14-2:死の天使と魂の系譜
大神殿の一角にある俺の執務室で、ハルの近況を嬉しそうに報告したラファエルは、
「俺は当分あっちには行けそうにないから、また頼むな。
俺に愛称で呼ばれたラファエルはニコリと笑う。
「もちろん」
そう言ったラファエルは執務室の扉の前まで行くと、そこで足を止め、壁際に敷き詰められた棚を見上げた。
ラファエルを見送るために扉のそばに来ていた俺も、彼女と同じように棚を見る。
「どうかしたか?」
「これはすべて『魂の系譜』ですか?」
俺の執務室は、部屋の大半が『魂の系譜』と呼ばれる巻物を収めた棚で埋め尽くされている。その光景を眺めながら、ラファエルが俺に尋ねた。
「あぁ、ごく一部だがな」
初めて訪れたわけでもないのに……と思いつつ俺が答えると、彼女は少し戸惑い気味に俺を見た。
「あの……、ハルも……『無垢の子』も魂の系譜はあるのでしょうか?」
「えっ?」
俺は一瞬ドキリとして言葉に詰まる。そんな俺を見て、ラファエルは慌てて両手を胸の前で左右に振った。
「いっいいのです。忘れてください。兄さまを困らせるつもりはなかったの」
「いや、そうじゃないんだ。あるよ。ハルにも魂の系譜はある」
ラファエルの心配を払拭するように俺は慌てて笑顔を作った。俺の言葉を聞いた彼女は、安心したように体の力を抜く。
「そうなのですね……。それなら、よかった」
「よかった?」
俺が首を傾げると、ラファエルはコクリと頷く。
「だって、無垢の子は
「あぁ、そうだな」
俺は魂の系譜が収められた棚に目をやる。
それに倣うように再び棚を見たラファエルが「あ……」と小さく声を上げた。
「そういえば、ガブリエル兄さまからお
「言伝?」
「はい。無垢の子に拝謁したいので、日取りを決めて欲しいとのことです」
「拝謁……ね」
身分の高い者に会うという意味で使われる『拝謁』という言葉。ガブリエルが使うと嫌味にしか聞こえないな……と、俺は渋い顔をする。
俺の気持ちを読み取ったのか、ラファエルも困ったような笑顔を俺に向けた。
「ガブリエル兄さまも、ハルに気を使っているのですよ」
「そうだとよいけどな……。話は確かに承った」
* * *
ラファエルが執務室から退出したのを見届けてから、俺は扉をそっと施錠した。
普段、俺が在室中は、自分の部屋に鍵なんてかけない。だが、今日は
先ほどのラファエルの質問を思い出し、俺は扉の鍵に手を添えたまま、ため息をついた。だがすぐさま、気を取り直すように頭を左右に振り、サリエルのほうを向く。
サリエルは、俺の書斎机の近くで、ラファエルがいなくなった扉をぼんやりと見つめていた。
「サリエル、ハルの魂の系譜は見つかったか?」
「……あ……えぇっと……ええ……いえ……」
ラファエルが退室した直後のサリエルは、こんな感じで、いつも心ここに在らずとなる。
ラファエルが絡むと、ホント、サリエルは……。
俺は苦笑いしながらも、彼女が少し羨ましくもあった。
サリエルの上層への配属が決定した際、四大天使以外の上位三隊、主に座天使たちから異論が噴出した。
座天使たちにしてみれば、大天使が飛び級で昇進し、自分たちと同格扱いになるのだから、彼らのプライドが大いに傷ついたのだろう。冷静さを欠いた座天使たちがサリエルを前にして、彼女を直に非難し始めたのだ。そのことに酷く憤慨し、彼らを咎めたのが、普段はにこやかな表情しか見せないラファエルだった。
それ以来、サリエルはラファエルに特別な感情を持っているようだった。それが、俺がルシフェルに抱いている感情と同じかどうかは分からないが……。
「サリエル? 大丈夫か?」
俺の言葉で我に返ったサリエルは、背筋を伸ばし、俺のほうに向き直る。
