14-1:死の天使と魂の系譜
「こんなところに……いらっしゃった……のですか。ミカエル様」
独特な話し方で名前を呼ばれた俺は、寝転んでいた体を半分起こし、声のするほうを見た。
「サリエルか? どうした?」
薄墨色のショートボブで華奢な体型のサリエルは、部屋の中央に鎮座する大樹を見上げたまま、ゆっくりと俺に近づく。
「どうした……というか……。休憩のお時間は……すでに終了して……おります……が……」
「げっ、もうそんな時間!?」
慌てて立ち上がる俺とは対照的に、サリエルは相変わらず大樹を見上げている。
「
何か不審なものでもあるのかと、俺も彼女と同じように大樹を見上げた。
ここは『生誕の間』、
ドーム型の広い部屋の中央には、大樹――
サリエルは、
「なぜ……このような場所に?」
大天使サリエル――下位三隊の所属にもかかわらず、神の前に出ることを許された十二人の御前天使の一人。大天使の中で唯一、熾天使の直下に配属された天使でもあり、俺同様、死者を冥界へ導く任を負う天使でもあった。
サリエルがこのような特別待遇を受けているのは、『あの時』の功績によるものが大きい。
華奢な体と細い腕にもかかわらず、大鎌を振るう彼女は、反逆者となった同胞を問答無用で切り倒し続けた。反乱が終結した直後の彼女は、全身が同胞の返り血で真っ赤だったという。『死を司る天使』、彼女がそう呼ばれるようになった所以だ。
俺が生誕の間にいることに首を傾げるサリエル。そんな彼女に「そうだな……」と曖昧な返事をしながら、俺は上へ向けていた視線を下へと移す。
大樹の周りには、薄桃色の大きな花のつぼみが部屋の大地いっぱいに埋め尽くされていた。
俺たち天使は『核』と呼ばれる、力の源をヒトの心臓と同じ位置に持っている。この『核』が砕かれると肉体は維持できず、天使は滅びる。いわば、ヒトの死と同じだ。
ヒトの死と根本的に違うのは、肉体は一旦滅びるが、この生誕の間に生える花のつぼみの中に砕かれた核だけが戻り、人格や記憶はそのままに、新たな肉体だけを得てよみがえる点だ。
ここにある固く閉じたつぼみ一つひとつの中で、新たな肉体を得た天使たちは復活の時を待ちながら、静かに眠りについていた。
「なぜ……ここに?」
ぼんやりと薄桃色のつぼみを眺めている俺に、サリエルは先ほどの質問を繰り返す。
「ん? あぁ……。パストラルの一件で眠りについた守護天使たちがいるからさ……」
「あ……。そう……でしたか」
俺の答えに納得した様子のサリエルは、目に留まった花のつぼみに何気なく手を伸ばした。
その指先がつぼみに触れる寸前、彼女の白い手がピタリと止まる。少しの間その場に留まった白い手は、つぼみに触れることなく、ゆっくり下へと落ちていった。
花のつぼみをしばらく見つめたサリエルは、軽くため息をつくと俺のほうに向き直る。
「戻り……ましょう」
「……そうだな」
新たな誕生を待つ神聖な花のつぼみと、それに触れることを躊躇うサリエルの白い手。躊躇う理由に思い至る俺もまた、彼女に気づかれぬよう、そっとため息をついた。
* * *
生誕の間を後にした俺は、サリエルを連れ立って、光が溢れる白亜の廊下を歩いていた。
途中、何人かの座天使とすれ違うが、俺に向ける笑顔とサリエルに向ける好奇な目に、毎度のこととはいえ、俺はうんざりしていた。
天使の世界は、絶対的な階級社会だ。神を頂点とし、上位三隊・中位三隊・下位三隊と隊が分類され、各隊の中でも階級が分かれている。
上位三隊の最上位である熾天使の俺の隣に、下位三隊の中位である大天使のサリエルがいることを、快く思わない者がいるのは確かだった。果てには、本人の耳にも入るよう『死の天使』などと揶揄する者まで現れる始末だった。
んなこと言ったら、俺だって『死の天使』だっての……。
白亜の廊下を歩く俺の顔が次第に険しくなる。それを見た数人の座天使が、伏し目がちに俺の横を通り過ぎていった。
しかし、実際は、彼女の特殊能力である『邪視』により、ラファエルが
だが、この『邪視』を公にすることを、サリエルはなぜか拒絶した。そのため、歪んだ情報が事実として
以前、俺はサリエルに聞いたことがある「上層が嫌にならないのか?」と。すると、サリエルは俺を見上げて、不思議そうに小首を傾げた。
「神のそばに……お仕えすることが……ですか?」
「いや、そうじゃない。階級の差があり過ぎる上層での生活は嫌にならないのか?」
首を傾げたまま少し考え込んだサリエルは、やはり不思議そうに俺を見た。
「階級は……統治に必要な制度……です。権力も……同じ……です。ですが、それがイコール個体の優劣……とはなりません」
「……つまり?」
「……嫌だと考えたことなど……ありません」
これがサリエルの本心かは分からない。
だが、彼女が上層に留まる理由は、俺には何となく分かる。
俺たちが歩く廊下の奥から、一人の天使がこちらに向かって駆けてくるのが目に入った。その天使の姿を捉えた途端、無表情だったサリエルの顔が自然と緩む。
銀色の長い髪をゆらゆらと揺らしながら俺たちに近づいてくるのは、四大天使の
「こんなところにいらしたのね。先ほど、兄さまのお部屋を覗いたら、どなたもいらっしゃらないのだもの。探してしまったわ」
それを聞いたサリエルが、俺が口を開くよりも先に、慌てたように俺より半身前へ出た。
「もっ申し訳ございません、ラファエル様。ミカエル様をお探しするために、席を外していたもので……」
「またサボっていたのでしょ? サリエルも大変ね」
「……」
何も否定できない俺の顔を横目で見たラファエルはクスクスと笑い、サリエルのほうを向く。
ラファエルと目が合ったサリエルは、少し顔を赤らめながら「とんでもございません」と胸に手を当て、体を屈めた。
ホント、ラファエルの前だと、サリエルは
二人のやり取りを見ながら、俺は内心苦笑する。
サリエルの直属の上官は、実は俺ではなく、ラファエルだ。
冥界の任を負うサリエルだが、医術にも深く精通していた。そのため、癒しの天使ラファエルの右腕として彼女の任務を支えており、本来は、そちらのほうがサリエルの主とした任務であった。
だが、俺が長期にわたって
「サリエルに用か?」
すまなそうに聞く俺に、ラファエルは笑顔のまま頭を左右に振る。
「いいえ。狭間の愛し子に会ってきたので、兄さまに近況をご報告しようかと」
「あ……」
その瞬間、ゆるいカールがかかった栗色の髪とくりくりした大きな瞳の可愛らしい顔が脳裏に浮かび、俺の顔が思わずほころんだ。
ハルが
仕事が山積みで上層から離れられない俺の代わりにと、ラファエルは、暇を見つけては下層の狭間にあるウリエルの孤城を訪ねていたのだった。
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