妖怪レストラン

にしおかゆずる

1

 その店は、人通りのない路地裏にあった。

 およそ商売気を感じさせない、密やかなたたずまい。僅かに一枚、フレンチレストラン風の看板だけがその存在を主張している。

『妖怪レストラン』

 掠れた看板の文字は、確かにそう読めた。宝のありかを見つけた少年のような気分で、私は店のドアを叩いた。

「いらっしゃいませ」

 白い髭のギャルソンが、うやうやしく私を出迎える。

「この店では、妖怪を食わせてくれるのかね?」

「左様でございます」

 髭の下で唇が動いた。

「ただ、何分にも貴重な食材ですので、入荷できる品も限られております。その時々に手に入る旬の食材を一品、最高の調理法で召し上がっていただく。私どもではそのようにさせていただいておりますが」

 メニューはお任せということか。そうまで言うからには、余程料理に自信があるのだろう。私は鷹揚にうなずいた。

「ご理解いただきありがとうございます。ではこちらへ」

 滑らかな赤い絨毯の廊下を抜けると、中は意外に広かった。

 夕食時だというのに他に客の姿はない。丸いテーブルには清潔なクロスがかけられ、ただ一式、フォークとナイフが整然と並べられていた。まるで、私一人を待っていたかのように。

「人魚の肉でございます。今朝の便で北海より届きました」

 ギャルソンの声と共に、乳白色の塊が現れた。真珠を思わせるほの白い輝き。表面によくのった脂が一刷毛、虹色の光沢をなしている。

 牛、豚、鶏、兎……ありとあらゆる肉を食べてきたつもりだが、このような美しい肉は見たことがない。溜息を漏らし、私は口を開いた。

「人魚の肉には、不老不死の力があるというが……」

「迷信でございます」

 ギャルソンは静かに首を振った。

「私どもも何度となく人魚の肉を食してまいりましたが、決してそのようなことは」

 やはり伝説は伝説でしかない、ということだろう。残念な気もするが、この肉にはそれでも十二分に価値があった。

「レアで頼む」

「かしこまりました」

 しばらくの時間が過ぎ、肉は焦げ目のついたステーキヘと姿を変えた。ナイフを入れると、薄桃色の肉汁があふれ出る。驚くほど抵抗感のない柔らかさだ。

 まず強火で肉汁を封じ込め、続いてゆっくりと火を通してある。熱でタンパク質を固まらせることなく、旨みだけが最高に活性化した瞬間を、完璧に見極めた焼き具合。塩とスパイスのみの単純な味つけが、その奥行きの深さを存分に味わわせてくれる。

「食事とは」

 ギャルソンが言った。

「命が他の命を取り込み同化する、神聖な儀式なのです。それが動物であろうと植物であろうと、まして妖怪であろうと。その時間をお客様に至福のうちに過ごしていただくのが、私どもの喜びなのです」

 私はその場で、次の週の予約を入れていた。

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