第2話 せまい部屋を広く見せるライフハック

 俺と来美はパイプベッドに並んで座っていた。


「たけるんってさ、いっつも一人じゃん。なんで?」


 嬉しそうに嫌なことを聞くな、この女。


「あのな、そんなの磯部さんの――」

「来美だってば。わざわざ苗字で呼ぶなんで、感じ悪ーい」


 俺はため息をついた。


「来美の知ったことじゃないだろ。俺の勝手だ」

「一人でいるのが好きってこと?」

「そう、そうなんだよ。だから、俺のことはほっといてくれ」


 ぐるりと周囲を見回し、納得したように来美は言った。


「ふーん、そっか。部屋もわびしいもんねー。なんにもない……ん? あれ、写真?」


 来美は枕元側の壁に目をやっている。

 目ざとい奴だ。


「そうだけど」


 写真なんてどうでもいいだろ、とも思うのだが、来美は気まぐれで有名なのだ。

 友達と出かけてもいきなり帰ったり。

 急に別行動をとったり、ドタキャンしたり。

 普通はそんなの嫌われるはずだ。

 だが、何故か来美は女子仲間から許されているらしい。

 お得な性格だよな、うらやましいぜ。


「なんであんな貼り方してんの? それも俺の勝手?」


 来美はにまにま笑った。

 ええい、いちいち面倒くさいな。

 

 まあ、チャックつきのポリ袋に写真を入れて壁に貼る奴は少ないだろうから、当然の疑問ではあるのだが。


「そのまま貼ると痛むだろ。この一枚しか持ってないんだよ」

「彼女――のわけないか。もしかして、お母さんの写真?」

「まあね」


 来美はぐっと身を乗り出し、写真をまじまじと眺めた。

 写っているのは、二十代前半の女性が微笑みながら赤ん坊を抱いている姿だ。


「え、嘘っ!? めっちゃ、美人じゃんっ!! じゃあ、この赤ちゃんがたけるん?」

「そう」


 裏には『武 生後三ヶ月 これからお母さんとずっと一緒だよ、よろしくね!』と走り書きされている。


 ただ、母はその後すぐに亡くなってしまった。

 父は俺が産まれる前に事故死しているから、俺はいわゆる孤児ということになる。


 一応、親戚もいるのだが、ほぼ没交渉だ。

 年に一回くらいしか会わない伯父さんが、一番密接な間柄という感じ。


 伯父さんは大学でイスラムの歴史を研究しており、一年の大半は海外に行ってしまう。

 悪い人ではないのだが、研究以外のことはまったく興味がないタイプ。

 俺と会って話していても、心ここにあらず、という感じなのだ。


 他にも叔母がいるはずだが、放浪癖があるらしい。

 今どこにいるのか、誰も知らないそうだ。正直どうでもいい話である。


「うはははは、全然似てなーいっ! あ、よく見ると眉とかパーツは似てるかな。けど、顔全体の印象は違うね。お母さんに似ればすっごいイケメンだったのに、ざーんねん!」

「ほっとけ」それは俺も常々思っていることなのだ。


 さて、賢明な諸君にはもうおわかりかと思うが、ここは俺の部屋である。


 こいつ、一人暮らしの男の部屋にのこのこと――

 むしろ、うきうきと着いてきやがって。


 いっそ後悔させてやろうか! などと考える余裕はない。

 せっかく買った炭酸飲料もコンビニの袋に入ったまま、床に放置されていた。


 さきほども申し上げた通り、俺と来美はパイプベッドに並んで座っている。


 つまり、めっちゃ近い。

 めっちゃ近くに女子が座っている。

 二人の太腿がふれあうほどに。

 もうそれだけでいっぱいいっぱいだ。


 なのに何故か俺達は学校からずっと腕を組んでいた。

 さらに何故か来美はすがりつくように身体を寄せている。

 

 めっちゃ近いどころではない。

 ばっちり接触している。


 来美のおっぱいに、俺の肘が!


