19-1:接見

 ハルが滞在する下層の石造りの別棟は、ガブリエルとの接見に向けて、連日慌ただしく準備が進められていた。

 いつも抜かりないほどに清潔な室内はさらに入念に磨かれ、別棟の隣にあるサフィルス城に続く小道の整備や、建物の周囲を彩る花の植え替え、木の剪定せんていなども能天使たちの手により丹念に行われている。


 まるでどこかの国の王が訪れるような雰囲気に、熾天使ガブリエルとは、ここまで特別な存在なのだろうかと、ハルは驚いていた。


「お城のほうが、ここよりも大変みたいよ。なにせ、ガブリエルがお泊まりになるんだから」


 ハルの横でサキュバスが苦笑いをする。


「そうなんだ……。ガブリエルって偉いんだね。どんな天使なんだろう?」


 行きかう能天使たちを見ながら、ハルは首をかしげる。サキュバスも同じように「さぁ?」と首を捻った。



 ミカエルの兄弟天使は、皆、優しいけれど……ガブリエルはやっぱり違うのかな?



 ミカエルの長弟であり、四大天使の一人熾天使ガブリエル。彼は、かつて熾天使であったルファにとっても、弟ということになる。そのルファが、ガブリエルのことを「抜け目ない」と言い、ミカエルもそれを否定しなかった。

 ハルはそのことを思い出すと、ガブリエルはやはり恐ろしい天使なのではないか? と考えてしまう。すると途端に、言い知れぬ不安が押し寄せる。

 それを打ち消すように、接見の日にはミカエルにも会えるのだからと、ハルは自分に言い聞かせた。そうすることで、不安が薄らぐのだ。

 ただ最近、ミカエルのことを考えると、ハルの胸は不思議な騒めきが起きる。うれしくも、どこか落ち着かない感じ。これは一体何なのだろう?


 ハルは、接見の日がずっと来なければよいと思う反面、早く来てほしいとも思っていた。



*  *  *



 接見二日前、ハルは普段と変わらずダイニングルームで、サキュバスと朝食をとっていた。


 トトトン


 いつもと違い、せわしないノック音。

 サキュバスが返事をしようと口を開きかけたが、それを待たずに扉が開かれる。

 慌てたように飛び込んできたのは、ハルたちの身の回りを世話するアテンドの能天使だった。


「お食事中、申し訳ございません。先ほど、城から使いの者が参りまして。あの……このあとガブリエル様がこちらにいらっしゃる……と……」


 それを聞いたサキュバスが目を見開く。


「どういうこと? 接見は二日後よね? ミカエルも来ているの?」


 立て続けに尋ねられた能天使は、困惑した表情で首を左右に振った。


「いえ……、ミカエル様はまだお見えになっておりません。私にも、何がどうなっているのか……。接見は確かに二日後と伺っておりました。ですが、昨夜突然、ガブリエル様だけがサフィルス城にご入城されたようで……」



 ミカエルがいない? それじゃ、私たちだけでガブリエルに会うの?



