【エピローグ】月から月まで

夕暮れ時、ちまちまと星が見えてきた頃。


後ろの方から、アスファルトをバタバタと駆け寄ってくる相変わらずのやかましい足音が聞こえてくる。


なんだろうかと思うまでもない。

振り向く前に、遅いよ、と小さく呟いた台詞は、おバカの騒音に掻き消された。



「せんぱーい! 待ってくださーい!!」



「なんだよ早苗」



片側だけの三つ編みが走る度にぴょんと跳ねて、夕陽と重なりキラキラとして見えた。

ちょっと重症かもしんないね。



「えへへ……後輩、じゃなくてもう早苗ですもんね。早苗ですもんねー!」



「はいはい分かったから。そういう事は意外に覚えてんのな。もう一週間も前だろ」



「そりゃ覚えますとも。『祝!脱!後輩!』の記念すべき日ですからねぇ、でへーへへへ……うむ、これを記念に2月2日を先輩感謝デーにすべく早苗は政治家を目指します」



「めっちゃ身勝手なマニフェストだな、別に早苗が後輩じゃなくなった訳じゃないし。しかも2月3日だし。ちゃっかり間違えんな」



またバカな事を言い出し、乾く間もなくバカを上塗り続ける。

そんなどうでも……よくはないかも知れないが、もっと覚えて欲しい部分があるんだけど。



昨日の夜のこととか。



「おとと、つい話が逸れました。もー先輩が一週間がどうとか言うからぁ」



「言い出しっぺお前だし常々話の軸を動かすのもお前だよおバカ。何度会話の方向性が迷子になったと思ってんの」



「迷える子羊よ、集いなさい。正しき道を示しましょう」



「シスターサナエルの導きとか二十年前のカーナビ以下だわ」



「ラーメン……じゅるり」



「……あぁ、帰りに食いたいってことね。はいはい」



「主はこう仰いました。今日はとんこつな気分」



「分かった分かった、いつものアーケードんとこので良い?」



「SAY-YES byチゲ&カルビ」



「また際どいネタを……つかやっぱ話逸らしてんのお前じゃん」



恒例のようにぶっこんで来るのに、いつもと違うとこが一つだけ。

シスターサナエル、顔真っ赤。


多分必死に色々と誤魔化してんだろうね。

緊張とか。

わかりやすっ。



「……なんで今日、待っててくれなかったんですか」



「それは昨日のお前に対して言いたいな、俺としては」



「ぐぬぬ……だってだって、あの時は……その。なんか色々とたまんなかったというかですね……そにょ、なぁんか……走りたくなったと言うか……」



「……ふーん」



「……やわっこくて……泣きそうで……うん……」



「……(ゴニョゴニョ喋ったら俺が聞こえないとでも思ってんのかね)」



俺の聴力、結構凄いことくらい知ってる癖に。

いや忘れてんのかね。


まぁどっちでもいいか、そんなこと。



「…………えぃや!」



「うぉっ」



しおらしくなったと思えば、何かしらの覚悟でも固めたのか、俺の手を強引に引っ掴む。


早苗から結構力強いから、思わずよろめきかけたけど、なんとか態勢は崩さずにすんだけど。



「……先輩。あの、ワガママ言っていいですか」



「なに?」



「……そ、の……いっぺん、いっぺんだけ! 優人ゆうと、せんぱいって……呼んでみていいっすか」



「──……なんだ、そんなことか」



別にそんなのどっちだっていいよ。

何だったら君づけでも呼び捨てでも。


けど、多分早苗にとっては……きっかけというか、踏み込む為の一歩目なんだろう。


先週の月曜日を思い出せば、それはすぐに分かるから。



「いいよ」



「は、はい!」



じとりと汗ばんだ早苗の手のひらから、緊張の脈すら伝わってきそうな夕暮れ時。

赤い顔をあげて、柔らかくオレンジに染められた前髪がサラサラと流れた。


便利な魔法はもう、いらない。

大きな瞳が、精一杯の勇気を乗せる。



「ゆ、ゆ……う……ゆうと、せんぱい……」



「…………ん」



返事代わりに、小さな手を握る力を、少しだけ強めて。


オレンジ色の世界の中で、天真爛漫な笑顔が崩れた。


それは例えば空模様のように、単純な一つのカラーで表現出来るようなものじゃない。


複雑で情緒が折り混ざった、単純な女が見せる、虹のような色彩だった。



