07-2:疑念と悔恨

 パストラルのあちらこちらでは、山賊と自警団の小競り合いが続いていた。

 特にまだ火の手があがっていない町の南西側では、自警団に加えそこに住む男たちが、自分の家を守るべく武器を手に山賊たちと戦っている。

 いつもなら酒と音楽と踊りに酔いしれるパストラルの夜は、剣の交わる金属音と血の臭い、怒号とうめき声で埋め尽くされていた。


 俺は小競り合いを避けながら町を走り抜ける。

 通りには老若男女を問わず、物言わぬ亡骸が無造作に転がっていた。山賊との戦闘に巻き込まれただけではなく、大勢が避難する際に押しつぶされたような死体も目につく。



 これはまるで……。



 パストラルの光景が、夕闇に似た紺と朱の狭間で見たたくさんの天使の亡骸と重なる。俺は『あの時』を思い出し、唇をんだ。



 過去を振り切るように西へと走り続けていると、背後から爆発音が鳴り響いた。少し遅れて爆風が俺の体を揺らす。

 思わず後ろを振り向いた俺の視界が、脇道でキラリと光る何かを捉える。


「?」


 見ると、男が大ナタを振り上げていた。

 視線を少し下げると、その大ナタの標的が男の足元でおびえている女だと分かる。

 その途端、俺は反射的に体を屈め、そこへ飛び込む体勢を取った。

 右足に全体重を乗せた俺の足は、土の地面をグッと踏み込む。盛り上がった土をストッパー代わりに、地面から跳ね返される力の反動を使い、一足飛びで男の元へと詰め寄った。


 男は俺に気づくことなく、女に向けて大ナタを振り下ろす。

 男の背後から飛び込んだ俺は、右手を自分の左耳まで回し体を捻る。そして、男のこめかみを狙い、横から弧を描くように勢いよく右手を振り抜いた。

 俺の手刀がたたき込まれた男は悲鳴を上げる間もなく、壁際にあった木樽の群れへと、派手な音を立てながら横倒しで突っ込む。



 ヤバ……。



 この場にラジエルがいたら「天使がヒトの生死に干渉するなんて!」と小言が飛んできそうだ。

 とはいえ、頭で考えるよりも体がつい反応してしまったのだから仕方がない。

 力もかなり抜いたし、これくらいで死ぬことはない……と思う。

 それに、今の俺は天使じゃなくてヒトの姿だから、ギリギリ大丈夫なはず……たぶん。


 そんな言い訳を頭の中で並べたてながら、俺は助けた女を見た。


「大丈夫か?」


「はっはい……助かりました。あ……あなた様は、エクノールの旦那様」


 髪は乱れ、顔もすすけていたが、助けた女は宿の女主人だった。


「あなたは宿の……主はどうした?」


 主とともにすでに町の外へ逃げたと思っていた俺は、思ってもみない再会に驚く。

 だが、俺の問いに女主人はすぐには答えず、手にしていた麻の袋をぎゅっと抱きしめうつむいた。彼女の目から流れる涙が、抱きしめていた麻の袋にぽたぽたと落ちる。


「夫は山賊にやられました……。私は、なんとかここまで逃げたのですが、別のやつに捕まって……」


「そうだったのか……」


 宿の前で別れた主のゴロンとした丸い背中を思い出す。



 安全な場所までともに行けばよかったのだろうか? いや、そもそも俺たちがもっと慎重に動いていれば……。



 過去を悔やんだところで、それが無意味なことは分かっていた。だが、悲しみに暮れる女主人を目の前にすると、そう思わずにはいられない。

 女主人は涙を手の甲で拭い、無理やり笑顔を作る。


「イヤですよ、旦那様。そんなつらそうな顔をしないでください。旦那様がいなければ、私の命はなかったんです。助けていただき、本当にありがとうございました」


 女主人は一礼すると、その場からよろよろと立ち上がった。

 俺は彼女の腕を取り、よろめく体を支える。


「せめて……町の外まで送らせてくれ」


 俺は無力だ。

 天界ヘブンでは最高位天使と評される俺は、悪魔を排除する最も強い力を持っている。

 それにもかかわらず、俺は神の理に縛られて、目に映るほんの一握りの命すら救えない。



 俺は何のために力を持っている? 天使俺たちはなぜヒトに寄り添う?



