時間停止アプリ編
残り30日目の失敗
青空を閉ざした音楽室の黒いカーテン。
時々入り込む斜めの光の筋に誘われた気がして、おもむろに窓から見下ろしたグラウンドの隅。
カラカラに乾いた水道場の影に、何やらこそこそと隠れながらグラウンドの方をうかがってる変なやつが居て。
あの時なんとなく声を掛けたのが事の始まりなんだとしたら。
よーいスタートの空砲を鳴らしたのは、表記された00.00.00秒を動かしたのは俺の方からだった。
『そこで何やってんの?』
『……へ?』
◆◇◆◇◆
「カチッと鳴らせば時が動き出して、カチッと鳴らせば時が止まる。これなーんだ?」
「……ストップウォッチ」
「はい正解!! と、言いたいとこですがぁ……んぅ残念!! あー惜しい、惜しいなぁ先輩。早苗の求める正解はぁ……こちらぁ!」
「……」
「むっふふふふ……ねぇねぇ先輩先輩、こーこ、なんて書いてありますぅ?」
「うっざ」
「え? うっざ? どどど、どしたんです先輩、急に日本語読めなくなっちゃったんですか……いやぁ困りますよ先輩、そういうのは早苗の領分ですから」
「いやこっちこそお前の領分には足を踏み入れたくないから。というかバカって自覚あんなら少しは改善してくれ。そんで俺の言わんとする事を一ミリでも良いから理解してお願い」
「はい、それでは正解イッてみましょー! 正解はぁ……時間停止アプリでしたぁ!!」
「……今日も抜群の聞き流しっぷりっすね早苗さん」
多分こいつの中では、学校の教室も、車が通る公道も、男の部屋もどれも同じ空間なんじゃないだろうか。
取り出したるスマホに浮かび上がる文字を惜しみなつ突きつけてくる早苗は、もう眩いほどの笑顔をキラッキラさせてる。
「ていうかさ、その会社のアプリ実際効果ないって分かってんだよな? 何のためにそんなもんインストールしたんだよホント」
「いやいやいやいや、効果があるかないかは使ってみないと分からないですよ。それに時間停止ですよ時間停止! これを使えば今度こそ先輩にあんなことやこんなことも…………うぇへへへへ」
「いつぞやの焼き直しみたいになってんぞ」
今度こそってなに。
もしかして催眠アプリん時も、俺が従わなかったり屋上であんな事言わなかったらするつもりだったっての?
いや無理か、こいつわりとそういう方面はヘタレだし。
……いや、そういう方面に限った話じゃなくてもヘタレだったっけ、そういえば。
「とゆー訳で……先輩。覚悟は宜しいですか!」
「……念のため聞いとく。何の?」
「先輩の、様式美をちゃんと大事にするところがステキです」
「うっさいアホ。で、何の覚悟?」
「フッフッフッフ……もッちろん整ってますとも!! 先輩は! 今から早苗の! 愛の奴隷となります!!」
「前と一緒のネタ繰り返すって楽しいのは本人だけだって知ってた?」
「先輩、そういうのいくない。いくないよーって早苗は思います、うん」
「いやだって事実──」
「先輩は!! 今から早苗のォ! 愛の奴隷になーりーまーす!!」
「君ホントそういうとこ折れないよね」
俺の部屋で、俺のベッドに仁王立ちしながらの発言である。
むしろ俺がご主人様ばりにしつけてやるのもやぶさかじゃないけど。
まぁとりあえずこっからどうするかも見物なので、大人しく椅子に座ったままで居よう。
「んっふふふ、そうやって余裕ぶってるのも今だけなんですからねぇ…………っと、起動出来た。おしゃーー! 先輩、見えますかこれが!」
「00.00.00秒……え、何この画面? これアプリ起動出来てんの?」
「あってるんですよ、これが」
「いやこれどうみてもただのストップウォッチ……ちなみに聞くけど、まだ使ったことは……」
「ないに決まってるじゃないですか。初めては先輩に取って…………あれ、なんか前にもこんな台詞言ってた気が……あるぇー」
「……二回目の方でうっかりときめくとか俺という奴はッッ!」
「まぁいっか。はいそれじゃ、先輩。心の準備は宜しくでしょーかー?」
「……心の準備云々より、この画面を俺に見せる意味ってあんのか? なんかそっちのが気になるわ」
「……あ、確かに………………ていくツーです!」
「……うんもう好きにして」
「それじゃいきまーす! さん、にー……──」
ホントつくづく思う。
前のアプリは俺が作ったもんだから当然催眠なんて効果ないし、俺が参考にしたアプリも当然効果はなかった。
