37-2:忌まわしき真実

 ハルは、自分の父がラナ・カーディフと夫婦であった事実に、ひどく狼狽ろうばいしているようだった。ガブリエルを見上げた彼女は、おずおずと尋ねる。


「あの……父は、母と結婚する前に、ほかの方と一緒だった……ということですか?」


 ガブリエルは、頭を大きく左右に振った。


「いいえ、そうではありません。ラナ・カーディフは、あなたの母君の本当の名です。事情があり、名を変えて生きておりました」


「名を……」


「あなたが彼女の娘である証拠は、こちらに」


 困惑するハルの前で、ガブリエルは画面を少しスクロールさせる。そして、魂の系譜に記載されている巻末を読み上げた。


「ラナ・カーディフ、ハル・エヴァットを出産」


 ハルは目を見開きガブリエルを見る。


「え……、でも……この系譜は確か……」


 空中に映し出された画面は、ガブリエルが読み上げた記述を最後に、すべてが黒く染まっていた。

 ガブリエルはゆっくりとうなずく。


「そう。この魂の系譜も、あなたのそう祖父君と同じです」


 ハルは片手で自分の口を覆い、視線を彷徨さまよわせながらつぶやいた。


「つまり……これが……私が生まれた記述が……最後……ということは……」



 十歳という年齢にもかかわらず、賢いヒトの子だ。



 それだけに、ルシファーとのつながりさえなければ、この娘を天使として育ててみるのも悪くはないのだが……。そんな思いがふと過る。

 だが、戯言のような考えは瞬く間に消えさり、ガブリエルは哀れむようにハルを見た。


「あなたの母君ラナ・カーディフは、あなたを出産した直後に、その魂を悪魔に喰われています」


「なん……で……」


 青ざめたハルに向かい、ガブリエルは核心を告げるために口を開く。

 だがそれを遮るように、ラジエルが声を張り上げた。


「お待ちください、ガブリエル様! これ以上のお話は、ミカエル様のご同席を願います!」



 ラジエルに体を預けるように立っていたハルは、あまりの声の大きさに、体をビクリと強張らせて彼を見上げる。

 ガブリエルも、突然の横やりに不快感をあらわにした。


「なぜだ? ラジエル」


「これはハルにとって重大な事柄です。つまりそれは、ミカエル様にとっても同じこと。ですから……」


 ラジエルの言葉に、今度はガブリエルが割って入る。


「これは、ミカエルも承知しているはずだ」


「……」


 ラジエルの目が微かに見開くのを、ガブリエルは見逃さなかった。

 おそらくラジエルは、ミカエルから無垢の子のを知らされていない。そうだとすれば、目の前に山と積まれた魂の系譜の出所も、彼は把握していないはずだ。

 そう読んだガブリエルは、青白い顔でこちらを見つめるハルに向かって言う。


「ここにあるものは、すべてあなたの血族の系譜です。それを大天使サリエルが、隠し持っておりました」


「サリエル?」


 その名を初めて聞いたのか、ハルは首を傾げた。

 ガブリエルが答える代わりに、彼女の横に立つラジエルが険しい顔で言う。


「ミカエル様が管轄する冥界へ、死者を導く天使です」


「ミカエルの……」


 ハルは話が見えないようで、ただ眉間にしわを寄せるだけだった。

 ガブリエルは、ハルからラジエルへと視線を移す。


「そのサリエルが独断で、ハル・エヴァット嬢にかかわる系譜を隠すと思うか? どう考えても、ミカエルの指示であろう?」


 ラジエルの眉が一瞬ピクリと動いた。しかしすぐに姿勢を正すと、こちらを真っすぐに見つめ返す。


「いえ、それは私の指示です。無垢の子であるハルに関係する情報を、目立たぬ場所へ移すため、一時的にサリエルに預からせておりました」


 あからさまな偽りを、ラジエルは堂々と口にした。

 ガブリエルの目が鋭くなる。


「ほぉ? 座天使の長に、そのような権限があるのか、ラジエル?」


 ラジエルはハルをその場に残すと、後ろへ一歩下がった。そして、右手を胸に当て深々と腰を折る。


「出過ぎたまねをいたしました。どうかお許しください」


 最敬礼をするラジエルに向かい、ガブリエルはわざとらしく大きなため息をついた。少し間を置き、バリトンの声を一層低くして尋ねる。


「座天使の長ラジエル、正直に答えよ。おまえは魂の系譜の山を見たとき、驚きこそすれ、それがハル・エヴァット嬢にかかわる系譜だと、すぐには気付かなかった。違うか?」


「……」


「これは、おまえの進退にもかかわることだ。慎重に答えよ、ラジエル。越権行為は、天界ヘブンではあってはならない。それを分かっていながら、サリエルに指示を出したのか? それとも、現状を把握した今、サリエルとミカエルをかばうために、この私に虚偽を申したのか?」


