31-2:サタンの居城

 ギャァギャァと喚く大ガラスに応戦するカマエルの脇を、俺は身を屈めてすり抜けた。

 俺たちのすぐそばまで迫るマモンが、カマエルの胴を横から打ち払おうと剣を振るう。それを俺の剣が、ぎりぎりのところで受け止めた。


 ガキン!


 磁石のように合わさる互いの剣身が、ギギギギと耳障りな音を立てながら擦れる。


「サタンも落ちたもんだな! こんなゴミを簡単に城内へ入れやがって!!」


 吐き捨てるように言うマモンの剣を、俺は無言で弾き飛ばした。

 その勢いでよろよろと後ろへ下がったマモンは、俺たちをにらみつける。


「クソッ! おまえら何者だ? アガリアレプトにでも頼まれたか? それともアスタロトの差し金か?」


「……」


 暗黒色のローブを目深に被る俺は、マモンを牽制けんせいしながら、この先どうするべきかを考えた。


 ベルゼブブが俺たちに手を貸す際、アガリアレプトに「おまえは誰にも見つかってはならぬ」と命じたのは、ルシフェルの立場をこれ以上危うくしないための配慮だろう。

 そうであるなら、俺たちもマモンに正体を知られるわけにはいかなかった。

 だがこうなった以上、一刻も早く俺たちはルシフェルとともにサタンの城から脱出しなければならない。


 アガリアレプトによると、サタンの城はとてももろく、簡単に破壊できるらしい。

 だが、この城は生き物のように自己再生能力があり、それが厄介だというのだ。

 仮に壁を壊し脱出する場合、タイミングを見誤れば、その再生能力に巻き込まれ、城と同化してしまうとのことだった。


「主が一緒なら、素直に城の正門から出たほうが無難かもね」


 別れ際、アガリアレプトがボソリと言った言葉を思い出す。しかし、この状況では……。



 無言の俺にしびれを切らしたのか、マモンは、剣を握っていないほうの手のひらを上へ向けた。


「答える気はないか。まぁいい。どうせおまえらは、ここで仕舞だ」


 そう言うと、彼の手のひらから黒煙状の大きな塊が湧き上がる。その塊は徐々に大鴉へと変化した。


「!!」



 魔力が使えない場所なのに、なぜだ?



 そういえば、人間界で初めてマモンこいつを見たときに、ルシフェルに言っていた気がする。あの大鴉は『自分の陰』なのだと。



 つまり、魔力を必要としない?



 そんなことを考えていると、空気を切り裂く音が聞こえ、俺は反射的に体を捻る。

 マモンの剣が、俺のフードの端をわずかに切り裂いた。


「ちっ」


 舌打ちをしたマモンの横から、大鴉が俺を目掛けて突進してくる。俺は下から上へと剣を振り上げるが、大鴉はそれをぎりぎりのところで避けた。

 その隙を狙い、俺の左脇を切り裂こうとマモンの剣が横から走ってくる。振り上げた俺の剣は、弧を描きながらマモンの剣を下からぎ払った。

 再び大鴉が右上から俺の首筋を狙ってくる。俺は剣の柄から片手を放し、暗黒色のローブを振り広げ、大鴉の視界を遮る。

 いったん後ろへ下がったマモンが、俺に向かって剣を突き上げた。俺はローブを振り広げた勢いを借りて、マモンの剣を避け、左足でやつの腹を蹴り飛ばす。


 バァァァァン!!


 マモンの体は後ろへ吹っ飛び、ろうに激しく叩きつけられた。通路の端から端まで整然と並ぶ黒の鉄格子が、共鳴するようにブルブルと震える。


 主を守ろうと、大鴉が俺とマモンの間に乱入してくる。バサバサと必死に翼を羽ばたかせ、鋭い爪を立ててきた。それを剣で受け止めた俺は、鴉のあしゆびを打ち払う。

 大鴉が後ろに引いたわずかな瞬間を狙い、俺はその胴を下から上へと切り裂いた。しかし、くうを切るような手ごたえ。俺に切り裂かれた鴉は黒の煙に戻り、跡形もなく消え去った。



