クリスマスだけのマイヒーロー

小紫-こむらさきー

今夜は君だけのヒーロー

「ね、本当にクリスマスに予定、空けられる? のぞむいそがしいんでしょ?」

 さっきから友達と通話をしている彼の背中に声を投げかける。

「…はいはい。おっけー大丈夫。じゃあ今から向かうからよろしくな…って梨紗りさごめん。なんか言った?」

 肩と耳にスマホを挟みながら、PCを操作していた彼は、スマホをしまうことなく振り向いた。

「もう! クリスマス本当に予定を空けられるかって聞いたの!」

「大丈夫。その日の夜だけは絶対に何があっても予定を空けておくから」

 ポケットにスマホをしまって、彼は笑った。へらっと力の抜けたような笑い方をすると彼の整った形をした厚い唇の端に鋭い犬歯が見える。

 そこに少しきゅんっとしながらも、私は多忙な彼に再三の予定確認をした。いつも予定が流れるのは仕方ないと思ってる。

 だから、クリスマスも当日に一緒に過ごせるとは思っていなくて。でも、もしかしたら……って期待をして裏切られたときのショックが大きい。

「いつもそうやって言うけど急に予定が入えうこと多いじゃん………だから無理とかしな」

 自分を守るために、彼にもう一度念を押す。無理をしないで欲しいのもあるけれど、彼のことでがっかりしたくないのもある。

 膨らませた私の頬に彼の手が触れる。そっと撫でられて、つり上げた眉がうっかり下がってしまう。

 頬を緩めて「いいよ」と言おうとしたところで、けたたましい呼び出し音が鳴り響いた。

「あ! 待って」

 一度ポケットにしまったスマホを取り出した彼は、顔の前で両手を合わせて「ごめん」のジェスチャーをする。大きく溜息を吐いた私に彼が手を伸ばす。

「はいはい。あ! そうそう。明日だろ? 大丈夫だって」

 私の毛先を手に取って、そっと口付けをした彼に思わずにやけてしまう。こういうところが憎めなくて、大好きなので参ってしまう。

 そろそろ出かけるらしい彼は、肩にスマホをはさみながら器用に上着を着て、申し訳無さそうな顔をして時計を指差した。

 腰に両手を当てて、声に出さずに「しかたないなあ」と言うと、彼はもう一度「ごめん」のジェスチャーをする。

 私が手を振ってあげると、ニコッと笑ってそのまま玄関を出ていった。


 付き合って二年目。のぞむはいつでも忙しい。

 本当に24時間つねに電話が鳴っているって言っても大袈裟じゃないと思う。少しだけ大袈裟かも。

 のぞむと付き合えた時はまさか! って驚いた。だって顔もかっこいいし、性格もいい。そしてノリもいい。だから、友達もすごく多いし、彼を狙っている女の子もたくさんいた。

 二十代半ばの彼が、アラサーOLの私と付き合おうと思ったのか正直今もわからないままだ。

 そんないいこと尽くしのように見える彼の欠点は、ほとんど家に帰れないこと。なので、彼女である私とデートをする暇もないくらい忙しいってこと。


 仕事を趣味にしたような彼は、仕事と人付き合いが直結するような生活をしている。

 それは理解しているから、あまり交友関係に口出しもしないし、寂しいも言い過ぎないようにしている。

 二ヶ月ぶりの映画デートが、急に入ったアクセサリー屋さんの友人とのミーティングが入って、本当に映画だけを見て終わったのは少し根に持っているけれど。

 付き合う前から、彼が忙しいことも、彼が友達を大切にすることもわかってた。けど……それでもだんだんと寂しさは募ってくる。

 浮気の心配はしていない。何故なら、のぞむが行く場所はだいたいインスタで把握できるからだ。それに、彼なりに私を大切に思ってくれているのもわかる。空いた時間にLINEでビデオ通話をしてくれるところはすごく優しいなって思う。でも、やっぱりわかっていたけれど寂しいものは寂しい。周りに若くて可愛い女の子も多いから不安じゃないていうと嘘になる。

 毎年クリスマス近辺は彼の忙しさも佳境になる。イベントも多いし、二人でクラブにいければいいかなーと思っていた。共通の知り合いがDJをするみたいだし、仕事が忙しくて最近は夜遊びなんて全然してなかったけど、年末だし……と期待値も下げていた。なのに彼が「梨紗りさー! クリスマスの夜は空けておいて」なんて先週言ってきたのだ。