「……いっぺんだけで良いのか?」



「…………はい。今日はもう、満足です」



「……じゃ、ラーメン食いに行くか。平日だから並んでないよなきっと」



「今日は早苗、餃子は抜きます!」



「え、お前餃子好きだったろ。なんで?」



「…………そこはその、エチケットと言いますか……」



「ふーん。ちなみにあそこのとんこつラーメン、にんにく入ってるよ」



「えぇっ」



「…………」



「…………せんぱい」



「なに」



「ぶ、ブレスケアとか……持ってません?」



「ないよ」



「……そんなぁ」



そうガックリ落ち込まれると、手を繋いでる分、俺の肩も下がるんだけど。


凹むと長く、めんどくさい女。


だったらまぁ、仕方ないという名目も立つ訳で。



「……良い方法、教えてやろうか」



「え、な、なにか妙案でも!?」



「いや至極簡単なこと。後の予定を先にするってだけ」



「──へ? あ、ちょ、こここ、此処でですか!? あまってせんぱいそんな近いいきなりあっ────」



あーもう、あれだなやっぱ。


バカって伝染るもんだよ。


ご近所迷惑、失礼しましたっと。





◆◇◆◇◆





「ねぇ早苗」



「むー……なんですかスケベ先輩」



「はいはいスケベで結構だよこのムッツリ。で、ちょっと聞くんだけど」



その、時々下唇をなめるの止めて。

なんか余韻を確かめられてるみたいで、こっちが照れるまであるから。



「……催眠アプリ、結局アンインストールしたの?」



「……いえ、してませんです、はい。なんか、ちょっともったいなくて」



「えぇ……まじか。俺としては早いとこ消してくれって思うんだけど。普通に黒歴史だし」



「やーでーすー……先輩から貰ったものですし。数少ない先輩の弱みですし」



弱みそのものが何言ってんだか。

俺も何言ってんだか。



「それに……一応、『きっかけ』ですから」



「……あっそ」



いつか、本当に細かく覚えてない、あやふやな過去のワンシーン。


早苗が何気なく、ポツリと言ってた事がある。



『好きです。付き合って下さい。なんでこれ、ワンセットみたいになってるんですかねー』



普段はおバカなやつが言うには、すごく真面目っぽく聞き取れたから、まだ覚えてる。


だから多分、要するに早苗にとっては何かしらの特別がそこには込められていたんだろう。


それは、今になっても分からないことだけれども。




「……」



「……」




月曜日から、月曜日まで。


長いようで短い一週間は、こうして幕を下ろす。


何が変わったと聞かれれば、多分言えることは、繋がったこの手をひょいと掲げてみせるだけ。


そんなもんで、良いんじゃないかな。
























と、思っていた時期が俺にもありましたよ、えぇ。






「ハッ!!! そうだそうだ、アプリと聞いて思い出しましたよ先輩! ちょっと見て欲しいものがあるんですけども!」



「ん……? あれ、なにこのデジャブ……」



「フッフッフッ……これですこれ!! 先輩、なんて書いてありますか!!」



「────……じ、『時間停止アプリ』……だ、と…………」



「……お分かりいただけたでしょうか……?」



「……おかわりいただきたいほど腹減ったんで早くラーメン屋行こう、そんなアプリはアンインストールしてさ、ほらほら」



「つーまーるりィィィですねぇ……」



「前より巻き舌酷いし……てか話聞いてホント」



あ、の……会社ァ……なにちゃっかり『第二弾』作ってんだクソォォォォ!!!!



「このアプリを使えば! 動けない先輩にあーんなことやこーんなことも出来ちゃうっとゆーワケなんです!!」



「またこの展開なのかよォォォォ!!!! ふざけんなちくしょォォォォ!!!!」



どうしよう。

おバカな後輩が今度は時間停止アプリなんてものを使おうとし始めた。






あぁ、もう。


やぱりバカはバカらしい。










【Fin】

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