だったら当然、このアプリも制作元は、前回に参考にした例の詐欺会社だし、効果なんてあろうはずがない。
普通はそう思うはず。
普通は、うん普通はね。
けど残念ながら、やっぱり早苗というおバカな後輩──兼俺の彼女は、普通という枠組みから大きく外れる性格でして。
で、その癖、ワクワクを裏切られたりされるとすっごい拗ねたり凹んだりする、そこだけ普通の女の子と変わらないという厄介さ。
「いーち……」
だからこれは、面倒臭くなられない為の予防線というか、致し方ない故の対応策と言いますか。
まぁ、様式美って……大事だし。
◆◇◆◇◆
「──ゼロ!」
「────」
「…………」
「…………」
「……先輩? おーい……あれ、へんじがない。どうやらただのしかばねのようだ」
「……(こいつ結構ゲーム好きだよな)」
「…………」
「……(あれ、こいつも動かねぇな)」
「…………やった……やたやたやたた!!やったったぁー!」
「……(!?)」
「うひょー先輩固まってる! つんつん、つんつん……おほほー! 先輩触り放題!」
「……(有頂天極まり過ぎだろ)」
「むむむっ、いや待て、待つのだ早苗。もしかしたらこれは先輩の演技かも知れぬ……」
「……(なんで若干時代劇っぽいんだよ)」
「……カバディカバディ」
「!?」
「カバディカバディカバディカバディカバディ……」
「…………(うっ、うっぜぇ……何こいつ、いきなり変な事言いながらバスケのディフェンスみたいな動きを……)」
「……よし、動かない」
「……(軽く顔の眉とか動いてんだけど、こいつは何故気付かん)」
「……カムントにゃんにゃん♪にゃんにゃにゃんふにゃん♪」
「……(またなっつかしい踊りを……)」
「……動かない、イケるにゃん!」
「……(イケるやんと言いたかったんだろうな多分)」
「…………」
「…………」
「……ピラッとな」
「!?!?(こ、こいつ……スカートめくってんじゃねぇよアホォ!)」
「……ふむ、先輩のテントは張ってない……となると、本当に止まってるんだ……………………ぐへへへ」
「……(まてやこのアホ。笑い方もそうだけどその解釈は心外にも程があんだけど)」
「…………すんすん」
「……っ(いきなり首の匂い嗅ぎ出すとか)」
「……よっこいしょ」
「……(正面から膝に乗るかね。椅子ギシギシ言ってんだけど大丈夫かこれ)」
「…………あー……落ち着く」
「……(こいつ首元に顔埋めんの好きだなホント)」
「……キスマーク付けたら怒るかな」
「!?(!?)」
「……やっぱやめよ。我慢出来なくなるし」
「!?!?(!?!?)」
「とうっ」
「…………(なんか座る方向変えだしたぞこいつ。っておい後頭部グリグリ押し付けんなよホント犬だなもう)」
「…………」
「……っ!(そこで頬杖つきつつ足を組むなバカ、お前、尻をどこに乗っけて……)」
「…………」
「…………(な、なんか急に大人しくなったぞ……つかこれじゃ扉に向かってただポーズ決めてるバカ二人だぞおい)」
「……クックックッ」
「…………(なにいきなり笑ってんのこいつ)」
「勇者よ。この魔王サナエルと組むが良い。そうすれば世界の半分をくれてやろう……」
「……(ほんとにただのポーズじゃねぇか!)」
「はっはっはっ、そうかそうか。所詮貴様も欲深き人間だな。良いだろう、くれてやる」
「……(勇者折れたんかい!)」
「……いつくれる、だと? ふふん、バカめが。くれてやるとは言ったが、今回は時と場所を指定していない。つまり私がその気になれば……世界の半分の受け渡しは十年後……二十年後も可能だということ……」
「……(別の意味でざわつくわ! ネタ更に被せてんじゃねぇよ!)」
多分この瞬間まで、俺は完全に気を取られていたんだろう。ナニにとは言わない。
だから多分聞き逃してしまったのだ。
いつの間にか帰ってきていたマイシスター優香の存在を。
その足音を。
──ガチャ
「お兄ぃ、今日早苗さん来て────」
「……あっ」
「──(アカン)」
「……」
「……」
「……(どうしよこれ)」
うわこれキツイ。
もう普通にイチャついてるだけなら、呆れて釘さして終われるのに。
こんな良く分からん態勢……しかも今まさに妹を待ち受けていたかのような無駄にドヤァみたいなポージング。
これキツイ。つうかイタイ。
ただただ、えぇ、なぁにこれぇ……って顔してる妹のリアクションが辛すぎる。
しかし、この状況を打開すべく動いたのは、早苗だった。