 ちくしょう、俺の肘め!

 自分だけいい思いをしやがって!!

 ええい下郎、そこを代われ! 的な感じだ。


 しかも場所はベッドの上だよ?

 これで落ち着けってのは、酷だろう。少なくとも俺には無理だ。

 

 下手すると、しかるべき部分がエネルギー充填百二十%になりかねない。

 うっかりそんなことにならないよう、気をまぎらわせるのが精一杯だった。


「それにしてもさぁ、もうちょっとなんか置いたら? がらんとしてるじゃん」

「う、うるさいな。せまいんだよ、このアパート。置こうにも場所がないだろ」

「部屋はせまいのに、広く見えるって言ってんの。なーんにもないから。でしょ?」


 話の内容はごく普通。

 むしろディスられている感じだ。

 

 なのに、声はどこか優しげというか、甘い響きがあった。

 

 聞いていると頭がくらくらしてくるぞ。

 なに、これエロボイス?


 来美は自分のスマホを取り出し、カバーを開いた。

 ラメの入ったカバーはごちゃごちゃとデコられ、液晶はやはりひび割れている。


 うむ、色々と期待を裏切らない女だぜ。


「たけるん、スマホ貸してよ。アプリで友達登録するから」

「え? お、おう」


 いかん、思考力が低下している。つい素直に渡してしまった。

 来美は手馴れた様子でメッセンジャーアプリを操作すると、両手にスマホを持って振りはじめた。

 

 こうすることで、友達登録ができるらしい。

 ちなみに俺の『友達』はゲーム運営とかの公式アカウントのみである。


「ふれふれ開始ぃ。えいえいえい♪」


 俺は今、おっぱいが大きな女の子と腕を組んでいる。

 ちょっと考えてみて欲しいのだが、その娘が急に両手を振りはじめたらどうなるだろうか?


 当然ながらおっぱいはぶるんぶるんと揺れる。

 必然的にその素敵な感触は俺にも伝播されてしまうのだ。


 おいおい、天国か!


 あ、まずい。まずいですよ?

 このままではしかるべき部分がしかるべき状態へトランスフォームしてしまう。

 ロボット総司令官もびっくりだ。俺は緊急離脱を試みた。


「友達登録、完了ぉ……って、やだ、もぞもぞしないでよ。くすぐったいじゃん」


 さりげなく身体を離そうとしたが、簡単に引き戻されてしまう。離脱失敗。

 来美は俺のスマホをぽんとベッドに置くと、さらにぐいぐいと胸を押しつけてきた。


 ああ、なんということでしょう!

 たわわな量感がかもし出す素晴らしい弾力は感動の一言。

 絶妙な押しつけ具合に匠の技は冴え渡り、もともと使い勝手の悪かった俺のワンルームが、家族みんなでくつろげる開放感たっぷりのティーラウンジによみがえりかねない有様だ。


 しかも制服越しというのが、またたまらないよね!


 なんでそんなに突き出ているの? 

 おかしくない?

 これもう、武器じゃない?

 電磁投射的な禁止兵器ですよ!

 おのれ、衛星軌道から飛び道具を撃ち込むとは卑劣ナリー!!

 

 とか、錯乱している場合ではない。


 実は帰宅中、俺は何度も来美を追い払おうとした。

 しかしその度に「ええー、いいじゃんいいじゃん! たけるんの部屋、遊びに行きたーい!」とか言いながらおっぱいを押しつけられ、あっけなく敗北していたのだ。

 

 まさに怒涛の連敗。

 もし俺がプロ野球の監督だったら、とっくに契約解除だろう。


 なに、強引に腕を振りほどけばいいだろって?


 バカですか? なに言ってんの。

 無理無理。ぜーんぜん無理。

 そんなの机上の空論だ。できるわけがない。


 だって俺、童貞だもん。

 

 以上、証明終了Q.E.D.