「たまには二人きりで過ごそ? すっげえおしゃれして待ってて」

 そんなことを言うから、驚いてしまった。更に彼はこう言葉を続けてきた。

「俺のこといっつも飛び回っててみんなのヒーローみたいって言ってたじゃん? だからさ、この日だけは梨紗りさだけのヒーローでいさせてよ」

 キザな台詞に笑ってしまったけれど、彼があまりにも真剣だったから嬉しくなって、すごく楽しみにしていた。でも、忙しそうな彼を見ると、それがやっぱりなしになるんじゃないかって不安の方が強くなる。 期待をしたものがダメだったとき、ショックは大きくなる。だから、ダメならダメって早く知りたくて、予定の合間を縫って家に来てくれた彼にいつも不安をぶつけてしまう。

 文句を言わないで済んでるのは、その前に電話に邪魔をされたり、予定が詰まってるからって理由で話を遮って「ごめん」のジェスチャーをしながら家を出ていくことが多いからなんだけど…。


 そうやって少しずつ積もっていた不満は、最悪なことに当日に爆発してしまった。

 クリスマス当日、待ち合わせ場所に向かうまで「もしかしたら」で頭がいっぱいだった。

 何回も何回も確認した。その度にのぞむからは「この日だけは大丈夫」って返ってきた。だから、信じてた。

 S駅の南口を出てすぐにある時計の下で時間を確かめる。ぎりぎりになったけどなんとか間に合った……って胸をなでおろす。

 ふわふわのコートの襟に顔を埋めて、冷えてきた手先に手袋の上から息を吹きかけた。なかなか来ない彼に「少しくらい遅れるのは仕方ないよね」って自分に言い聞かせる。

 周りで似たように待ち合わせをしていた人達にどんどん相手が来て、不安が増してくる。腕時計に目を向けた。もう約束の時間は一時間前に過ぎている。

 スマホを取り出してみたけどなんの連絡もない。

 何回も「大丈夫?」って確認したのに大丈夫じゃなかったじゃんって思ったら、目から涙が溢れてきた。こんな日に待ちぼうけを食らって泣いているなんて情けなくて、恥ずかしくて、私は咄嗟に下を向く。

 そのまま、顔を見られないように俯きながら小走りで駅に戻った。そして、自宅方面の電車に飛び乗る。

 サロンに行って髪の毛をセットして、メイクもして、この日のためにドレスも買ったのに……。

 電車の窓に額をくっつけて泣くのを耐えていると、ピアスが揺れて肌に当たる。去年彼からもらった小さな宝石がちりばめられたピアス。余計に悲しくなって、ハンカチで目頭を押さえた。

 家に着くなりコートを脱ぎ捨てて、ヒールも適当に玄関に脱ぎ散らかした。ついでに、持っていた鞄もベッドに投げ付けた。

 役立たずのスマホもクッションの上に投げつけようと思って振り上げた時に、スマホがブルルっと震えてメッセージが目に入る。

『ごめん』

『今どこ?』

 知らないっ! と誰もいない部屋で大きな声を出してのぞむから来たメッセージを無視する。

 めちゃくちゃになった部屋で電気もつけないままぐちゃぐちゃの髪…こんな状態で迎えるひとりぼっちのクリスマスの夜……本当に最悪だ。

 のぞむがわざと遅れたんじゃないってわかってる。

 もう少しだけ待てていたらとか、せめて電車に乗る前に彼に連絡を取ってたらよかったって後悔が浮かんでくるけど、クリスマスの夜を台無しにしたのは自分で、彼もきっと怒って呆れたかなってどんどん気持ちが沈んでいく。


