17-2:夢の隙間
ある時を境に、夢の中でルファと会えなくなったサキュバス。それまでルファは、自分の宮殿に軟禁されていたのではないか、とサキュバスは感じていたらしい。おそらく、その認識は正しい。
ベッドの上で胡坐をかいている俺は腕を組み、不安そうな表情でこちらを向いている男のサキュバスを見つめ返した。そして、最初の質問に戻るように尋ねる。
「何か思い当たることはないか? 突然夢に侵入できなくなった理由」
「うーん……」
顎に手を当て、考えを巡らせ始めたサキュバス。やがて何かに思い至り「まさか……」とだけ言うと、彼の体が小刻みに震えだした。
「どうした?」
サキュバスの急変に、俺の不安もさざ波のように騒めきだす。彼は体の震えを抑えようと、両腕で自分の体を抱きしめ、弱々しい声で答えた。
「たぶん……たぶんだけど……魔力の使えない場所に……ルファが移動したんじゃないかな……」
その答えに今一つピンと来ない俺は、サキュバスが何に怯えているのか、よく分からなかった。
「魔力の使えない場所? そんな場所があるのか。それはどこにある?」
「僕が知っている場所は、たったひとつだけ……」
なぜかはっきりと答えないサキュバス。俺は少し苛立ちを感じながら、片手をベッドに押し付け、身を乗り出して再度彼に尋ねる。
「それはどこだ?」
「……ダマーヴァンド山の……サタンの居城……」
体を小さく丸めたサキュバスは、今にも消え入りそうな声でポツリとつぶやいた。その横顔を、俺は思わず凝視する。
サタン……かよ……。
魔王サタンは、かつて神に仕える御使いでありながら、堕落して悪魔となり
俺やルシフェルが創られるよりもっと昔に、神の手のより創られたらしいのだが、詳しいことは分からない。ただひとつ確かなことは、俺たち熾天使よりもサタンの力は遥かに上だということだ。
神はなぜ、そのような力をサタンに与えたのか分からない。サタンがなぜ、
そんなサタンの居城は、
今の
そんな奴の城に、三支配者の一人であるルシファーが移動させられたとしたら、それは何を意味する?
俺は無意識に止めていた息を吐きだした。そして、前のめりになっていた体を元の位置へと戻すと、手元のシーツを睨みつける。
ルファが……ルシフェルが牢獄の向こうで俺に向かって手を伸ばしている幻影が頭の中でチラついた。俺はそれを振り払うかのように天井を仰ぎ見ながら深呼吸をし、再びサキュバスのほうへ顔を向ける。
「そこに……サタンの居城に移動した意味は……何だと思う?」
サキュバスは俺を見ることなく、視線の先にあった窓辺のカーテンを空虚なまなざしで見つめていた。少しの間があった後、彼は絞り出すように言葉を発した。
「ルシファーの……支配者としての……地位の剥奪……」
予想通りの答えだった。
魔力が使えなくなるサタンの居城へルシファーを幽閉すれば、彼女の影響力は皆無となる。となれば、ハルを守るためだけに交わされた
さらに言えば、
俺とサキュバスしかいない夢の中で、重苦しい静寂がとめどなく流れていく。
ここで俺たちがいくら話し合っても、ルファの現状を変えることはできない。
そもそも俺は
サキュバスも、当然そのことは分かっているはずだ。それでも、ルファの窮地を誰かに話さずにはいられない彼の苦しい胸の内は、俺にも十分理解できた。
眉間にしわを寄せたまま、手元のシーツを睨みつけていた俺は、何ともやるせない気持ちに堪り兼ね、改めて室内を見回した。
夢の中とはいえ、置かれている調度品から雑多に積まれた書籍類の山まで、俺の自室は忠実に再現されている。
ベッドの上で胡坐をかく俺の真正面に、手彫りの装飾が施された焦げ茶色のダイニングテーブルがあった。そこには、仰向けに広げられたままの巻物とその脇に紐で固く縛られた巻物が、就寝する前と寸分違わずに置かれていた。
天板の上にその存在を主張するように佇む二つの巻物を見た俺は、半ば反射的に口を開く。
「サキュバス……」
「うん?」
力なくうなだれていたサキュバスは、何ごとかと顔を上げた。
俺は正面に見えるダイニングテーブルから、ベッドの脇に座る彼へと視線を移す。
「ルファが堕天した直後から、お前はずっとあいつのそばにいたんだよな?」
「え? あ……うん」
俺の唐突な質問に、サキュバスは戸惑いながらも頷いた。
再び俺は、テーブルに置かれた二つの巻物を見る。おそらく、聞けるタイミングは今しかないだろう。だが、そうだとしても、俺の中でいまだに決心がつきかねていた。そんな状態で口火を切ってしまった俺は、遠回しにサキュバスに尋ねる。
「あいつ、
「どんなって……」
奥歯に物が挟まったような俺の質問に、サキュバスは戸惑っているようだった。
「あぁ……そう……だよな……」
俺の視界に入ってくる二つの巻物が、真実を確かめろと迫っているような気がした。腹を括った俺は、より具体的にサキュバスに尋ねる。
「
俺の言葉を聞いていたサキュバスの表情が徐々に驚きへと変わっていく。
「ミー君……それ、本当に聞きたいの?」
眉をひそめたサキュバスの口調には嫌悪が滲んでいた。俺が「あぁ」と短く返事をすると、彼の不快そうな表情がさらに増す。
「ルファは……知って欲しくないと思うけど。僕も……ルファが言って欲しくないことは言いたくないな……」
そう言って目を逸らすサキュバスに、俺は苦悶の表情で頷く。
「分かっている。俺だって本当は聞きたくはない。だけど、ハルのためにどうしても知る必要があるんだ」
「ハルちゃんの……」
俺の口から『ハル』という名が出てきて、サキュバスの視線が揺れる。
俺は険しい表情のまま、ダイニングテーブルに鎮座する二つの巻物へと再び目を向けた……。
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