もやしとして

 桜の花を作るのにはコツがある。ガクをしっかり固定して一枚目と二枚目の花びらをフワッと重ねながらめしべを差し込んでガクをぎゅっと締める。ひと月だけのつもりだったがあまりに面白くて半年続けてしまった。そう、アキバ帝国が解体してはや半年が経った。僕は今いわゆる在宅ワーカーである。


「在宅ワーカーって。カッコつけなくても内職じゃない?」


 親友キャッスルが焼鳥を頬張りながら次の焼き鳥に手を伸ばしている。


「いやいや、そうだけどね。いいじゃんカッコつけても」

「で桜毎日何本作ってんの?」

「一万本」

「いっ!」

「これでも稼いでるんだ。人と顔合わせなくても済むし僕にはぴったりだよ」

「んー、生活出来てるなら止めないけど。ちょっと社会に慣れたほうがいいんじゃないか?」

「ほっといてよ、これで十分満足してるんだ」


 キャッスルの親父臭い小言はいつもの事、僕は親友であるキャッスルと月に一回コミケの打ち合わせを兼ねて飲みに行く。僕は今も同人作家の活動を細々と続けている。


「これ読んでよ」


 本題の原稿を見せる。キャッスルは待ってましたとばかりに手を拭いて眼鏡を掛ける。読むのを待っている間に店員が料理を持って来たのでグラスを下げてもらいお代わりのゆず酎ハイを注文した。原稿を読むキャッスルの顔は半笑い、面白いのかなとドキドキしながら読み終わるのを待つ。


 10分後、キャッスルは手を叩いてブラボーと笑う。その後、握手をして非常に良かったと頷く。毎度、そのリアクション恥ずかしいからやめてくれないかな?


「もやしまんがついに就職か、長かったな」

「子もやしが生まれたからね。働かないわけにはいかないでしょ?」

「子供が生まれた時はどうしようかと思ったぞ」


 いやいや、あんたの子じゃないから。


「最後はどんなふうにするんだ?」


 何気なしにキャッスルが問うてきたので思わずふと考える。どんなふうに、って……


「もやしなんだから食べられるでしょ?」

「おまっ、……そんな夢の無い話にするのか?」

「えっ、ダメ?」

「ファンが離れるぞ」


 言いながらキャッスルはハツを串から抜く。


「少し将来について考えてみたらいいんじゃないか?」


 ぐっと胸に刺さるひと言だった。あくまで、もやしまんのことを言っているのだろうがまるで自分のことを言われている気がした。その後急に酔いが覚め、酒も進まず、空気もなあなあになってきたので割り勘にして店を出た。店の前でキャッスルとまた会おうと約束して別れ、駅まで向かう。今日もキャッスルは相変わらずだった。ちょっとめんどくさくていい奴。そして僕は歩きながら彼の言葉について考えた。


――将来について考えてみたらいいんじゃないか?


 言葉がズシリと重くのしかかり気持ちが沈みそうになる。僕は嘘をついたことを少し後悔していた。在宅ワークで桜を一万本作ってるなんて嘘だった。本当は皇帝時代のたくわえが無ければやっていけない。すぐに働く必要もないし言い訳のために細々と働いていたけど本当は社会の誰とも関わるのが怖かっただけ。秋葉がアキバであろうが、やっぱり秋葉であろうが僕は僕のままだと認めなくてはいけない。何も進むことが出来ていないただの引きこもり。


 帰宅してぐたりと布団に倒れ込んだが眠ろうとしても頭にキャッスルの言葉がチラつき眠ることは出来なかった。


――将来について考えてみたらいいんじゃないか?


 頭の中でかき消してもすぐに波のようにざあっと言葉が押し寄せる。僕はふと初めて働いた時のことを思い出した。大学を出て就職したのは家電量販店だった。何も初めから嫌になったわけじゃない。最初はやる気もあった。でも不真面目でいい加減な上司を見ていくうちにだんだんと働く気がそがれ付いて行くのが嫌になった。何も世間がそんな人ばかりではないことは知っている。でも僕はそのいい加減な上司が許せなかった、多分今でも許せない。


 仕事は3カ月で辞めた。一度嫌なことから逃げると逃げ癖がついてどこでも誰かを理由に長続きしなくなった。そのうち僕は戦うことを止めた。戦わないのは居心地が良かった。でも戦わないのであり戦えないわけじゃない。そう、僕はまだ戦える。戦えるんだ。


 僕は思い立ってスマホを手に取り電話を掛けた。長いコールの後キャッスルが出た。


『……どうしたんだ、もやっしー?』


 キャッスルは声が寝ぼけていて事態が飲み込めていないようだった。


「キャッスル……あの」

『?』

「あの……」

『?』

「僕、……戦う! ちゃんと戦うから!」


 口にした瞬間、手に力が籠り耳がかあっと熱くなる。心臓がどきどきとして声が上ずる。


「ちゃんと……戦うから」

『……そうか』


 キャッスルが脈絡のない話をどれだけ理解したかは分からないけど、彼は穏やかな声で相槌を打った。


 翌日僕は在宅ワークをサボり二日酔いも覚めぬまま、もやしまんの最終話のプロットを練り始めた。



 もやしまんは正義のヒーローをしながら普段はコンビニで働いている。店長なのでスタッフにも気を配りながら必死で売り上げと戦っているがある日、もやしまん最大の敵アオカビーが現れる。実力は互角、善戦をしていたがアオカビーの攻撃により店の商品がアオカビに感染してしまう。


 うわさの広まった店は廃れ、もやしまんは店長の座を失う。憤怒したもやしまんは最終決戦の地へと赴き、アオカビーとの死闘を繰り広げた。長い戦いの末勝利したがもやしまんの体はアオカビに侵されていた。死期を悟ったもやしまんは妻と子に別れを告げビニルハウスの片隅でひっそりと死んでいく。今際の際で思い出すのは家族でもやし鍋をつついた幸せな思い出であった。



 翌月のコミケでその原稿をキャッスルに見せた。本にはせずに彼の意見を待つ。彼のゴーサインが無ければ迎えてはいけないラストな気がした。それが懸命に作品作りを応援してくれた彼への礼儀だ。


「泣ける……」


 原稿を見たキャッスルは目元を潤ませた。僕は少し気恥ずかしいような、寂しいような言葉では表現しがたい気持ちだった。


「しかし、良いのか? 終わらせてしまって」

「何事にも終わりは付き物だから」


 キャッスルはふむと頷く。すんなり受け入れてくれていることは僕としても意外だった。


「同人活動は辞めてしまうのか?」

「気が向いたらまた、別の作品考えてみるよ。でも当分は……」

「当分は?」

「世間に出てみるよ。在宅ワーカーはおしまいだ」

「そうか」

「僕ももやしまんみたいに戦ってみることにしたんだ」 

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