20-1:水と油
「おっお待ちください! ミカエル様っ!!」
制止しようとする能天使を無視して、両開きの玄関扉を開いた俺は、エントランスを縦に切り裂くように大股で歩いて行く。
目的の部屋は一目瞭然だった。
白に金の装飾が施された扉の前に直立不動で立つ護衛の座天使が、俺の姿に気がつき困惑した表情を浮かべる。
「ミカエル様……只今……その……」
言い淀む座天使を俺は軽く睨んだ。
「中にガブリエルがいるんだろう? そこを退け」
「しかし、どなたも入れぬようにとガブリエル様が……」
さすがはガブリエル
ガブリエル付きの座天使の言葉は俺をさらに苛立たせた。ガブリエルの命令を忠実に守ろうとする座天使をギリギリと睨みつけ、その肩を掴んだ俺は力尽くで彼を退かせようとした。
そのとき、部屋の中からバリトンの声が聞こえてくる。
「構わん、開けろ」
その声を聞いた俺は座天使を一瞥すると、ノブに手をかけ思い切り扉を引いた。
バンッ
派手な音を立てて扉が開く。と同時に、室内へ入った俺は大声で叫んだ。
「ハル!!」
部屋の明るさに一瞬目が眩む。だが、扉のすぐそばにガブリエルの姿を見つけた俺は、彼に向かって刺すような視線を投げつけた。
「ガブリエル! お前っ」
怒りのままガブリエルの胸ぐらを掴んだ瞬間、俺は腰のあたりにドンと衝撃を喰らう。何ごとかと見ると、栗色のツインテールの髪形をしたハルが俺にしがみついていた。
ガブリエルを掴んでいた手を一旦離した俺は、膝を突いてハルを優しく抱きしめる。
「ハル……すまない……」
ハルは俺の肩に顔を埋めながらも、無言で頭を左右に振った。
俺はガブリエルを見上げ再び睨みつけたが、彼は意に介す様子も見せず目を細めただけだった。
「今日の接見はすでに終了した。今後の話は、
「言われなくてもそうする。けどな……」
そう言いながらハルを体からそっと離し、俺はガブリエルと対峙するように立ち上がる。
「ガブリエル、まずはお前に話がある」
「……」
「ミカエル……」
ポツリと俺の名を呼び不安そうに見上げたハルの頭を、俺は優しく撫でた。
「こっちには三日ほど滞在する予定なんだ。今夜の晩餐は一緒に食べよう」
俺の服の裾をぎゅっと掴むハルはコクリと頷く。それを見たガブリエルは肩をすくませた。
「好きにするがいい」
それだけ言うとガブリエルは悠然と廊下へ出て行く。
俺はそれを見届けてから、あらためてハルと視線を合わせるために片膝を突こうとした。だが、ハルが俺の服の裾を握りしめたままであることに気がつく。
僅かに震えるその小さな手からハルの不安が伝わってきた。このまま俺が戻らないのではという懸念。
ハルの不安を感じ取った俺は軍服の上着のボタンを外し始めた。ハルはそれを不思議そうな顔で見る。
「ハル、これ、預かっていてもらえるかな?」
そう言いながら、俺は脱いだ上着をハルに手渡した。
「私が持っていて、いいの?」
俺の上着を体いっぱいで抱えるハルは、少し安心したような顔つきに変わる。
ネクタイを緩ませながら、俺は彼女に微笑んだ。
「あぁ、夕食まで頼む」
「うん、分かったわ」
コクリと頷くハルの頭をひと撫でた俺は、ソファーの近くで立ち尽くすサキュバスに顔を向けた。
いつもなら女の姿でいるはずが、今日は男の姿になっているサキュバス。それだけで、ガブリエルとの接見で何かがあったと十分にうかがい知れた。
俺と目が合い苦々しい表情へと変わっていくサキュバスに無言で頷くと、誰に向かって言うわけでもなく「行ってくる」と宣言し、俺は部屋を後にした。
* * *
俺たち四大天使は、本来、上層にそれぞれの居住区が与えられている。だが、ウリエルだけは
その中のひとつ、
有事の際、最前線で悪魔と戦う能天使が、ハルたちが住んでいる別棟の警護などに多く配属されているのは、この駐屯地が近いためだった。
そして、俺がウリエルにハルを預けた理由はもう一つある。それはウリエルと能天使たちとの間に深い関係があったからだ。それも、ウリエルが黒いものを「白だ」と言えば、それが彼らの中でまかり通るほどに。
ウリエルの指示に能天使たちが忠実に従うからこそ、俺がそばに居なくとも、訳ありのハルを彼らに任せられるのだ。
石灰岩の白いタイルが敷き詰められたサフィルス城の廊下を、先を行くガブリエルの背を睨みつけながら、俺は黙々と歩いていた。
ガブリエルはまるでこの城の主のように、目的の部屋の前まで歩みを進める。金の装飾が施された濃紺の両開き扉の前にいた能天使が、ガブリエルの歩みを止めることなく無言で扉を開けた。
ガブリエルがその部屋へ入り、俺がそれに続くのを見届けると、能天使は開けた扉を僅かな音を立てるだけでそっと閉じていく。
俺はその音の気配を背中で感じてから、部屋の中央付近にいるガブリエルに向かって低く唸った。
「一体どういうことなのか、説明してもらおうか?」
ガブリエルは俺をチラリと見ただけで、ガラスの水差しが置かれたダイニングテーブルまで歩くと、コップに注いだ水をゴクゴクと飲んだ。
相手のタイミングに合わせず、自分のペースへ引き込もうとするガブリエルのやり方に俺は毎回苛立ちを覚える。
「ガブリエルっ!」
冷静さを欠いてはならないと頭では分かっていても、ハルがどんな思いでガブリエルと会ったかを考えると、俺の怒りは収まらなかった。
怒鳴る俺のほうを振り返ったガブリエルは、冷淡なまなざしを向ける。
「お前こそ、一体どういうつもりなのだ?」
「は?」
不愉快さを前面に押し出した俺の態度にガブリエルはため息をつくと、寄木細工の床を再びコツコツと歩き、淡青色の三人掛けのソファーにドカリと座った。
それを見た俺は、向かい側にある同じ三人掛けのソファーに乱暴に座り、再びガブリエルを睨みつけた。
「何が言いたいんだよ?」
「私が気づいていないとでも思っているのか?」
「だから、何なんだよ!」
苛立ち怒鳴る俺の声の余韻が消える前にガブリエルが言う。
「あの娘を天使にするつもりなのだろう?」
「!?」
ガブリエルが射抜くような眼で俺を見た。
いきなり虚を衝かれた俺は思わず押し黙る。しまったと思ったが、すでに手遅れだった。
眉をひそめたガブリエルは、俺から目を離すことなく腕を組み、ソファーの背に体を預けてから再び大きなため息をついた。
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