「大丈夫ですか!?」


 カマエルも応戦していた大鴉を仕留めたのか、俺のもとへとやってくる。


「あぁ、問題ない」


 戦ってみて分かったが、大鴉を操れたとしても、どうやらマモンは武術に長けてはいないようだ。


「くっ……てめぇら……」


 俺たちをギロリと見たマモンは、地面に片手をつく。

 何をする気かと警戒していると、彼が触れた灰色の地面から濃紺の煙が湧き上がった。


「サタンの従属たちよ、侵入者を排除せよ!」


 マモンの言葉を聞いたサキュバスが叫ぶ。


「ヤバイ! グールを呼び寄せている!!」


「グールって……あの?」


 ヒトの死肉を喰らう最下級の悪魔グール。

 何をそんなに慌てることがあるのかと困惑する俺に向かって、ルシフェルが言う。


「サタンのグールは倒せない。この城と同じで、何度でも再生するから」



 マジかよ……。



 いくら最下級の悪魔でも、倒せないのであればこちらの身が持たない。それに、何か嫌な予感もする。

 マモンは口角をゆがめ、俺たちを見た。


「グールとともに、この城に取り込まれるがいい」


 マモンの周りに充満する濃紺の煙の中から、高さ二メートルを優に超えるヒト型の悪魔が現れる。



 こいつがグール……。



 灰色の城壁と同じ色をした筋肉の筋しかないグールは、まぶたのない深紅の目で俺を見ると、ゆっくりと近づいてきた。


 グールの死角から飛び出したカマエルが、その体を真横から切り裂こうとする。だが、グールは彼の剣身を素手で受け止めた。


「くそっ……」


 カマエルは剣を引き抜こうとするが、まったく動く気配がない。

 彼の剣を握りしめるグールの巨大な手は、さらに力を込めて、わざとその剣身を食い込ませているようだった。


「こいつ……もしかして、取り込んでいるのか?」


 俺は剣を構えながら、あぜんとした。


 カマエルの剣を飲み込むグールの手は触手のように急速に広がり、剣身を伝ってカマエルへと迫りくる。

 それに気づいたカマエルは慌てて剣の柄から手を放すが、グールの触手が彼の腕へと巻き付いた。

 それを見た俺はすぐさま剣を振り下ろし、カマエルに絡みつく触手を真っ二つに切る。その反動で、カマエルは後ろへとよろめいた。


「大丈夫か!?」


「すっすみません……」


 その間にも、マモンは新たなグールを呼び寄せていた。濃紺の煙の中だけでなく、灰色の壁からもグールが次々と湧き出てくる。


「まずいな……」


 剣を構えながら、思わず俺はつぶやいた。



 通路がグールで埋め尽くされていく様を見たサキュバスが、黒の鉄格子にしがみつく。


「ルファ、行こう!! このままだと、みんなグールに取り込まれちゃうよ!!」


「……」


 牢内にいるルシフェルは、迷った表情で立ち尽くす。

 サキュバスが、懇願するように再び叫んだ。


「ルファ!!」


 それを見たマモンは、口角を歪めて笑う。


「ちょうどよい機会だ。脱獄をたくらんだ元魔王を、やむを得ず処分する。皆も納得するだろうよ。さぁ行け! サタンの城にあだなす者を排除しろ!!」


 マモンの言葉を合図に、無数のグールたちが、一斉に俺たちのほうへと猛進してくる。

 そのときだった。


「アジダハーカ!!」


 ルシフェルが叫ぶ。


 ゴゴゴゴォォォォォッという地響きとともに、俺たちの体が大きく揺れた。

 天井高く突き刺さっていた鉄格子が、こちらに向かって薙ぎ倒される。


 崩れ落ちてくる瓦礫がれきから、俺は反射的に身を防いだ。

 何が起こったのか理解できないでいると、突然、俺の体がふわりと宙に浮く。


「!?」


 バゴォォォォン!!


 再度のごう音とともに城の壁が崩れ、赤銅色の光が差し込む。


「なっ……」


 気がつくと、俺は何かにわしづかみされたまま、城外へと出ていた。

 崩れた城の内部に取り残されたマモンが、グールたちとともに俺を見上げる姿がちらりと見える。だが、サタンの居城は瞬く間に巨大な穴をふさぎ、彼の姿はその内側へと消えてしまった。



 空中に浮かぶ俺の体は、バウンドするように上下に揺れる。頭上から声が聞こえてきた。


「どこへ行けばいいの!?」


 見上げると、紫色の鱗甲りんこうまとった三頭竜のアジダハーカが、俺たちをその趾で捕まえたまま、地獄ゲヘナの空を羽ばたいていた。


「最下層へ向かって!!」


 俺からはその姿は見られないが、ルシフェルの声が聞こえてくる。

 俺は他の二人が心配になり、安否を確かめるように叫んだ。


「カマエル! サキュバス! ちゃんといるんだろうな!?」


 それに答えるように、どこからか二人の声がした。


「いるよぉ……」


「大丈夫です!」



 アジダハーカは翼を羽ばたかせながら、上空を大きく旋回する。

 それに伴って、草すら生えていない赤黒い大地の先に、半透明の壁のようなものが薄ぼんやりと見えてきた。

 アジダハーカの軌道は、地獄ゲヘナの大地と空を突き抜けるその壁へ向かうように、徐々に修正される。



 あれは……。



 俺は眉をひそめた。

 奥に見えるは、天界ヘブンの中心にそびえ立っている生命セフィロトの樹そのものだったからだ。


 天界ヘブンの各階層の間に空間の歪みがあるように、天界ヘブン地獄ゲヘナの世界の間にも、一部を除いて空間の歪みがある。

 しかし生命セフィロトの樹だけは、この空間の歪みを無視し、二つの世界を貫いていた。



 ルシフェルは、この地で生命セフィロトの樹を見て何と思うのだろう……。



 そう考えると胸が苦しくなる。


 俺の気持ちを知る由もないアジダハーカは、生命セフィロトの樹へと近づいていく。

 そばまで行くと、地獄ゲヘナの大地は大樹に触れることなく、その手前で終わりを迎えているのが分かった。眼下には、闇へ引き込むような深淵しんえんが、パックリと口を開いているのが見える。

 アジダハーカは躊躇ちゅうちょせずに、その深淵、地獄ゲヘナの最下層がある谷底へと急降下した──

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