37-1:忌まわしき真実
その『狭間』から
熾天使ウリエルが所有するサフィルス城の一室から、廊下にまで届く少女のしゃくり上げる声が永遠と続いている。
青みを含んだ白色のベッドの端に顔を伏せ、肩を震わせるハル。その傍らで、大柄のガブリエルは床に両膝をつき、体を丸めながら彼女の背中を優しくさすっていた。
ルシフェルという絶対的な存在に裏切られた『あの時』を経験したガブリエルからすれば、ハルの衝撃は想像に難くない。
だが、こうして彼女を慰めながらも、ガブリエルの心は別のところにあった。
「これが、
そう言って、こちらを見上げた銀髪の最高位天使ミカエル。その切れ長の赤い瞳には、ガブリエルがたじろぐほどに失望の色が広がっていた。
いままで向けられることのなかったその視線が、ガブリエルの心を揺さぶる。
これこそが、『あの時』の憎しみを引きずったままの天使たちを救い、歪んだ
ミカエルの失望のまなざしに、今の
しゃくり上げる泣き声に合わせ、ハルの体が上下する。
ガブリエルは彼女に悟られないよう、そっとため息をついた。
「あなたに惨いことをしてしまったわれらを、どうかお許しください」
それを聞いたハルは、伏せていたベッドから顔を上げて、涙でグチャグチャになった顔のまま首を横に振る。
「ガブリエル……さんが……あ……謝ることじゃ……ありません。だっ……だって……私は……真実を……知らないまま……、あ……あの人に……きっ……記憶を消されて……しまう……ところ……だったんですから……」
時々すすり上げながらも、ハルは何とか自分の思いを吐露した。
真実……か……。
捕らわれたルシファーを脱獄させるべく、ミカエルは
多少の変更はあったものの、彼の行動を含め、おおむねガブリエルの思惑通りに事は進んでいた。
そしてミカエルの不在を狙い、サフィルス城の隣にある石造りの別棟を訪れたのも、ガブリエルの『計画』の一つだった。
* * *
無垢の子が住む石造りの別棟は、サフィルス城の周囲にある森に隠されるように建っている。
ガブリエルは従者を伴い、前触れもなく訪れた。
別棟で従事している能天使たちはひどく困惑していたが、ガブリエルは構うことなく二階のリビングルームへと入る。
突然現れたガブリエルに、ラジエルは動揺しながらソファーから立ちあがった。
「ガブリエル様!? 一体、何事ですか!?」
目付け役の夢魔の代わりに、無垢の子とともにこの別棟に滞在しているラジエルは、ハルの身を守るように、さりげなく彼女の前へと移動する。
それを見たガブリエルは、一瞬眉をひそめた。だが、すぐさま感情を隠し、事務的な口調で言う。
「ハル・エヴァット嬢に関して、重大なことを伝えに来た。おまえは席を外せ、ラジエル」
ラジエルの体がピクリと動いた。そして、何を考えるように視線を
「大変申し訳ございません。私はミカエル様のご命令で、彼女のそばを離れるわけにはまいりません」
ほぉ……と、ガブリエルは心の中でつぶやいた。少し顎を上げ、目を細めてラジエルを見下ろす。
「私の命令でも、か?」
「……失礼ながら、私の直属の上官はミカエル様です」
目をそらすことなく、ラジエルはそう言い切った。
さすがは、ミカエルの腹心の部下。この程度で臆することはないか、とガブリエルはひそかにため息をつく。
「好きにするがいい……」
そう言うと、ガブリエルは、リビングルームの向かいにあるダイニングへと向かった。
八人掛けの
程なくして、山と積まれた巻物を載せた金色のトレイを持った別の従者が入ってくる。そして、その金のトレイをガブリエルの前へそっと置くと、従者はおずおずと部屋から出て行った。
それを見届けたラジエルは、無垢の子ハルを抱き寄せながらテーブルへと近づく。
不安そうな表情をしているハルの肩にそっと手を添えたまま、ラジエルが尋ねた。
「これらは?」
だがガブリエルは、ラジエルではなくハルのほうを見て答える。
「これは『魂の系譜』。ヒトの魂がどのような人生を歩み、そして、どのように生まれ変わりを繰り返してきたかが分かる巻物です」
「……」
ハルは眉をひそめながら、金のトレイに積まれた巻物を見つめていた。
そこでガブリエルは、巻物の山から渋みがかった黄緑色の巻物を取り出す。
「この魂の系譜は、あなたの母方の
「私の……」
ボソリとつぶやくハルは、戸惑ったように隣にいるラジエルを見上げた。
テーブルに置かれた巻物の山を見つめていたラジエルは、警戒するような声色で再び尋ねる。
「一体何をなさるおつもりですか?」
しかしガブリエルは、ラジエルの問いにはやはり答えず、巻物を縛る深紫色の
巻物の巻末に差し掛かったところで、
「これは……まさか……」
ラジエルは、そう言ったきり無言になった。
言葉を飲み込むラジエルの代わりに、ガブリエルが答える。
「そうだ。レイモンド・カーディフは、悪魔にその魂を喰われている」
そしてガブリエルは、巻物から再びハルに視線を移した。
「彼の名前が刻まれて以降、記載する部分がすべて黒塗りになっているのが、お分かりになりますか? これは悪魔に魂を喰われ、
いまだに状況を
「あの……そもそも、この方が私の曾祖父だと、なぜわかるのでしょう? 私は、父からその名を聞いたことがありません」
ハルの問いを予想していたガブリエルは、巻物の山から黄色味かがった薄い赤の巻物を取り出した。
「こちらは、ラナ・カーディフの魂の系譜です」
「ラナ……」
ハルは記憶の中を探すような表情で、ガブリエルが手にする巻物を見つめる。彼女の隣に立つラジエルも、何かを思案するような顔つきで凝視していた。
ガブリエルは巻物の紐を解くと、『レイモンド・カーディフ』の魂の系譜に重ねて広げる。
その巻物の巻末もレイモンドと同様に、それ以上の記載ができないよう黒く染まっていた。
巻物の最後に刻まれた『ラナ・カーディフ』の名に、ガブリエルが手をかざす。すると、水色の文字が光りだし、ラナの詳細な情報が空中に映し出された。
ガブリエルはハルにも見えるように画面の角度を変えると、そこに記載されている内容を読み上げる。
「ラナ・カーディフ。シリル・カーディフとフェリシア・カーディフとの間に生まれる」
空中に浮かぶ画面を、ガブリエルは手のひらでスクロールし始めた。
流れるように進むラナの魂の系譜には、ところどころにインクが
その画面を不思議そうに見ていたハルの体が、突然ビクリと跳ねた。
「お父さん……」
ボソリとつぶやくハルに向かって、ガブリエルは
「そうです。あなたの父君グレイ・エヴァットは、この時点でラナ・カーディフと出会っています」
「……」
画面から視線を外したハルは、
それに気付いたラジエルが、彼女の体を自分のほうへと抱き寄せる。
ガブリエルは、さらに画面をスクロールした。そして、ある記述で画面を止める。
「ここで、ラナ・カーディフはグレイ・エヴァットと婚姻関係……すなわち、夫婦となっています」
「え……?」
驚いたハルが画面を見上げた。
その姿を見て、ガブリエルは確信する。
やはりこの娘は、自分の出生について何も知らされていないのだと。
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