07-1:疑念と悔恨 

 宿の主夫妻と別れたあと、町の東側へ行こうとした俺の耳に、山賊たちの怒鳴り声が聞こえてきた。

 天使の性なのか、悪しき魂を感じると反射的に体がそちらへと向いてしまう。

 だが、山賊たちのほうへ走り出そうとした瞬間、誰かに腕をつかまれた俺は、強引に物陰へと引きずり込まれた。


「!?」


「しっ! お静かに!」


 見ると、俺の体を壁際に押さえつけたラジエルが、もう片方の手の人差し指を立て自分の唇に押し当てていた。その視線は俺ではなく、先ほどまでいた大通りへと向けられている。

 危うく手刀を繰り出しそうになった俺は、振り上げた手を何とかその場に留め、ラジエルと同じ方向を見た。


 ガチャガチャと騒がしい音とともにがなり声で喚きながら、山賊と思われる複数の男たちが剣やナタ、斧などを手にし、俺たちが潜む物陰の脇を通り過ぎていく。その目は血走り、獲物を物色しているようだった。


 辺りの喧騒が少し静まったのを見計らい、壁際に押さえつけていたラジエルの手は俺の体を解放する。

 俺も振り上げていた手を降ろし、大通りからラジエルへと視線を移した。


「ラジエル、無事でよかった……」


 ため息交じりで言う俺に、ラジエルは一瞬キョトンとしたあと、顔を少しほころばせながら言う。


「無事……というか問題はないというか……。ですが、ご心配をおかけして申し訳ございません」


 頭を軽く下げるラジエルを見ながら、あ……、と思い至り俺は赤面する。



 そりゃそうか。天使相手にヒトが敵うはずがない。それに座天使のラジエルなら、悪魔も問題ない……よな。



 間の抜けた発言に恥ずかしくなった俺は、慌てて話を進める。


「そっそれよりも、おまえ、何でこんなところにいるんだよ?」


 ラジエルは緩んだ口元をきゅっと引き締め、深刻そうに俺を見た。


「町に火を放っている彼らですが……様子がおかしいので、少し調べておりました」


「おかしい?」


 パストラルに入る前、俺が感じた疑念をラジエルも同じように感じたらしい。

 眉間にしわを寄せ、ラジエルは話を続ける。


「彼らの行動に悪魔が関与しているのは間違いありません。ですが、惑わされているというよりも悪魔やつらのではないかと……」


「なぜ、そう思う?」


「……」


 俺の質問に、ラジエルはすぐに答えようとはしなかった。その視線は何かを迷うようにくう彷徨さまよう。そして、再び俺を見たラジエルは躊躇ためらいがちに口を開いた。


「彼らのそばには……すでに守護天使はおりませんでした。おそらく、悪魔に排除されたのでしょう。そして……私の『導き』が……彼らにはまったく効きませんでした」


「導きが?」



 ヒトの心は揺れやすい。悪魔に感化されたとしても、それをよしとしない心根を、ヒトは誰しもが持っている。いわゆる、躊躇いや迷いといった心理だ。

 天使はその躊躇いや迷いをヒトの中で増幅させ、行動を思い止まらせようと働きかける。それが天使の『導き』だ。

 

 しかし、俺たち天使がヒトに対してできることは、ここまでだった。

 天使は、ヒトを惑わす悪魔を排除する強力な力を有している。だが、ヒトが悪しき道を選んでしまえば、それを止める術を持たない。

 これが『自由意志のルール』という、神がヒトに与えた権利と定めであり、ヒトに対する天使の限界だった。

 この定めにより、俺は己の無力さを何度も味わう。

 ヒトにとって、天使という存在は一体何なのだろうと、俺は時々思うことがあった。



 そんなことを考える俺をよそに、ラジエルさらに続ける


「これは……根拠のない私の見解……なのですが、彼らの行動を見る限り、他者の命だけではなく、己の命すらどうなっても構わない……というふしがあるのです。もしかすると……すでに自我すらないのではと……」


「自我がないって、それは……」


 俺はそう言ったきり言葉に詰まる。その先は、俺たち天使が口にしたくないほどのおぞましい事態だ。だから、ラジエルは話すことを躊躇っていたのか。

 ラジエルは不快そうな表情をしながらうなずく。


「おそらく、彼らを操っているのは悪魔の中でも高位の階級でしょう」


 俺の脳裏に、悪魔特有の飛膜の翼を広げたルファの姿が映し出された。



 やはり、ルファたちが力を解放したときから、まるで時限錠のように動き出していたのか……。

 


 俺は片手で口元を覆い、考えを巡らせる。

 自警団という組織を持った治安維持能力の高いパストラルを、ならず者の集団である山賊があえて襲撃する。しかも町の被害からして、山賊は一団体ではなく複数が絡んでいると見て間違いないだろう。そしてラジエルの報告から、山賊たちは自我を失い高位悪魔に操られている……。


「パストラル襲撃は、陽動……か」


 ハルが……『無垢の子』がすぐ近くに住む町を、悪魔がヒトを使ってこんなド派手に襲撃する理由は、それしか思い浮かばない。天使の『眼』をパストラルに集中させて、その隙にハルをさらうつもりか。

 ラジエルも同意するように頷く。


「確かに、さまざまな状況を勘案すれば、彼女の存在が地獄ゲヘナに知られたと考えるほうが自然です」


 俺とラジエルは、互いに顔を見合わせたまま眉をひそめる。


「まずいな……」


「まずいです……」

 

 パストラルの襲撃が地獄ゲヘナによる陽動だとしても、天界ヘブンがこれを放置するわけはない。ウリエルからの帰還要請は、この襲撃を知らせるためのものだったのだろうか?

 そしてこの状況に、守護天使たちに指示を与えるガブリエルは当然に疑いを持つ。俺があいつでも、パストラル周辺を徹底的に調べるだろう。そうなれば、ハルの存在が天界ヘブンに知られるのも時間の問題だ。


 俺は口元から手を離し、渋い顔をしながら腰に両手を当て大きく息を吐いた。


「二手に分かれよう。ラジエル、おまえは山賊あいつらを操っている悪魔を探し出して排除してくれ。おそらく、一人二人じゃないだろうが……」


「かしこまりました」


 ラジエルは、大きく頷いた。


 座天使の長ラジエルは、武事よりも文事に秀でた天使だ。もちろん、戦いの技術も長けてはいるので、ある程度の高位悪魔を一人で排除することに問題ない。

 だが今回は、相手の高位悪魔がどんなやつかも、その人数すらも分かっていない。本来ならば、武事に長けている俺が行くべきなのだが……。


 俺の迷いを察したのか、強張った表情のラジエルは無理に押し出すように笑う。


「分かっています。今、あなたが力を解放して悪魔を排除すれば、地獄ゲヘナも黙ってはいないでしょう。ハルの存在が知られたかもしれない今、あなた自らが打って出てしまえば、それこそ地獄ゲヘナに全面戦争の口実を与える最良のきっかけとなってしまいます。あなたは一刻も早くハルたちと合流し、彼女の身の安全を図るべきです」


 俺はラジエルの言葉に頷き、彼の肩を力強くたたいた。


「ラジエル、頼むぞ」


「では後程」


 そう言ったラジエルは、その身を少し屈め跳ね上がる。それと同時に彼の背には純白の翼が出現し、あっという間に朱色に染まる闇夜の中へと羽ばたいていく。

 その姿を見送り、俺はルファたちと合流すべく来た道を再び走り始めた。

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