04-3:赤い屋根の家

「それで……、今度は一体何の用なのかしら?」


 ルシフェルは俺たちのほうを振り返り、警戒するような口ぶりで言う。しかし、すぐさまハルが、すがるように彼女のローブを引っ張った。


「ルファ、待って! ミカエルたちは、私を傷つけるつもりはないの。ただ……ただね、ルファとお話がしたくて、ここに来たんだよ」


「はぁ? お話ぃ?」


 素っ頓狂な声を上げたサキュバスが、驚きのまなざしでこちらを見る。

 俺の横に立つラジエルは握っていた剣をさやに収め、サキュバスをにらみつけた。


「ハルの言う通りです。私たち……いえ、ミカエル様は、そちらの『ルファ』と話をするために来ただけです。それをいきなり……」


 ラジエルの非難にサキュバスは、人差し指で自分の亜麻色の髪をクルクルともてあそびながら、「ふーん」と生返事をする。


「でもぉ、普通、敵対しているやつが目の前に現れたらぁ、お話をしに来たなんて思わないしぃ」


「……確かにそう……ですが……」


 サキュバスの当然ともいえる主張に、ラジエルはむっとしながらも渋い顔で同意をした。



 そんなラジエルとサキュバスのやり取りをよそに、ルシフェルは俺にゆっくりと近づく。


サキュバスの力は、ほかの下級悪魔とは違って、私の力で高位悪魔並みに引き上げられているの。たとえ熾天使あなたであっても、この瘴気しょうきは簡単には抜けないわ。薬湯を作るから、こちらへいらっしゃい」


 そう言いながらルシフェルは体を屈め、地面についている俺の手を取ろうとした。だが、俺の指先に触れる直前で、彼女の手はピタリと止まる。

 俺は不思議そうにルシフェルを見た。彼女の視線は一瞬俺を捉えるが、すぐに横にいるラジエルへと行き着く。


「彼を……家まで運んでいただける?」


「もちろんです」


 ラジエルの返事を聞いたルシフェルはうなずき、俺をチラリと見てから立ち上がった。そして、俺たちを先導するかのように自分たちの住む家へと歩き始める。



 触れることすら拒絶するのか……。



 胸をえぐられるような思いがし、俺は地面についていた手を握りしめる。だが、過去の彼女に対し、俺はそれほどのことをしたのだ。俺に触れたくないと思うのは、当然なのかもしれない。



「さぁ、ミカエル様、肩につかまってください」


「あぁ……」


 俺はラジエルに支えられながら、ルシフェルのあとを追うように赤い屋根の家へと入っていった。



*  *  *



 チーク材で作られた玄関扉から建物の中へ入ると、あまりの明るさに俺は一瞬、目がくらむ。そこは、太陽の光を目一杯に取り込んだ、明るく穏やかな雰囲気のリビングだった。

 俺と一緒に室内へ入ったラジエルも、この雰囲気にたじろいだようで、彼の体がビクリとなる。俺は、それに内心苦笑した。



 まぁ、この雰囲気は『悪魔』が住むような感じ……じゃないよな。



 天使である『ルシフェル』ならしっくりくるこの住処も、悪魔の『ルシファー』には不釣り合いだと思ってしまう。きっとそれは、俺たち天使のつまらない固定概念のせいだろう。



 陽が差し込むリビングを通り過ぎ、俺たちは奥の部屋へと通された。

 その部屋の扉を開けた途端、薬草の臭いがどこからともなく漂ってくる。

 室内を見回すと、茎の長い野草がぎっしりと詰められた大きな涅色くりいろのつぼがいくつも床に置かれているのが見えた。そして、壁際に設置してある机の横には、小さな引き出しがたくさんついた茶褐色の薬棚が置かれてある。