「すみま……せん。ハル・エヴァットの魂の系譜……ですが……見つかりません……でした」
夢の世界から戻ってきたサリエルがいつもの口調で答える。彼女が言う『エヴァット』とはハルの苗字だ。
その報告を聞いた俺は、ため息をつく。
「やはり、見つからなかったか」
去り際のラファエルの問いに、俺は嘘をついた。
彼女の言う通り、
ハルの魂の系譜がないことに肩を落とす俺を見て、サリエルが少し躊躇いがちに口を開く。
「ハル・エヴァットの座位がない……のですから、当然の結果……なのでは?」
『魂の系譜』は、その名の通り、ヒトの魂がどのような輪廻転生を辿ってきたかがわかる詳細な図表のことだ。
ヒトが持つ座位と輪廻転生は密接なかかわりを持っているため、座位と系譜は
そのため、座位を持たないハルの魂の系譜が見つからないことは、サリエルの言う通り『当然の結果』であった。
「まぁ……そうだな。で、ハルの両親の系譜は?」
俺はサリエルの問いに曖昧な返事をしながら、彼女に次の報告を促す。
サリエルは魂の系譜が収められた棚から一本の巻物を取り出し、俺のほうを向いた。
「父のグレイ・エヴァットの系譜がこちら……です」
サリエルが差し出した巻物を受け取った俺は、まじまじとそれを見る。
くすんだオリーブ色のグレイの巻物は、平均的なヒトの魂の系譜と同じ太さであり、一見しただけでは何か特異なものを感じることはなかった。
「母親のほうは?」
グレイの系譜からサリエルへと視線を移す。すると、彼女が珍しく戸惑った表情をしているのが見て取れた。
「どうした?」
「それが……母のイリーナ・エヴァットの系譜は……見つかりません……でした」
サリエルの報告に、俺は眉をひそめた。
「母親の系譜がない?」
ハルの母親イリーナは、座位のないハルとは違い、
「サリエル、それは持ち出されているということか?」
訝しい表情で聞く俺に、サリエルは首を左右に振った。
「分かりま……せん。イリーナ・エヴァットの系譜が……持ち出された……という記録は……ありません。所在不明……としか……」
「所在不明……か」
俺は腕組みをして天井を見上げた。
その姿を見たサリエルが、再び躊躇いがちに口を開く。
「あの……なぜ……ハル・エヴァットの両親の系譜が必要……なので……しょうか?」
「ん? あぁ……そうだよな」
ハルの魂の系譜をサリエルに探させる際、俺はガゼボでのルファとのやり取りだけでなく、人間界での出来事を彼女にすべて話していた。
そうすることで、俺やラジエルが気づかなかった何かをサリエルが見つけるかもしれないという期待もあったし、彼女にも自分が行う任務の意義を知っておいて欲しかった。
そして、もうひとつ、ハルがヒトとしての生涯を終える際、彼女を天使に転生させようと俺が考えていることもサリエルには話してある。
ハルの魂の系譜があろうとなかろうと、彼女の両親がどんな魂の系譜を持っていようとも、座位のないハルの魂が消滅する事実は変わらないし、俺が彼女を天使に転生させようとしている結論も変わらない。
それにもかかわらず、系譜にこだわる俺の姿にサリエルが疑問を持つのは当然だった。
俺はサリエルを見つめた。彼女も俺をまっすぐ見つめ返す。
長年、俺とともに冥界の任務に準じているサリエルへの信頼は、俺の直属の部下、座天使ラジエルと同等だった。
俺は、少し考えてから口を開いた。
「これから話すことは、何か確証があるわけじゃないんだ。あくまでも俺の憶測に過ぎない。それでも聞いてくれるか?」
「……はい」
俺の言葉に一瞬驚きを見せたサリエルだったが、固い表情のまま大きく頷き、俺を見上げた。
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