「この部屋ってさ、誰か他の娘、きたことあるの?」

「ふっ……そりゃ、もちろん――」

「なるほどぉ。うちが初めてってわけね。たけるん、ぼっちだもんねー」


 勝ち誇ったように言わないで欲しい。涙が出ちゃうから。

 

 戦況は悪くなる一方である。

 遺憾ながら、人類には早過ぎた戦いだったのだ。

 これはもう大量破壊兵器。

 男なら誰しも逃れられない、大量破壊おっぱいだ。


 敗因はこのおっぱい。決して田岡ではない!


「誰、タオカって?」


 きょとんとした表情で、来美が顔を寄せてくる。

 やばい、口に出していたらしい。


 だけど、おかしいな。

 

 この娘は美人ではあるが、派手すぎるし特に好みのタイプではなかったはずだ。

 なんか、今日に限ってすげー可愛く見えるぞ。


 おっぱいマジックだろうか?

 魔法のおっぱいプリティキョニューン! とかだろうか。

 ニチアサ八時半から放送開始。

 必殺技はマジ狩る手ブラツイスト! ぽっちは絶対守り抜く!


――いや、なんだそれ。寸止め系のグラビアアイドルかよ。


 やばい。

 思考が乱れまくり、いっぱいいっぱいを越えて決壊しそうだ。


「ねぇ、たけるん。お顔が赤くないですかー?」

「エ? ソ、ソンナコト、ナイデスゾ」


 俺がてんぱっているのはバレバレだったろう。

 それを頃合いと見たのか。

 来美はくすくす笑いながら、爆弾を放り込んできた。


「ところでさ。たけるんって――見えるの?」


 言われた瞬間、自分の顔色が変わるのがわかった。

 同時に興奮がすっと醒めていく。

 

 なんだよ、またいつものアレか。


 ああ……また期待してしまったぜ。別方向だけど。


 考えてみれば当たり前だ。

 今までなんの関係もなかった女子が、どうして突然恋人じみた真似をする?

 理由がない方がおかしい。


 オカルト好きの娘ってそれなりにいるもんな。

 あるいはまた宗教の勧誘か。

 どっちにしてもろくでもない。

 俺はそんな関係は求めていない。

 正直、うんざりだ。


「今度はなんの話? 目なら悪くないよ」

「でもしょっちゅう具合悪そうにしているよね。こないだも保健室行ってたじゃん」

「持病があるんだよ。それがなに? 目とは関係ないし、興味本位でほじくらないでくれ」


 我ながらぞっとするほど冷たい声が出た。

 この娘には悪いけど、自業自得でもあるよな。

 そろそろ日没だし、さっさとお引き取り願おう。


「俺、飯の準備とかあるからさ。もう帰ってくれよ」

「ははあ。そっか、そっか。やっぱ、たけるんはマジもんなんだね」

「はあ? さ、いい加減にしてくれよ。迷惑だよ、本当に」

「あのさぁ、ここにくる途中に公園通ったじゃん?」

「だから?」


 一体なんだと言うのか。

 俺が苛立ちをあらわにしても、来美は平然としている。

 

「まっすぐ行った方が近いのに、たけるん、横道に曲がって遠回りしたよね。なんで?」

「それは――」やばいのがいたからだ。


「うちがコンビニに寄りたいって言ったらさぁ、わざわざ道を戻って別方向から回り込んだよね? もうお店が見えていたのに。あれ、なに?」


 それも、やばいのがいたのだ。

 昼だったせいで気配は薄かったが、見境なく人に祟りそうな悪霊が。


「公園のはうちもわかった。正面の出口横の繁みによね。コンビニのは自信ないけどぉ、手前のソバ屋とポストの間の路地あたりじゃない? なーんか、いやな感じがしたんだよね。あそこだけ、景色が暗っぽかったし」

「お前――」


 言いかけた言葉は、柔らかな唇にふさがれた。

 たっぷり数秒間口づけを交わした後、来美はそっと離れてささやいた。


「うちも、見えるんだよ。少しだけど、ね」

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