 黒い疑念が油塊ゆかいのように湧き上がり、ねっとりと俺の中にまとわりつく。

 俺は女主人に気づかれないよう頭を小さく左右に振り、こびりついた疑念をなんとか追い出した。



*  *  *



 パストラルの町を出ると、女主人は逃げる群衆の中から見知った顔を見つける。聞くと、隣町まで行くと言うので、俺は彼女も一緒に連れて行ってもらうように頼んだ。


「何から何まで、ありがとうございました」


 頭を下げる女主人に、俺は首を振る。


「いや、礼にはおよばない。俺はあなたのご主人を救えなかったのだから」


「旦那様、まだそんなことを……」


 女主人は困ったように笑った。それを見て俺はふと思い立つ。

 

「そうだ、あなたとご主人の名を聞いていなかった。最後に教えてもらえないだろうか?」


 女主人はキョトンとした顔で俺を見たあと、照れたように言う。


「ニーナ・タネリです。夫はハンネスと申します」


 そう言って軽く身を屈めるニーナの額に、俺は手を掲げた。


「ニーナ・タネリが無事目的地に着くよう祈る」



 天使の力は使えないが、これくらい父上に頼んだところでとがめられはしないだろう。



 ニーナはニッコリ笑って俺を見る。


「ありがとうございます。旦那様も、どうかご無事で」



 宿の女主人ニーナと別れ、俺はあらためて街道を見回した。逃げ惑う群衆は、時間が経つごとに多くなっている気がする。

 ルファたちがいる赤い屋根の家へ戻ろうと丘陵地へと体を向けたときだった。俺は不意に誰かに腕をつかまれ、その場に引き戻された。


「?」


 見ると、細身のわりに筋肉質でがっしりとした体形の男が、俺の腕を掴んだまま、じっと見つめている。


「えっと……?」


「あ…れぇ? わっかんないかなぁ?」


 男は困ったように笑う。

 誰だ? と思いながら、俺は訝しい顔で男の姿を上から下へとまじまじと見た。

 ラジエルほどの背丈に、顎のあたりまで無造作に伸びた亜麻色の髪とシャープな輪郭――どこかで会ったような……。


「ん? まさか……サキュバス? あ、男だからインキュバスか」


 いつもの妖艶な大女のサキュバスを思い浮かべるが、目の前にいる男は、同性の俺から見てもかなりの美丈夫だ。

 サキュバスは、俺が気づいたことに安心したのか、ホッとしたようにコクリと頷く。



 男の姿だとこんな感じになるのか……。



 サキュバスは常に女の姿でいたため特に意識はしていなかったが、この美丈夫がいつもルファの……いや、ルシフェルのそばにいるのかと思うと、俺は何とも複雑な気持ちになる。


「サキュバスで構わないよ。この状況だと、女の姿じゃ絡まれそうでさぁ」


 俺の心中など知る由もないサキュバスは、そう言いながら街道に目をやった。


 火の手があがるパストラルの異常な朱色とは対照的に、町の外にある街道は夜の闇が深まりつつあった。

 闇はヒトの奥底にある負の感情を増幅させる。

 ただでさえ、住む家を追われて町を出た人々は不安と苛立ちが募っていた。ヒトが手にするランプのか細い明かりは、その負の感情をかえってあおるようで、細ないさかいが至るところで起きていた。

 確かにこの状況の中、女の姿でうろつけば、いろいろと面倒ごとに巻き込まれそうだ。



「ルファたちは、無事……なんだよな?」


 絶え間なく通り過ぎる殺伐とした群衆から、俺はサキュバスへ視線を戻した。

 彼が俺のもとへ来るということは、ルファの指示があったからだろう。

 思った通り、サキュバスはうなずく。


「うん、迎えに来たんだ。ついて来て」


 そう言うとサキュバスは、丘陵地にある赤い屋根の家とは別の方向へと俺を案内し始めた。

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