 予期せぬ事態に、部屋の空気が一気に張り詰める。

 ハルは胸元のペンダントにそっと触れた。ルファと離れる際、彼女から託された大切な白銀のロケットペンダントだ。

 いつの間にか席を立っていたサキュバスが、ハルを守るように肩を引き寄せる。


「大丈夫よ、ハルちゃん。でも、何とかしなきゃ……。ねぇ、今日の接見を遅らせることはできない?」


 サキュバスの問いに、アテンドの能天使は首を横に振った。


「無理です。ガブリエル様がお決めになったことを、私たちが変えることはできません」


 サキュバスは「うーん」とうなりながら、肩を抱き寄せていたハルを見下ろす。


「じゃあ、ハルちゃん、仮病使っちゃう? おなかが痛くて今日は会えません、とか」


「えぇっと……」


 サキュバスの提案にどう答えてよいかハルが困っていると、能天使があきれ気味に口をはさんだ。


「ラファエル様ほどではございませんが、ガブリエル様も癒やしの術は心得ておりますよ……」


「えぇー、そうなの? それなら、床に大穴開いちゃって、接見できなくなりましたーとか」


 能天使が眉間にしわを寄せて答える。


「それは私たちの不手際になるので賛同致しかねます。それに、接見はここでなくとも、城でも行えますし……」


「んー、それじゃぁ……」


 折り曲げた指を唇に押し当てながら、サキュバスは真剣な表情で考え込む。

 真剣なのだが、非現実的なことばかりを言う彼女の姿に、ハルはおかしさがこみ上げてきた。口元を隠しながらクスクスと笑いだす。

 それに気づいたサキュバスと能天使は、不思議そうにハルを見た。


「ハルちゃん?」


「ハル様?」


「あっ……ごめんなさい。二人のやり取りを聞いていたら、なんだかおかしくなっちゃって……」


 そう言うと、ハルは一つ大きく深呼吸をする。


「ミカエルがいなくても、私は大丈夫。だって、ガブリエルさんは、ミカエルの弟だもの。怖いことなんてないわ」


 半ば自分に言い聞かせるように、ハルは声を張り気味に言う。



 大丈夫。きっとできるわ。



 心の中でそうつぶやくと、ハルは胸に光るロケットペンダントを強く握りしめた。




 それから一時間後、サフィルス城の隣にある別棟のエントランスホールでは、ハルとサキュバスが扉と対峙たいじするように立っていた。そればかりではなく、この建物に携わるすべての天使が、ガブリエルの出迎えのために玄関扉の左右に整然と並んでいた。

 張り詰めた空気の中、否が応でも緊張が高まるハルは、無意識に胸元のペンダントに手をやった。隣にいるサキュバスが、気遣うように彼女のもう片方の手をそっと握る。



 大丈夫、大丈夫……。



 ハルは心の中で呪文のように何度も唱えた。

 エントランスホールに、どこからともなく声が響く。


「ガブリエル様がお着きになりました」


 それを合図に、両開きの玄関扉が大きく開かれた。

 ハルたちが立つホールに光が差し込む。そのまばゆい光の中心に、薄紫色の軽くうねった長髪の天使が数人の従者を従えてたたずんでいた。



 あの天使が……。



 起立の姿勢になっていたハルの手に力が入る。

 ミカエルよりも細く切れ長で藍色の瞳がハルの姿を捉えると、眼を一層細めて満足そうに微笑ほほえんだ。


「これはこれは、無垢の子自らお出迎えとは……」


 ここにいるどの天使よりもひと際大きな体の天使は、ハルの前まで歩み寄ると、片膝をついて頭を垂れた。周囲にいた天使たちが騒めく。


「お初にお目にかかります。私は熾天使ガブリエル。人間界の統治を任されております。以後お見知りおきを」


 ハルは握っていたサキュバスの手をそっと離し、一歩前へと進み出た。


「ハル・エヴァットと申します。このような手厚い庇護に、心から感謝しています。そして、ごあいさつとお礼が遅くなりましたことをどうかお許しください」


 事前に練習していた口上を何とか言い終えると、ハルはスカートの裾を軽く広げて深々と身を屈めた。

 頭を垂れていたガブリエルが顔を上げ、ニコリと笑う。近くで見るとその笑顔は、ミカエルに少し似ている気がした。



 やっぱり兄弟……なんだ。



 ミカエルとガブリエル、異なる雰囲気を持つ二人の共通部分を見つけたハルは、少しだけ安心する。


 ガブリエルはその場に立ち上がると、ハルの前に大きな手を差し出してきた。

 戸惑いつつもハルはその手を取る。すると、彼はそのまま自分の体を横に向け、曲げた肘にハルの手をそっと置いた。


「では、参りましょうか」


 そう言うと、大柄なガブリエルはハルの歩調と合わせるように、ゆっくりとエントランスホールを歩き始めた。

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