「……」


 しばらくの沈黙のあと、ラジエルは腰を折ったまま口を開いた。


「私が、サリエルに指示をいたしました」


 ガブリエルが不快な顔つきになる。


「あくまでも、それを貫くのだな」


「……」


 顔を上げることなく同じ姿勢を取り続けるラジエルを前にして、ガブリエルは苛立ちを感じた。

 それはラジエルに対してではない。彼が自分の進退を犠牲にしてでも守ろうとする、ミカエルに対してだった。



「あっあの……」


 膠着こうちゃくする二人の間に、ハルが慌てたように入ってきた。

 思ってもみなかった不意打ちに、驚いたガブリエルが彼女のほうを見る。

 ハルは胸に光るロケットペンダントを握りしめ、硬い表情で話を続けた。


「ミカエルもラジエルさんも、その……サリエルさんも、きっと、私を思ってのことなのだと思います。だから……どうか許してください」


 その言葉を聞いたガブリエルは、途端に表情を曇らせる。



 賢くはあるが、この娘はあまりにも純粋すぎる……。



 この石造りの別棟で初めて接見したとき、ルシファーの罪を己が償うと宣言した。あのときもこの娘は、自分の身に何が起こったのかを知らなかったのだ。


「私には、彼らの行為が、あなたのためになされたとは到底思えません」


「え?」


 予想外の答えだったのか、ハルはポカンとした表情でこちらを見る。

 ガブリエルは軽くため息をつくと、淡い青色のローブの懐から朱色の巻物を取り出した。


「ガブリエル様、それは……」


 中腰の姿勢のまま、ラジエルが警戒気味に尋ねる。

 しかしガブリエルは何も答えず、朱色の巻物をラナの系譜の上に重ねて広げ始めた。そして目的のところに到達すると、巻物から顔を上げて二人を交互に見る。


「これが、真相だ」


 ハルとラジエルは、ガブリエルが指さすところをのぞき込んだ。


「そんな……まさか……」


 そう言ったラジエルは、震える手で口を押える。

 それとは対照的に、ハルは不思議そうに首を傾げて、系譜を見つめるラジエルに尋ねた。


「無垢の子にも、魂の系譜があるの?」


 おそらくミカエルかラジエルから、無垢の子について何らかの話を聞いていたのかもしれない。しかし、どうやらそれは情報が不足していたようだった。その証拠に、己の発言の矛盾に、ハルはまったく気付いていない。


 広げられた魂の系譜にくぎ付けとなっているラジエルに代わり、ガブリエルが答える。


「いえ。本来、無垢の子は一代限りの魂。それゆえに、無垢の子には魂の系譜はありません」


「え? でも……」


 そう言って、ハルは朱色の魂の系譜に視線を落とした。ガブリエルも、同じように広げられた巻紙に目をやる。

 そこには、水色の文字ではっきりとその名が刻まれていた。



『ハル・エヴァット』と……。



 ガブリエルは、まるで答え合わせをするように口を開く。


「これは正真正銘、あなたの魂の系譜。私が、系譜の保管庫で見つけたものです。そして、あなたの母君を含め母方の血族は皆、悪魔によって魂が喰われた」


「……」


 ハルは目を見開いて、魂の系譜から顔を上げた。

 何かに気付いたラジエルは、一瞬息を吸い込むと、口をふさいでいた片手を離す。


「ガブリエル様、お待ちください……」


 制止しようとするラジエルを置き去りにし、ガブリエルはハルの顔を覗き込み、わずかに首を傾げた。


「このような残虐な行為をした悪魔は、一体何者か?」


「……」


 無言のままガブリエルを見るハルの体が、小刻みに震え始める。


 三人がいるダイニングは、傾きかけた太陽からの淡い光が降り注いでいた。

 その穏やかな室内が、冷たく張りつめた空気に侵食されていく。


「ガブリエル様……お願いです……」


 すがるようなラジエルの声を無視し、ガブリエルはまるで王手をかけるように続けた。


「あなたの大切な人を奪い、あなたを無垢の子に仕立て上げ、あなたの人生に苦を与え続けた悪魔。それは――」


「ガブリエル様!!」


 ラジエルが叫ぶ。

 しかしハルの瞳は、その核心を得たいと望んでいるように見えた。

 彼女の望みをかなえるべく、王の首を狩るようにガブリエルは告げる。


「魔王ルシファー。あなたが心から愛し、彼女に代わって罪を償うと私におっしゃった、あの忌むべき悪魔……ですよ」

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