 握りしめたスマホが震えて着信音が部屋に鳴り響く。

 のぞむからだ。でもなかなか取れなくて、それでも何度も何度も電話は鳴る。三度目でやっとスマホをスワイプして耳に当てた。

『ほんっとにごめん。ちょっとトラブってて…大丈夫? 梨紗りさは怪我したとか具合が悪いとかじゃない?』

「……うん」

 申し訳無さそうなのぞむの声を聞いて、いつもの「ごめん」とジェスチャーしている彼の姿を思い浮かべる。

 怒るでも呆れるでもなくて心配してくれてたんだ。そうだよね、あなたはそういう人だったよねって考えて、黙って帰ってしまった自分の幼稚さに自己嫌悪する。

 何を話せばいいのかわからないままでいると、のぞむが先に口を開いた。


『居場所、教えてよ』

 電話越しに聞こえてくるのぞむの声。少し掠れた声は焦っているからかな。言葉は短いけど、優しく諭すように話してくれてるのがわかる。

「……家」

 泣いていたのがバレないように、息をゆっくりと吐きながら答えた。

 希が小さな声で「よかった」と言った気がした。小さすぎて気のせいじゃないかな? と不安になって、スマホを握る手に力がこもる。

『わかった。待ってて。迎えに行く』

 はっきりとした口調でそった彼は、私の返事を待たずに電話を切った。

 何してるんだろう。自責の念に押しつぶされてしまいそう。泣き腫らして真っ赤になった目が、真っ暗になったスマホの画面に映る。

 せっかくのクリスマス当日。約束してたからずっと待ってて……楽しみにしてたのに。なんでこんなことしちゃったんだろう。

 セットした髪の毛もすっかり崩れてしまった。

 壁にもたれかかりながら頭を抱えてうずくまる。泣きすぎて疲れたみたい。体もまぶたも重い。どんよりとした雲と雪が連れてきた低気圧のせいなのかもしれない。

 溢れてきた涙を腕で拭って、壁にもたれたまま目を閉じた。


 お化粧を直す? 自分から予定をめちゃくちゃにしたのに?

 でもこんな顔で彼に会うのは嫌かもしれない。

梨紗りさ

 体の中にヘドロみたいなものが詰まってるみたいで重い体を引きずりながら乱れた髪とお化粧を直していると、勢いよくドアが開いた。

 玄関のすぐ近くに洗面台があるお蔭で、息を切らせながら部屋に入ってきた彼と目が合った。

「マジでごめん……。遅れるって連絡すればよかったよな。せっかく予定を空けてもらったのにこんなに遅くなってごめん」

 そのまま抱きしめられて、びっくりして手に持っていたブラシを落としてしまう。

「私こそ勝手に帰ってきちゃってごめんね……」

 なんとなく気まずくて謝った後俯くと、のぞむは私の顎に手を添えて上を向かせて、そのまま額に口付けをした。それから、少し無言で見つめ合う。

 お化粧…直したけど変な所あるかな? ちょっと目も腫れてるしあんまり見ないで……。真剣な表情で見つめられるのがなんだか恥ずかしくなって、顔を手で隠そうとした。でも、それは彼に手首を取られて防がれてしまう。

「新しいドレス超似合ってる。それにゆるく巻いた髪もかわいい。この塗り直したばかりのリップも、玄関に置いてあったハイヒールもかわいい。あと……俺がプレゼントしたキラキラなピアスもアイメイクにピッタリで最高にかわいい」

「もう……そういうところ、本当にずるい」

「そうやって照れる仕草もすごく好き」

 手首をやっと離してくれたのぞむに、頬を膨らませて拗ねてみる。けれど、彼は全然ひるんでくれなくて、それどころかセットを崩さないようにそっと髪を撫でてくれた。それから、大きい手をこちらに差し出してうやうやしくお辞儀をしてみせる。

「お姫様、どうぞこちらへ……なーんて。ヒーローっぽい? あれ? これじゃ王子様か…」

 少しおどけて照れ隠しをした彼が差し出してくれた手を取って、そのまま流れるように腕を組んで歩き出す。

 エスコートされるがまま車の助手席に乗った私は、さっきとはまるで違う気持ちになりながら流れていく街中の景色に目を向けた。

 帰り道は悲しすぎて何も目に入らなかったけど、クリスマスの夜だけあって家の近くもイルミネーションがキラキラしていてショッピングモールの近くではクリスマスソングが流れている。

 しばらく車を走らせると、最初に待ち合わせしていた駅が見えて、それからすぐになんとなく見覚えがある街並みを通っていく。どこにいくのか気になっていると、彼の車が小さなクラブ跡地が見える駐車場に止まった。

 どうするんだろう? と思いながらコートを着せて貰って、彼の手を取って外に出る。

「ここで会ったんだよな俺たち。覚えてる?」

 なんとなく気が付いていたけど、予想していなかった言葉が嬉しくて私は言葉をつまらせながら頷く。

 地元からこっちにきて、友達も少ない中興味本位で来たクラブでひとりぼっちでカウンターで飲んでいるところに話しかけてきたのがのぞむだった。

 忙しくて、友達も多くてたくさん似たようなことが多いから、最初に会ったときのことなんて覚えてくれてると思わなかった。

「一目惚れだったんだ。ここで梨紗りさと知り合ってから、いっぱい笑ってたくさんはしゃいだし、色々すれ違って今日みたいに泣かせちゃったことも何回もあった。酔っ払いすぎて怒られたこともあったけど、それでも会った頃と変わらないくらい梨紗りさのことが好きなんだ。こんなに好きになる人なんて他にいないってくらい……」

