ、ガアアアアアアッ!』


 くそっ、どうすればいいんだ、これ!?

 どうしてこんな――


『ヒィギァァッ!』


 どうして、だって?

 誰に聞いているんだ。答えは俺が出すしかないのに。


――ハナはどんな様子だ?

――ハナはなにをしている?

――ハナはなにをして、こうなった?


 わめき散らしながら、ちぎれるほど強く身体をつかんでくるハナ。

 掌が触れているところから、どんどん力が吸い取られていく。

 

 彼女に担ぎ上げられて逃走していた時には、こんなことは起きていなかった。


 こうなったのは二度目の咆哮のあとだ。

 あれを使うのは本人が言っていた以上に負担が大きかったんじゃないか?


 もしそうなら、俺がすべきことは決まっている。


 俺は抵抗をやめて、逆に彼女を引き寄せた。

 背中と頭に手を回し、身体全体で包み込みようにしっかりと抱き締める。


 抱いた感触は少し変だった。妙に柔らかいのだ。


 あまり力をこめると変形してしまいそうなくらい、ハナの身体は頼りなかった。

 霊体なのだから、そもそも触れていること自体がおかしいのだが。


 身体の接触面積が増えたせいで、風呂の栓を抜いたような勢いで生命力が吸われていく。この世界にきてから俺の調子はよかったが、さすがにくらりときた。


『ア、ウ……あ、アああ……』


 ようやく、ハナは暴れるのをやめた。

 やはりそうだ。

 恐らくは咆哮で力を使いすぎて、実体を維持できなくなりかけていたのだ。

 

 そうなるともとの世界にいた時のような、悪霊に戻ってしまうらしい。


 ハナは徐々に落ち着いてきていたが、すっかり回復するまで待つ時間はない。

 俺は彼女を背負うと、脱出口へ向けて歩き出した。


 辺りは死体の山だ。

 みな脱出したのだろう、もう神尊達は一体も残っていない。


 いまだに殺し合いを続けている兵士もいれば、笑いながら自己破壊行動に熱中している兵士もいる。

 俺は可能な限り早く連中の間を走り抜けた。


 出口をくぐると曲がりくねった洞窟が続いていた。

 ええと、ここから合流場所は……大丈夫だ、ちゃんとわかる。


 右手側が深い崖になっているから、あまり急ぎ過ぎると危ない。

 幸い、禁域を出るまで俺達を追う者は誰もいなかった。


――どうにか脱出成功だ。やっと一段落ついたかな。


 合流地点まではけっこう遠いのだが、気持ちは少し軽くなった。

 ハナの状態は気がかりだが、あとのことはカガシ達と再会してから考えよう。


 ところが、数歩進んだところで目論見は崩壊した。


「ん……? なんか、いま……?」


 ズズズズ……と、重苦しい唸りを伴ったわずかな揺れ。

 続いて、本震が到来した。


「おっ!? や、やばっ!! って、うわわわわ、揺れてるっ!?」


 揺れはさほど強くはないが、崖際で立っているのは危険だった。

 この調子では、またどこで崩落がはじまってしまうか、わかったものではない。


 俺は岩が飛び出して、ひさしのようになっているところへもぐりこんだ。


 これで上からの落石は防げる。

 でも、このひさし自体が崩れたら……いや、今は考えないでおこう。

 

「タケル……様?」

 

 ハナがなにか呟いた。

 地鳴りのせいであまり聞き取れないが、俺が誰かはわかるようになったらしい。

 よし、この調子で回復させればいいだろう。

 

「まだ黙って大人しくしてろ。どうせ、うるさくてよく聞こえないしな」

「ご――な、さ――」

「いや、だからよく聞こえないってば。とりあえず、揺れが収まるまで――」


 言いかけた時、俺は妙なことに気づいた。

 崖の向こう側にある切り立った岩壁が動いている。

 大規模な崩落……ではない。

 

 なにしろ壁は方向に動いているのだから。


 ええと、なにが起きているんだ、これ?

 

 よく見ると、それは岩ではなかった。

 視界の大半を埋めるほど巨大ななにかが、岩壁に張りついているのだ。


 まるでベルトコンベアのように連なった節が順序よく移動し、滑るように上昇している。

 衝撃で崩れた岩塊が谷底へガラガラと落下していた。


 この地震って、こいつが動いているせいじゃないのか?


 機械ではない。

 これは生物だ。

 正体がなんであれ、桁外れにでかい生物なのだ、これは。



 こんなモノがいるのか、この世界には!?



 俺の驚愕をよそに、そいつは滑らかな動きで上昇を続け――唐突に消えた。


「……は?」


 我ながら間の抜けた声だったが、仕方がない。

 これまでも大概異様なことばかりだったが、今のは極めつけだ。


 アレは確実にクジラよりもでかかった。

 恐竜とか、そんなスケールさえも越えていた。

 連なってうごめく、高層ビル――それ位の圧倒的な量感があった。

 そうでなければ、地震なんて起きるはずがない。


 なのに、一瞬でかき消えてしまったのだ。


 揺れはすっかり止んでいる。

 原因がアレだったのは、間違いなさそうだが……。


「なんなんだよ、こりゃ……」


 茫然としながらも、俺はこみ上げる笑みを抑えきれなかった。


「は……は、はははっ! すげーっ!! なんだよ、これ! なんなんだよ!!」


 まだ召喚されてから数時間しか経っていない。

 俺が見たものと言えば、禁域とここだけ。早い話、洞窟だけなのだ。

 それなのに、あんなものと遭遇してしまった。



 異世界だ。



 ここは、俺が暮らしてきたところとは全然違う。

 根本から異なる世界なのだ。


「すげぇところだな、ここは」

「……嬉しそう、ですね、タケル様。帰れないかも知れないのに」

「え? いや、まあ、今は――」


 言いかけた時、がごんっ、と足元が大きく揺れた。

 おいおい、今度はなんだ? またあんなのが出てくるのか?

 

 俺は用心して、慎重に身構えた。

 とたん、洞窟の通路に亀裂が生じ、ごっそりと崩れる。


「ちょ、ええーっ!?」


 俺達は通路に乗ったまま、谷底へ向けて滑り落ちはじめてしまった。

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