16-3:孤城の別棟
熾天使ガブリエルとの接見について、ラジエルがひととおり説明を終えると、それを待っていたかのようにサキュバスが身を乗り出してきた。
「ねぇ、ラジィ。ミー君が同席するって言っていたけど、二人で話せる時間ってあるかしら?」
「それは……内密に……ということですか?」
眉間にしわを寄せたラジエルが、声を抑え気味に尋ね返す。するとサキュバスは、いたずらをたくらむ子供のようにニヤリと笑った。
「そう。み・つ・だ・ん」
人差し指を立てたサキュバスが、空中に文字を一つひとつ置くようなしぐさをする。
ラジエルは、呆れながら頭を左右に振った。
「それは……無理だと思いますよ」
そう言うと、ハルとサキュバスの背後にある扉をチラリと見る。部屋の外には、彼女たちの護衛を兼ねたアテンドの能天使が控えていた。ラジエルは「それに……」と付け加える。
「ウリエル様から言われているのでは? 騒ぎを起こすとそれ相応の処分を受けますよ?」
サキュバスは不服とばかりにぷくっと頬を膨らませた。
「騒ぎなんて起こさないわよぉ。夢の中で話そうと思ったけど、うまく夢に侵入できないんだもぉん」
サキュバスの言葉に、ラジエルの目が大きく見開く。
「夢……とは……ミカエル様の? 夢魔であるあなたが、離れた対象者の夢に侵入するには……確か……」
サキュバスはニコニコと笑うだけで何も答えなかった。
顔面がみるみる
「さっサキュバス……おまえ、まさか……みっミカエル様と!?」
ハルには、ラジエルがなぜこんなにも動揺しているのかが分からず、あっけにとられて目の前の光景を見ていた。
当のラジエルは、自分の目の前にローテーブルがあることも忘れ、サキュバスへ詰め寄ろうとする。
ガシャン!
ラジエルの膝がテーブルに当たり、天板にあった食器が派手な音を立てた。飲みかけの紅茶がテーブルにこぼれる。
それを見たサキュバスは、他人ごとのように「あらぁ……」とだけ言う。
部屋の外にいたアテンドの能天使が、騒ぎを聞きつけて中へと入ってきた。
「いかがなさいましたか!?」
しかしその問いに答える余裕もないラジエルは、テーブルを回り込みサキュバスの両肩を
「こっ答えろ! おまえ……ミカエル様を無理やり!?」
「やぁよぉー、ラジィ。そんなこと聞くなんてセクハラよぉ」
「おまえは雌雄同体だろう!!」
周りが見えないほどに取り乱すラジエルと、そんな彼の姿を楽しむようなサキュバス。
ハルとアテンドの能天使はこの状況が理解できず、あぜんとしながら二人を見ていた。
一体……なんの話をしているの?
ハルの困惑した視線にやっと気づいたラジエルが、ゴホンと
サキュバスは乱れた髪と服を整えると、軽くため息をついてラジエルを見る。
「ほーんと、ラジィは冗談が通じないのね。ラジィが心配しているようなことなんて、私、していないわよ」
「?」
ハルは、サキュバスの言っている意味が分からず、首を
「それは……信じてよいのですね?」
ラジエルも乱れた服を整えながらサキュバスを
サキュバスはラジエルの強い視線を気にするどころか、どこか不満げに口を
「ちゃんと
「は?」
「え?」
ハルは思わず両手で口を覆い、隣のサキュバスを凝視する。
キス? サキュバスさんが? ミカエルと?
ラジエルは、これでもかというくらいに目を剥き「さっサキュバス!!」と、悲鳴のような叫び声をあげた。
アテンドの能天使は何のことか分からずに、困惑した表情でサキュバスを見ている。
室内にいる全員の視線を一身に受けても、サキュバスはまったく気にならないようだった。ラジエルの反応を面白がるようにニヤニヤと笑う。
「ラジィもして欲しかったぁ?」
「なっ……!?」
眉を
そんな二人のやり取りを見ていたハルは、赤い屋根の家でのことをふと思い出す。
ラジエルとサキュバスのたわいもない言い合いを、
あの日々はもう二度と訪れないと思うと、ハルの中でどうしようもない寂しさが湧き上がってくる。
どうして、ルファもミカエルもいないの?
「ハル?」
ラジエルの声で、心の海に沈んでいたハルは慌てて顔を上げた。
その視界には、ラジエルだけでなくサキュバスの戸惑った顔も入ってくる。
「ハルちゃん……」
そう言うと、サキュバスはハルをぎゅっと抱き寄せた。
なに? どうしたの?
サキュバスの腕に包み込まれたハルは、困惑しながら彼女を見上げる。
「サキュバスさん?」
「ため込まなくていいの。ううん、ため込まないほうがいいわ」
悲しげに
いつの間にかハルのそばにやってきたラジエルも、ハルの背中にそっと手を添える。
「ハルは今まで、頑張り過ぎるほど頑張ってきました。だから、泣いてもよいのですよ」
「え? 私、泣いてなんか……」
言葉の続きを言う前に、ハルはポトポトと頬からこぼれる涙にやっと気がついた。
サキュバスの胸の温もりと、ラジエルの手の温かさが伝わってくる。その途端、ハルの中で何かが弾けた。
「うっ……うわぁぁぁん」
寂しさとやるせなさと……心の中にたまっていた
そっか……。私、ずっと泣きたかったんだ……。
ハルを抱きしめるサキュバスが「大丈夫。大丈夫」と何度も繰り返しながら、頭を優しく撫で続けた。
頭の芯がしびれ、
次第に、涙の海に沈むようにサキュバスの声が遠のき、暗闇の世界が目の前に広がる。そこには、なぜかひとり立ち尽くすルファがいた。
ル……ファ?
ルファの背には本来、黒の飛膜の翼が六枚あるはずだった。だが、ハルの目の前に立つ彼女の背には、三枚の片翼しかなく、しかも純白の翼だった。
ルファはハルに向かって何かを叫ぶ。しかし、ハルにはルファの声は聞こえない。よく見ると、彼女の前には鉄格子があった。
何? どうしたの? どこかに捕らえられているの?
無音の世界でルファは泣いていた。何かを訴えるように鉄格子を必死で揺らす。
ハルは彼女を助けたいと思うが、体がまったく動かない。そうしているうちに、片翼のルファの感情が、ハルの中に流れるように入ってきた。
そう……そうなのね。あなたは
このとめどなく流れる涙と喪失感は彼女と自分のどちらのものなのか、ハルには分からなくなっていた。ただ、暗闇の中で一人泣いていたルファを、今すぐ抱きしめたいと強く思う。
ハルはサキュバスの腕に包まれながら、いつの間にか目を閉じていた。胸元で鈍く光る白銀のロケットペンダントを強く握りしめたまま、ハルの意識は夢の中へと落ちていった……。
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