長い膠着状態から、スッと右腕を持ち上げて、ビシッと優香を指差して、一言。
「……よくぞ来た、勇者よ」
「……いえ、優香ですけど」
「……ていくツーで」
「……ういっす」
「……よくぞ来た優香よ」
「……えーっと、よ、よくも、お兄を人質に……ん、えと……人質っていうか……い、椅子にしてくれたなぁ。座り心地はどうだ!」
「めっちゃフィットします!」
「……フィ、フィットすか……」
「……(妹は思春期です)」
「……で、では優香よ。この魔王サナエルと組んで世界……あ、世界の半分は勇者にあげるんだった。えーと……先輩の椅子の半分……あ、半分は困るな……右太腿? でも太腿はエッチだし……うーん……」
「…………あの、そろそろ部屋戻りますんで……椅子はどうぞご自由にお使いください」
「あ、え、先輩の膝頭なら譲りますよ!?」
「いやいや大丈夫です、はい…………お兄、ほどほどにね」
「…………(良く出来た妹過ぎて心折れそう)」
──バタン
「…………」
「…………」
「……よいしょ」
「……!(こ、こいつ……この空気に構わずまた正面にターンだと!? ハート強すぎんだろ! いやほんと空気読まないなこのアホ)」
「……んー……あんまり欲張るのもアレかな」
「……(いや……実はちょっと気にしてんのか)」
「……まぁいっか……よーし、あんなことやこんなこと、いっちゃいますか……」
「!?(アホか! いやアホか! 絶対このタイミングはマズいだろ妹多分あれだぞ絶対聞き耳立ててんぞあいつ思春期だからぁ!)」
「……ごくり……」
「……(生唾めっちゃ飲むなや……くっそ……どうする。もういっそ行くとこまで……)」
迫る。
早苗が迫ってくる。
いや正直途中で絶対ヘタレると思ったのに。
なにこういう時だけ勇気出してんだよちくしょう、もっと他に二人きりの時のタイミングあったろ!
…………ダメだ、正直途中で止まれる自信ない。
「……っ!」
「え? ひょわっ!」
なんか良く分からん奇声をあげるアホを腕の中に閉じ込めつつ、必死に演技する。
「お、おぉーやっと動いたぁーって、早苗どうした。いつの間にくっついて来たんだよおい」
「……へ? あ、あれ……時間停止は……?」
すかさずこっそり早苗のポケットから抜き取ったスマホを操作し、アプリのカウントを止める。
「ほらこれ、止まってるじゃん。多分あれじゃね、効果時間的なやーつだろきっとうん」
「……なーんだ、そんな制限あったのかぁ……むう、惜しかったのにぃ……」
「……な、何が惜しかったと?」
「え? あ、いえいえ何でもないですよぉ、もーあはははは」
俺も大概だが、こいつホント誤魔化すのへったくそだな。
しかし、危なかった。
いやマジで理性働いて良かった……
いやヘタレたとかじゃないから。
後先考えた結果だから、時と場所を選んだまでだから。
「……5分34秒かぁ」
「は? 何が?」
「これですこれ……」
「……ん、あぁ……」
5分34秒って何かと思えば、アプリのスイッチ押してからの経過時間か。
うん、やっぱりこれただのストップウォッチだろ。
なーにが時間停止だよこんちきしょう、もし万が一文句言われても時間停止アプリ=ストップウォッチって誤魔化すつもり満々じゃねぇか。
あぁ……アホくさ。
一気に疲れたわ。
そんな事を考えてる時に、ふと見てはならぬものを見てしまった。
早苗の捲れたスカートの中身とかじゃない。
むしろ本体、早苗自身。
ヤバい、なんかめっちゃ嬉しそうにニヤニヤしてる。
「……早苗、なにニヤニヤしてんの」
「はえ? あ、いやですねこれはあの……ちょっと、燃えてきちゃうなぁって」
「……は?」
「や、だって……ずっと早苗はタイムを縮める事ばっかり頑張って来たじゃないですか」
「……あぁ。陸上部ん頃の話か。それが?」
「いやぁだって……むふふ、それが今度はどーやってタイムを伸ばして行けば良いのかなって考えると、なんか楽しくってですね……えへへ」
「…………タイムを、伸ばす……いや、えっ?」
「……んっふふふ。いやぁ、目指すは一時間の大台ですかねぇ!」
「………………えっマジで?」
元陸上部のエース、早苗は。
だらしのない笑顔を浮かべて、堂々と言い放った。
「覚悟してて下さいね。せーんぱい!」
……正直、早まった。
後悔は先に立たない。
打ちのめされるように頭を抱えた、残り30日。
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