 おそらくここは薬師の作業場なのだろう。俺は、その部屋の隅にあった簡易ベッドへと寝かされた。


 ルシフェルは部屋をあちこちと動き回りながら、手際よく薬湯を作り始める。俺は、そんな彼女の姿をぼんやりと見ていた。



 ヒトの命を奪うことに何ら躊躇ためらいのない悪魔が、ヒトの命を救う薬師の仕事をしているだなんて……おかしな話だな。



 だが――と、俺は思う。

 天使のルシフェルが人間界で選ぶとしたら、まさに、ヒトの命を救う仕事ではないのかと。俺の知っている彼女は、誰よりも気高く、誰よりも賢く、そして、誰よりも優しかったから。


 俺の中でいったんは消えてしまった期待が、再び頭をもたげてくる。



 本当に『ルシフェル』は消えてしまったのか?



 確証は何もなかった。願望に近い期待なのかもしれない。

 ただ今目の前で、地獄ゲヘナの支配者であるルシファーが、天界ヘブンの熾天使である俺を助けようとしている。薬師であることもそう。ハルとの関係だってそうだ。悪魔本来の行動から、大きく逸脱しているのは確かなのだ。



 俺が考えを巡らせていると、いつの間にかルシフェルは、緑色の液体が入ったカップを手にベッドのそばへとやって来ていた。


「毒味でもする?」


 ルシフェルは、ベッドの脇にいるラジエルにカップを差し出す。

 ラジエルは無言でそのカップを受け取り、口を付けようとした。だがその前になんとか体を起こした俺は、ラジエルの持つカップを奪い取る。


「必要……ない。そんなこと……しても……無意味……だ」


 そう言うと、俺はカップの中身を一気に飲み干した。ドロッとした液体が、俺の口いっぱいに広がっていく。


「マズっ!」


 あまりの苦さと青臭さで、俺は危うく吐き出しそうになる。片手で口を押え、俺は薬湯が喉を通過するまで耐え忍んだ。


「ミカエル様!? 大丈夫ですかっ?」


 ラジエルの慌てた声に俺はすぐに返事ができず、口を押えていないもう片方の手を挙げて、大丈夫だと合図をした。

 そんな俺の様子を見ていたルシフェルがあきれたように言う。


「苦いから、ゆっくり口に含んで欲しかったのに……」


「そんなの……渡す前に言えよ……」


 まだ口の中に残る苦味をなんとかやり過ごしながら、俺はルシフェルに対しボソリと抗議をした。


「だって、いきなり飲むんだもの……」


 ルシフェルもボソリと反論をする。

 それを聞いて、俺は思わず顔を上げた。ルシフェルと目が合い、互いにぎこちなく笑う。



 こんな風に笑い合ったのなんて、いつ振りなんだろう……。



 遠い時のかなたでモノクロに固まっていた記憶が、鮮やかに息を吹き返す。もう戻れないその過去に、俺の胸はチクリと痛んだ。



「薬が効いてくるまで、少し横になったほうがいいわ」


 からになったカップを手に、ルシフェルは部屋から出て行こうとした。


「ルシフェル、あのさ……」


 引き留めた俺の言葉で振り返ったルシフェルは、眉間にしわを寄せて俺を見る。


「ここでは『ルファ』と呼んで。そうじゃないと話は聞かないから」


「……分かったよ……ルファ」


 俺は仕方なく頷いた。


「じゃぁ……またあとで」


 そう言うとルシフェルは部屋を出て行った。

 去り際の彼女の表情が優しく微笑ほほえんだように見えたのは、俺の願望が見せた気のせいなのだろうか?


 俺はふーっと深く息を吐くと、ベッドに体を預けた。

 古い木で組まれた天井をぼんやりと見つめていると、まぶたが次第に重くなっていく。俺の視界の端で、ラジエルが心配そうにのぞき込んでいるのが見えた。


「大丈夫だ……」


 俺はつぶやくように言う。だが、ラジエルの返事を聞く前に、俺の意識は深い底へと落ちていった。

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