47-3:真実

 考えたこともなかった。

 生まれたときから、この世界はすでに存在していて、それが何のために創られたかなんて、疑問にすら思わなかった。

 ましてや、天使たちのためだなんて、誰が想像できようか……。


 その場で立ち尽く俺を見ていたサタンが、困ったように笑う。


「やっぱり驚くよね。あの子も君と同じような顔をしていた」


「ルシフェルも……知っているのか?」


 サタンは、ゆっくりと首を縦に振った。


「もちろん。あの子はすべてを知っているよ」


「……」


「彼は、君たち天使がその存在意義を感じていられるよう、この世界を設計し直した。対立する悪魔。守るべきヒト。まるで、天秤てんびんのように移ろいやすい世界。君たちは、そんな世界の均衡を守るために、常に気を配らなければならなくなった」


 俺は眉をひそめた。視線を彷徨さまよわせてから、ボソリとつぶやく。


「ヒトの座位……」


「ご名答」


 サタンは、満足げに相好を崩した。



 ヒトは誕生と同時に、神から『座位』が与えられる。座位は本来、ヒトの魂が天界ヘブンへ戻るために必要な座標だった。

 しかし神はその座位に、天界ヘブン地獄ゲヘナの力の優劣を決める役割を付け加えた。

 座位の所有が多ければ、その世界が人間界に強い影響を与えられる。そんな仕組みに変えたのだ。


 悪魔は、ヒトの魂を喰らうことでしか飢えを癒やせない。

 だからこそ地獄ゲヘナは、天界ヘブンにある座位を奪うために、ヒトの魂を汚そうと積極的に企てる。人間界での影響が強くなれば、その分だけ多くの魂が喰えるからだ。


 一方俺たち天使は、ヒトの魂を守るために悪魔を排除する。

 人間界で天界ヘブンの影響力を、強くさせたいわけではない。神から与えられた天使の第一任務が、『ヒトの守護』だからだ。


「そんな彼を盲目的に敬う君たちは、この世で一番の被虐者ということか」


 サタンに言われた言葉が、俺の胸に重くのしかかる。

 そう、俺たち天使は、与えられた任務の意味を考えることを放棄していた。

 全知全能の神が決めた理に、ただ忠実に従うだけだった。恐ろしいほど、何の疑問も持たずに……。



 俺とサタンしかいない白一色の異空間で、どれほどの沈黙が続いたか分からない。

 あまりに多くの情報を受け取りすぎたため、俺の思考は整理しきれないでいた。

 冷静になるために目を閉じ、深く息を吸い込んでからゆっくりと吐き出す。そして、俺の横に立つサタンをあらためて見た。


地獄ゲヘナと人間界が、俺たち天使のために創られたという話は分かった。だが、サタン、おまえがいる地獄ゲヘナに、なぜルシフェルが必要なんだ?」


 ルシフェルが地獄ゲヘナを統治しなければならない理由を、俺はまだ聞いていない。

 先ほどまでにこやかだったサタンの表情が曇り、気まずそうに俺から再び視線を外した。


「それは……僕と彼が対だから……」


「対?」


 サタンは顔を背けたままうなずく。


「そう……。僕は……彼の、神の闇から生まれたんだ」


「神の闇……」


 俺たち天使にもヒトと同じように、憎しみや怒りといった負の感情を持っている。そうでなければ、喜びも愛情も理解できない。だから神は、正と負の感情をこの世界に生きるすべての者に与えた。

 その負の感情を、神自身も持っていたということか……。


 うつむくサタンの横顔が、一層険しくなる。


「闇がなければ、光は輝けない。当然、光である彼の中にも闇は存在する。そしてその闇が……」


 そこで言葉を区切ると、サタンは顔を上げた。まるで当時を回想しているかのように、虚ろな目になっていた。


「その闇が、サンダルフォンを失ったことで、制御できないほどに膨れ上がった。それこそ、世界を滅ぼしそうなほどに。だから、僕を生み出したんだ。自分の闇を切り離すために……」


「……」


 この言葉は、ケルビムが話していた「サタンは、サンダルフォンが自害したあとに創られた」という内容と一致する。

 サタンが神の闇から生み出されたことを、おそらくケルビムは知らなかっただろう。

 悪魔が誕生する生命セフィロトの樹の根と同様に、サタンの出自は、神に対する畏敬の念を揺るがしかねない真実。神はこれを、ひた隠しにしていたに違いなかった。


 サタンは正面の空間を見つめたまま、話を続ける。


「僕を生み出したとき、彼の中で、さっき話した世界の設計図が出来上がったんだ。地獄ゲヘナ天界ヘブンの対となり、僕は彼の対となる。そして、もう一つの『対』が必要だった……」


 俺は目を見開き息をのんだ。それでも喉の奥から、なんとか声を絞り出す。


「俺と……ルシフェル……?」


「……」


 サタンはすぐに返事をしなかった。

 肩を落とすように白の地面へ視線を下ろすと、何度か小さく頷く。


「そう……。君たちは、天使と悪魔という対になるべく、神によって創られた」



 あぁ……。だから……、だからなのか……。



 両手で頭を抱え俺は、その場に崩れ落ちる。

 サタンの説明をこれ以上聞かなくとも、俺はすべてを悟ってしまった……。


 神の計画は、おそらくこうだ。


 天使のために創られたこの世界では、地獄ゲヘナは決して天界ヘブン凌駕りょうがしてはならない。そして、天界ヘブン地獄ゲヘナをつぶしてはならない。

 重要なのは、均衡を保つことだ。どちらかに偏ることは許されない。

 もし世界の均衡が手の施しようのないほどに崩れてしまえば、神は前任者と同様に、世界を無に還すことを選択する。


 世界の均衡を保つには、神の意向をめる俺とルシフェルのどちらかが、悪魔を統率する必要があった。

 なぜなら、神が天界ヘブンの畏敬であるように、サタンは地獄ゲヘナの畏怖でなければならない。それゆえに、ほかの統治者が必要だった。


 メタトロンの執務室でそれを聞かされたルシフェルは、俺には地獄ゲヘナの統治は無理だと判断したのだろう。

 それは、間違ってはいない。

 サタンに「地獄ゲヘナの統治者になれと言われたら、どう答える?」と問われたとき、俺は即座にそれを拒絶した。

 俺は世界の存在意義を知り、地獄ゲヘナへ堕ちたとしても、弟妹たちを傷つけられない。

 そうしなければ世界が消滅すると分かっていても、俺は非情になる覚悟を持てなかったと思う。



 本当に……ルシフェルにはかなわないな……。



 地の底へ堕ちた神の御使いは、天界ヘブンに勝らぬよう、悪魔を巧みに操る。

 永遠に周囲を欺き続け、闇から光を見上げるしかない孤独で過酷な世界。

 地獄ゲヘナの業火に焼かれずとも、狂わずにはいられない。憎まずにはいられない。


 そうなると分かっていても、ルシフェルは地獄ゲヘナへ堕ちることを決めた。それは……



 俺を、弟妹たちを、愛しているから――


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