03-2:事実と疑義

 パストラルの酒場は、町の西側に多く集まっている。この町の住民が多く出入りしていそうな店を選び、そのうちの一軒に俺たちは入った。

 ラジエルとともに店のカウンターに座った俺は、今夜の食事を食べながら、店の主にそれとなく『ルファ』のことを聞く。すると、主はあっさりと彼女の話を始めた。



 ルシフェルが名乗っている『ルファ』という女は、三年ほど前にハルを連れて町へとやって来た。そして、町外れの誰も住まなくなった家に、薬師として住むようになったらしい。

 この時代、医者に診てもらうには高額な費用が必要だったため、医者よりも安価で薬を処方してくれる薬師は、町の住民にとって貴重な存在だった。

 当時のパストラルの町には薬師がいなかったため、当初、ルファたちの詳しい素性を聞かず、暗黙の了解で受け入れたらしい。それでも、彼女の薬師としての仕事ぶりは確かなものだったので、町でルファを悪く言う者はいないそうだ。


 酒場の主が言うには、ハルとルファには血のつながりはないらしい。ハルの実母は、彼女の出産時に亡くなったそうだ。そのあと、幼いハルを育てていた実父とルファが一緒に暮らすようになった。やがて、ハルの実父も彼女が五歳の時に亡くなり、ハルとルファの二人きりになったそうだ。

 そしてどうやら、パストラルの町に来る以前の二年ほど、さまざまな地を彼女たちは流浪していたらしい。



*  *  *



 パストラル滞在五日目の朝、俺たちは再び町外れの放牧地へと足を運んでいた。ここに来れば、またルシフェルに会えるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて。


 昨日の夕方の放牧地は、治まることのない風が吹き荒れるばかりで、動物たちの姿もない寂しい草原だった。しかし、今日は、朝から風もピタリと止み、木陰を作る木々が点在する草原には、牛たちが草をついばんだり寝転がったりと、なんとものんびりした風景が広がっている。


 俺は、放牧地からさらに遠くにある山並みを眺めた。目の前の青々とした緑が広がる放牧地とは季節がずれている山頂は、うっすらと白い雪が降り積もっている。

 緑と白のコントラストを眺めながら、俺は、昨日、放牧地ここで出会ったハルという少女のことを思い返していた。



 くり色の二つに束ねたゆるい三つ編みの髪と、くりくりとした大きな瞳、白桃のようにほんのりピンク色をした頬……一見すると普通の女の子だった。



「ラジエル、おまえ、あの子……ハルの『座位』は見えたか?」


「いえ……」


 俺と同じ方向を見ながら答えるラジエルの声に、躊躇ためらいが混じる。



 ヒトは、その魂が天界ヘブンへ戻れるようにと、誕生と同時に神から『座位』が与えられる。

 この『座位』は、天界ヘブン地獄ゲヘナとの力の指標となっていた。

 天界ヘブンの座位の所有が多ければ、人間界における天界ヘブンの影響力は強くなり、逆に、地獄ゲヘナの座位の所有が多ければ、人間界は地獄ゲヘナの影響を強く受けるのだ。

 こうしたことから、悪魔はヒトに働きかけ、彼らの魂を汚し、天界ヘブンにある『座位』を地獄ゲヘナへ移そうとする。そして、天使は天界ヘブンにある『座位』を守るために、ヒトを正しい道へ導こうとする。

 そうして、ヒトは死ぬまでの間に、天使と悪魔の間で揺れ動くこととなるのだ。

 ちなみに、ヒトの死後、『座位』の所有の確定は本来俺がすべき仕事……なのだが、今は、熾天使ガブリエルが俺の代役を務めている。



「どうなっているんだ? ただのヒトの子の『座位』が見えないなんて……。いや、まさか……」


 俺の視線は連なる山々からラジエルの横顔に移る。

 ラジエルは顔を少し強張らせながら口を開いた。


「彼女がハルのそばにいる以上、ただのヒトの子とは言えないでしょうね」


 昨日この場所で、ルシフェルとハルが手をつないでいたことを俺は思い出す。


「やはり『無垢の子』と考えるべきか」


「そうだとしたら……」


 ラジエルが言葉の続きを言う前に、俺たちが立つすぐ後ろから声が聞こえてきた。


「もしそうだとしたら、私を殺すの?」


 俺は驚いて振り向く。すると、そこには栗色の髪を横に流すように結ったハルが立っていた。

 慌てて辺りを見渡したが、ルシフェルの姿はどこにもない。どうやらハルは、ここに一人で来たらしい。


 ラジエルもハルのほうに向き直る。


「なぜ、私たちがあなたを殺すと思うのでしょうか?」


 落ち着いた柔らかい口調でラジエルは彼女に問いかけた。


「だって、あなたたちは天使だから……」


 ハルは俺たちから視線を外し、うつむきながら小さな声で言う。



 やはり、この子は俺の背に生えているが見えるのか。



 ハルに天使と気づかれたのでは? という俺の危惧は確証へと変わる。それを確かめるように、俺は彼女に尋ねた。


「君は、俺たちの翼が見えるんだね?」


 俺の言葉に、ハルはコクリとうなずく。

 しかし……だからといって、高位天使が隠した翼を見抜ける力が『無垢の子』特有といえるのだろうか? 俺自身が『無垢の子』について知らないことが多すぎて、何とも言えなかった。


 ハルの様子を見ていたラジエルは、彼女の顔をのぞき込む。


「あなたは『無垢の子』についても、何かご存じのようですね?」


「……」


 ラジエルの問いに、ハルは身を固くして何も答えなかった。見るからに、彼女は俺たちのことを警戒しているようだ。

 ハルの信頼が置けない様子を察したラジエルは、服が汚れるのも気にせず両膝を付き、目線を彼女に合わせニコリと微笑ほほえむ。


「申し訳ございません。名乗るのが随分と遅れてしまいましたね。私は座天使ラジエル。こちらにいるのは、私の上官で熾天使ミカエル。私たちは、あなたが何者であろうとも、あなたを傷つけるつもりはありません」


 しかし、ハルは俯いたまま、ラジエルに視線を合わせることなく頭を左右に振る。


「うそよ……」


「なぜ、うそだと思うのですか?」


 ラジエルの口調は、まるで教師が生徒を優しく諭すようなものだった。

 ハルは、少しきまりが悪そうにラジエルをそっと見る。


「だって……私が『無垢の子』なら、あなたたち天使は『神の子』にするために、私を殺すのでしょ?」

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