第1章

01-1:出会いと再会

「ミカエル様? 聞いておられますか?」


 その言葉に、俺は夢から覚めたように目を開いた。


「ん?」


 ここがどこなのか、一瞬、思いを巡らせる。



 そうだ。俺は、今、人間界にいるんだった……。



 ヒトが住む町『パストラル』に着いたのは、今から四日ほど前。

 元は田舎町だったこの地は、帝都における実力者の領地の一部となったことで、中規模の町にまで発展したらしい。

 この町に着いてから、三日を費やして町中をくまなく歩き回ったが、俺の求める情報は一向につかめなかった。


 パストラルという地名は『牧歌的』という意味があるらしい。その地名に相応しく、町の郊外には放牧地が広がっている。

 滞在四日目の今日、俺たちはパストラル郊外の放牧地に足を運んでいた。



「そう簡単には見つからないか……」


 俺は、草原に寝転んでいた体を半分起こし、ガシガシと銀色の髪をかく。


「ですから、先ほどもお話ししたように、放牧地は町とは比べものにならない広さです。いったん天界ヘブンへお戻りになって、態勢を整えてはいかがでしょうか?」


 風になびく藍色の長髪を鬱陶うっとうしそうに押さえながら、俺の横に立つ長身の男ラジエルが言った。



 座天使ラジエル――座天使の長である彼は『秘密の領域と至高の神秘の天使』という称号を持ち、七大天使の一人だ。俺の腹心の部下であり、常に俺のそばにいてこの身を案じてくれていた。



 そのラジエルが、天界ヘブンへの帰還を促す気持ちは、俺も分かっているつもりだ。


 パストラルを訪れたのは確かに四日ほど前だった。だが、天界ヘブンから人間界へ降りたのは、二百日以上前となる。もっといえば、俺は『あの時』以降、天界ヘブンと人間界を頻繁に行き来していた。いや、どちらかというと、天界ヘブンでの滞在時間のほうが短いかもしれない。


 何も答えない俺に、ラジエルが眉間にしわを寄せつつ言う。


「こんなことを申し上げたくはありませんが、ガブリエル様が……」


「分かっているっ」


 ラジエルの口から出た『ガブリエル』という名を聞き、俺は反射的に苦い顔をした。



 熾天使ガブリエル――神の御前にいる四大天使の一人。『神のことばを伝える天使』といわれており、俺ミカエルの次席『神の左に座す者』と評されている。

 

 この俺も、まったくもって光栄なことに、神の御前にいる四大天使の一人だ。そして、神の軍隊の総司令官であり、死者を冥界に導く役割を担っている。天界ヘブンでは『最高位天使』という位を与えられていた。


 正直なところ、俺は自分の立ち位置に興味はない。『最高位天使』という肩書が欲しければ、喜んで譲りたいとさえ思っている。

 だが、天界ヘブンでの職務を半ば放棄し、いつまでも人間界をうろついている俺に対し、父である神は、俺から『最高位天使』の位をはく奪する気が、今もってないようだ。

 そのせいで、俺よりも仕事ができるガブリエルも、俺の『次席』という評価を甘んじて受け続けなければならない。そんな彼が俺を気に入らないと思うのは、必然的ともいえた。



ガブリエルあいつ……俺よりもあとから創られたくせに、態度も体格もデカくて、本当に気に食わねぇ」



 身長172㎝の俺に対し、ガブリエルは192㎝の大男だ。いつも俺を見下ろし、あの傲慢ごうまん――と俺には思える、態度が気に入らない。

 そもそも、俺の周りにいる天使どもは、なぜか俺よりも背が高い。俺の隣にいるラジエルだって、身長が183㎝なのだ。



「体格はともかく、ガブリエル様の態度は、ミカエル様の日頃の行いのせいかと存じますが?」


 ラジエルがあきれ気味に言う。

 彼の言い分に反論したかったが、もっともなだけに俺は不満げな表情をするにとどめた。


「はぁ……仕方がない。いったんもどっ……うわっ」


 最後まで言い終わらないうちに、突然吹き抜けてきた風とともに、俺の視界が何かで覆われる。


「なっ何だぁ?」


 俺は顔にかかった何かを慌てて引き剥がす。ラジエルも驚いたように俺の顔をのぞき込んだ。


「大丈夫ですか!? ミカエル様」


「あぁ。それにしても、これ、どこから?」


 俺は、顔にかかった麻布あさぬのを手にし、辺りをキョロキョロと見渡す。すると、どこからともなく少女の声が聞こえてきた。



「すみませぇぇぇぇん! 大丈夫ですかぁ?」


 声の主を探すと、十歳くらいの少女が、俺とラジエルがいる傾斜のついた草原のさらに下方から駆け上がってくるのが見えた。

 俺たちの前に来た少女は、体をくの字に折り曲げてゼーゼーと息を切らす。そんな彼女に、俺は手にしていた麻布を差し出した。


「これ、君の?」


「はいっ……急に……強い風が……吹いた……もので……」


 急いで駆け上がってきた少女は、肩で息をしながらなんとか答える。それを見て、俺は思わず吹き出してしまった。


「ははっ大丈夫? それにしても、すごい荷物だね?」


 くり色の髪を二つにゆるく束ねた三つ編みの少女は、自分の体よりも大きなとうのかごを抱えていた。こんなに大きなかごを抱えて坂を上れば、息が切れても仕方がない。

 かごの中を覗き込むと、そこにはさまざまな種類の野草があふれんばかりに詰め込まれていた。そこに被せていた麻布が、どうやら風に飛ばされて、俺の顔に張り付いてしまったらしい。


「乾燥させて……薬草として……使うん……です。今日は……風が強いから、飛ばされないようにって、布を被せていたんですが……」


 少女は弾んだ息を整えながら、俺が差し出した麻布を受け取ろうとした。だが、彼女の手に渡る直前、少女は俺の顔を見て「あっ」と声を発したきり、目を見開いてそのまま動かなくなった。

 俺は少女の態度を不思議に思い、訝し気に彼女を見る。そのとき、俺は初めて異変に気がついた。



 この子は……一体なんだ?

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