 彼が息を吸い込む。恥ずかしくて私は耳まで熱くなってしまう。

 ちょうどのぞむのスマホから着信音が鳴り響いた。

 クリスマスの夜だもん。いつも通り友達からの誘いがあるのはわかってる。このまま二人で一緒に友達と遊ぶのも悪くないかな…少しだけでも二人きりになれたし……。

 みんなと合流するんだろうなって思いながら車のミラーで髪の毛を整えながら、横目でポケットからスマホを出していつもどおり電話に出る彼を見た。

「ごめん今手が離せないから。明日かけ直すわ」

 手短に電話を切って電源を落としたスマホをポケットに乱暴に突っ込んだのぞむは、そのまま近付いてきて私のことを抱きしめるとニッコリと笑った。

「電話…切っちゃって大丈夫だった? わたしのこと気にしないでいいよ?」

「今夜は梨紗りさだけのヒーローでいさせてって言っただろ?」

 抱きしめてくれた彼の胸に、私は顔を埋めた。

「毎日毎日忙しくしてロクにかまってくれないのに……こういうときだけすっごくロマンティックなことを言うから全部許しちゃうじゃん……」

「ごめん。もっと普段も時間作るから」

 抱きしめられたまま頭をなでてくれるのぞむの声は優しくて、本気で怒る気になんてなれなくて「もう」と彼の胸を軽く叩いただけで許してしまう。

「大丈夫。のぞむが、私と同じくらい友達が大切なことも、やりたいことがたくさんで時間が足りないことも最初から全部わかってて、それでもいいから付き合うって決めたんだもん」

 今夜が明けたらまた彼は、いつもどおりみんなのヒーローになってまた会えない日々が戻ってくるって思ったら少し涙が出てきそうになるけど、それでも泣くのを我慢して私のことを子犬みたいな目で見つめてくるのぞむに笑ってみせた。

 大丈夫って自分に言い聞かせて、「またこうやってちゃんと好きだって伝えてくれるのは知ってるからちゃんと待ってられるよ」と言葉を続けようとしたら、いつもより強く希に抱きしめられてそのまま唇を奪われる。

 長い長いキスのあと、背中に回した彼の手に力がはいったのが伝わってくる。

「誰といても平気なのに、梨紗りさといると気持ちのブレーキがぶっ壊れたみたいになるんだ。すごく梨紗りさのこと抱きしめたいし、全部放り出してこのままどこか行きたいって気持ちが抑えきれなくなる。だから……」

 体を離されて、見つめ合う。

 珍しく緊張した面持ちののぞむが視線を足元に落として言葉に詰まった。

「どうしたの?」

「結婚しよう」

 意を決したような真面目な顔をして、懐から小さなビロードの小箱を出したのぞむは片膝をついて跪いた。

 ドラマにあるみたいな格好でプロポーズをされて驚いて固まっていると、彼はゆっくりと小箱を開いて中の指輪をみせてくれる。

「指輪の仕上げしてたら遅れちゃってさ…ほんとごめん。友達さんの工房で造らせてもらったんだけど……ダメだった?」

 私が指輪を受け取るのを忘れていると、のぞむは飼い主の顔色を窺う子犬みたいな表情を浮かべて、顔を覗き込んできた。

「ちがう……うれしすぎて」

 シンプルだけど、波を打ったようなキレイな曲線に縁取られたリング。内側には小さな白い石が嵌め込まれていた。

「ムーンストーン。俺の誕生石で……俺の指輪にはこれ」

 彼がポケットから取り出して見せてくれた二回り大きな指輪の内側には赤い石が嵌め込まれている。

「ガーネット……私の誕生石?」

 頷きながら照れくさそうに頭をかくのぞむに抱きついて顔を彼の胸に押し付ける。

 メイクが崩れるのも気にしないで一頻り泣いたあと、お互いに左手の薬指に指輪をはめあって私たちは一緒に手を繋いで一緒に車へと戻った。

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