49-3:禁秘

 俺を欺いてまで手に入れた天使の核の片割れを、ハルに使った? なぜ? なんのために?



 今までの出来事が絡まり、津波のような疑問が押し寄せてきた。だが混乱と動揺で、湧き上がる疑問をうまく言葉に表せない。

 視線を彷徨さまよわせて狼狽ろうばいする俺に向かって、サタンが首をかしげた。


「君さ、あの『ハル』というヒトの子の傍にいて、あの子を感じたことはない?」


「あ……」


 俺の脳裏に、イーゼルに立てかけた画板と向き合うハルの姿が映し出される。


 天界ヘブンの下層に建つサフィルス城の湖畔で、その景色を写し取りながら、ハルはルシフェルが謀反を起こした『あの時』のことを語り始めた。ルシフェルがどのような気持ちだったのかを、当事者であるかのような口ぶりで話す姿に俺は困惑した。

 あの一瞬、幼いハルがルシフェルと重なって見えたのを覚えている。


「あの子の天使の核はね、『ハル』というヒトの子の中にあったんだよ」


「!!」



 だからか……。だから、真の『無垢の子』ではないハルが、ヒトに紛れた天使や悪魔を見分けたり、高位天使の力を使えたりしたのか。



 それが事実だとしても、根本的な疑問は解決していない。


「だが、どういうことだ? なぜ、ハルの中にルシフェルの核がある?」


 ハルが無垢の子と同じように座位のない状態になったのは、おそらくルシフェルの核が原因なのだろう。

 いつの間にか俺の横で腰を下ろしていたサタンは、苦い表情でわずかに口角だけをあげた。


「ハル、というヒトの魂はね、生まれてすぐに天界ヘブンへ戻るはずだったんだ」


「え?」


「そういう定めのヒトの子は、少なくない。君も知っているだろう?」


「……」


 ヒトの子は、そのすべてが必ずしも無事に産声をあげられるわけではない。

 母体に宿る前から命のふるいにかけられ、人間界の環境に適合した強い生命だけが生まれてくるのだ。

 だが、俺が出会ったハルは十歳だった。十年も生きていたのだ。それなのに、生まれてすぐに天界ヘブンへ戻るはずだった?


 眉尾をひそめる俺の心を見透かすように、サタンは困り顔で小さくうなずいた。


「そう……そうなんだ。あのヒトの子は、死の定めに反して生き続けた。それはあの子が……、ルシフェル熾天使の核を使って、死に際の魂をつなぎ止めたからなんだ」


「魂をつなぎ止める? どうやって?」


 俺の知る限り、死にゆくヒトの魂を生かし続ける術なんて聞いたことがない。

 サタンは大きなため息をついた。


「あの子はまず、悪魔の契約で喰らうはずだった母親の魂を使い、地獄ゲヘナにある生命セフィロトの樹の根とヒトの子の魂をつなげたんだよ」


「え?」


 思ってもみない言葉に、俺は目を見開く。サタンは何もない白の空間を見上げながら、さらに続けた。


「それから自分の天使の魂を使い、天界ヘブンとヒトの子の魂をつなげた」


「それって……」


「そう。つまり、『ハル』という名のヒトの子は、座位がないわけじゃない。天界ヘブン地獄ゲヘナ双方の座位を持っていたんだ。だからには、無垢の子であるかのように見えてしまった」


「そんなこと……できるのか?」


 サタンは白の空を見つめたまま眉をひそめ、今度は視線を地面へと落とした。


「できてしまった……と言ったほうが、正しいだろうね。あの子は、誰よりも探求心の強い子だったから」


 この世界のあらゆる知識を持ち、どんな魔法も使いこなす元熾天使ルシフェル。

 地獄ゲヘナに堕ち、禁忌である生命の創造という神の領域にも手を出し、マモンやアジダハーカといった悪魔を創り出した。

 そんなあいつが大切な天使の核を使い、消えるはずのハルヒトの命をつなぎ止めた……。



 でも、やはり分からない。なぜそんなことをした? ルシフェルにとって、天使の核は絶対に手放したくないはずなのに……。



 己の天使の核を割るためだけに俺と婚姻の儀をし、地獄ゲヘナの業火に焼かれまいと、必死な思いで持ち込んだ、天界ヘブンにいた唯一の証。

 それを、ごく普通のヒトの子であるハルに使い、その命をつなぎ止めた。

 おそらく、ルシフェルにそう行動させた、何か特別な理由があったはずだ。それが何か、俺には見当もつかない。


「理由は、あの子に直接聞いてみないとね」


 俺の心を読んだのか、そう言ってサタンは首をすくめた。

 相手の心を読む行為に対し、当てつけるように不快な表情を見せながらも、確かにその通りだと思った。真相は、ルシフェルにしか分からない。それにしても……。


「ルシフェルの天使の核がハルに使われたのなら、あいつはどうして、空のロケットペンダントをずっと大切に持っていたんだ?」


「……」


 わずかに目を丸くしたサタンは、あきれたような表情になる。


「なん……だよ」


 表情の意味を理解しかねないでいると、サタンは苦笑しながら頭を左右に振った。


「君さ、鈍いって言われない?」


「……は?」


「本当に君は、仕方のない子だなぁ……」


 地面に腰を下ろしたままのサタンは斜め上を見ると、パチンと指を鳴らした。


 白の空間に浮かんだままの淡黄色のスクリーンは、まるで息を吹き返すように『あの時』の前夜の薄暗い室内を映し出す。

 場面は、ルシフェルが記憶消去リコルドエファンセの魔法を、俺に使った直後のようだった。

 裸の俺は、ルシフェルの横をすり抜け、崩れるようにうつぶせでベッドへと倒れる。


 ルシフェルは、胸の前に浮かぶ二つに割れた核の片方を、自分の中に素早く押し込めた。左手を枕の下へ伸ばし、ごそごそと何かを探る。そこから出てきたのは、しずく型のロケットペンダントだった。

 ルシフェルは白銀のロケットペンダントを、宙に浮かぶ虹色の核の片割れに近づけた。すると、核は吸い込まれるようにその中へと入って行く。その後、ペンダントのふたがパチリと自然に閉じられた。


 秘密の計画をやり遂げた安堵あんどからか、ルシフェルはふぅと大きく息を吐く。彼女は、ベッドに横たわる俺を見下ろした。憂いを帯びながらも愛おしそうな表情で、俺の銀色の髪をで始める。だがその手は、すぐにピタリと止まった。

 ルシフェルの視線は、徐々に消えゆく俺の翼へと向けられている。

 次の瞬間、彼女は俺の翼から一枚の羽根を抜き取った。そして、自分の核を入れたばかりのロケットペンダントのふたを再び開け、抜き取った羽根をその中へと滑り込ませた。


 映像がそこまで映し出すと、パチンと指を鳴らす音がまた聞こえた。それを合図に、宙に浮いたスクリーンは音も立てずに霧のように砕け散る。

 地面に座るサタンは、立てた片膝に頬づえをつきながらニヤニヤと俺を見ていた。

 俺も苦笑いしながら、自分の肩に手をやる。


「俺の羽根……抜きやがって……」

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