03-1:事実と疑義

 話は、少し時間を巻き戻す――


 放牧地でルファと名乗ったルシフェルと、俺は再会を果たした。

 しかし、ルシフェルとともに天界ヘブンへと戻るという俺の願いを、彼女はさげすむような目でにらみ拒絶をする。

 それは当然だった。ルシフェルを地獄ゲヘナへ堕としたのはこの俺なのだから。


こうして俺は、腹心の部下ラジエルとともに、おずおずとパストラルの町へと戻ってきた。



 夕闇が差し迫る町は、我が家へ帰る人たちと夜のとばりに向けた準備とで、誰しもがせわしなく動き、人の声や物音で騒がしかった。そんな町の様子を、滞在する宿の部屋の窓辺からほうけたように俺は眺めていた。


天界ヘブンへお戻りになるのですか? ミカエル様」


 部屋に備え付けられた小さな机で、俺に背を向けて何やら書き物をしているラジエルが、筆を走らせながら俺に尋ねる。


「……」


 俺は何も答えなかった。


 人間界での俺の目的は、ルシフェルを探し出し連れ戻すことだった。

 しかし、彼女に拒絶をされてしまった今、俺はこのまま天界ヘブンへ戻るべきなのだろうか?


 ラジエルは筆を置き、書きつけていた手帳をパタリと閉じた。そして、深いため息をつきながら俺のほうに体ごと向き直る。


「あなたは、過去の功績からも天界ヘブンの英雄に相応しいお方です。戦いに秀でているだけではなく、気概があり、進取しんしゅの気性(*)も持っておられます。しかし、今は『あの時』のことが原因で、天界ヘブンの最高位天使とは名ばかりのただの抜け殻になっています。それでも、唯一、あなたが息を吹き返すときがある。それは『ルシフェル』のことが絡むときです」


 俺は、窓の縁に頬づえをつき外を見下ろしたまま、ラジエルの言葉に耳を傾けていた。


「あなたは、人間界で彼女らしき悪魔が現れたとうわさを聞けば、全ての職務を投げ出し、その地へと赴く。そんなことを、何千年、何万年と繰り返してきました。そして、その都度、私もあなたのお供をいたしました」



 なんか……あらためて言われると、俺ってダメ天使……だな。



 俺は軽く眉根を寄せるが、ラジエルは俺の内心など構わずに続ける。


「あなたの、その『ルシフェルを連れ戻す』という執念に、鬼気迫るものを私は感じておりました。正直に申し上げると、あなたの行動は常軌を逸していると思っております。それに、私は彼女の犯した罪をいまだに許すことはできません。ですが、仮に、あなたの願い通りに、彼女を天界ヘブンへ連れ戻したところで、彼女の居場所はすでにどこにもありません。そもそも、彼女の大罪のせいで、どれほど多くの同胞たちが核を失い、長い眠りにつかなければならなくなったのか、あなたはお忘れになったわけではないでしょう? そして、彼女にたぶらかされ、どれほど多くの同胞たちが堕天使となり地獄ゲヘナへ堕ちたのかも……」

 

 ラジエルの言いたいことは、俺も痛いほど分かっているつもりだ。



 天界ヘブンの黒歴史――そもそもの始まりは、神がヒトの始まりであるアダムとイブを土から創り出したことが原因だった。

 当時、全天使の首領であったルシフェルに対し、神は、天使よりも脆弱ぜいじゃくで無知なヒトの祖であるアダムとイブに「仕えよ」と命じる。

 俺たち天使は神のその命に驚きを隠せなかった。その中で最も不満を持ち、神に対し強く反発したのがルシフェルだった。


 アダムとイブの誕生がきっかけとなり、最終的に、ルシフェルは多くの天使たちを惑わし、賊軍を組織して神に反旗をひるがえした。

 その結果、天使同士が血で血を洗うように戦うこととなり、たくさんの天使の核が壊された。核が壊された天使たちは、今も天界ヘブンの上層にある神殿の奥で深い眠りについている。

 さらに、現在の地獄ゲヘナの支配者であるルシファーをはじめ、ベルゼブブ・アスタロトの三支配者を筆頭に、堕天した元天使の多くが地獄ゲヘナの支配層の上位に君臨している。


 このことから、天界ヘブンでは『ルシフェル』は諸悪の根源であり、憎むべき存在なのだ。

 そんな彼女を天界ヘブンへ連れ戻そうとしている俺の行動は、ラジエルから見れば常軌を逸していると思うのも無理はない。だが――と俺は思う。



 窓の外から部屋の中にいるラジエルへと、俺の視線が移る。


「ラジエルは、熾天使だったルシフェルと話をしたことはあるのか?」


 俺の問いに、ラジエルは頭を横に振った。


「いえ、神殿内で何度か見かけたことはありましたが。当時の私は一介の座天使でしたので」


「そうか……。俺さ、いまだに信じられないんだよ。ルシフェルがあんなことをしたってことが」


「……」


 ラジエルが当時を振り返るような顔つきになる。俺はそんな彼を見つめながら話を続けた。


「俺が知っているルシフェルは、気高くて聡明で……そして、誰よりも慈愛に満ちた天使だった。そんな彼女が、神が『アダムとイブに仕えよ』と命令したくらいで、不満に思うのだろうか? いや、もし、不満に思ったとして、そこからさらに、同胞の天使たちをそそのかし、賊軍を組織し、神に反旗を翻すほどの強い増悪になるのだろうか?」


「それは……」


「俺は、俺が知っているルシフェルと『あの時』のルシフェルにひどく隔たりを感じるんだ。それが何なのか、俺は知りたい」


 ラジエルに話しながら、俺は自分の進むべき道が見えた気がした。



 そうだ。俺は彼女に会っただけで、まだ、何一つ確かめていない。



 そんな俺の顔を見ながら、ラジエルはため息とともに頭を左右に振り、困ったような笑顔を向けた。


「どうやら、お気持ちは固まったご様子ですね」


「は? おまえっ……わざと突っかかってきたのか!?」


 俺は自分の口を片手で覆う。



 俺の顔……たぶん……赤くなっている……と思う。



「あなたが迷われているようでしたので、少し……ね。あと、私の本心も今一度はっきり申し上げておいたほうがよろしいかと思ったもので」


 ニヤリと笑うラジエルを俺は軽く睨む。だが、互いの視線がぶつかった瞬間、俺たちは声を立てて笑い合った。


 そう、俺は知っている。

 ラジエルは、俺の『ルシフェル探し』をこころよく思っていないことを。だが、その気持ちを自分の中にすべて押しとどめ、俺に付き従ってくれていることを。そして、誰よりも俺を信じてくれていることを。



「では、そろそろ参りましょうか」


 そう言うとラジエルは、おもむろに立ち上がった。


「ん? どこへ?」


「もちろん、情報収集です。彼女は『ルファ』と名乗って、ヒトの子とともに生活しているようですから。酒場へ行けば、うわさ話の一つや二つ聞けるかもしれません」


「なるほど」


 ラジエルの言葉に納得した俺は、開けていた窓の引き戸を閉めた。


 いつの間にか、外は太陽がすっかりと影を潜めていた。暗闇をまとう町のどこからか、陽気な音楽と笑い声が聞こえてくる。

 パストラルの町は、いつもと変わらない長い夜を迎えようとしていた。



*進取の気性→従来の習わしにとらわれることなく、積極的に新しい物事へ取り組んでいこうという気質や性格

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