勇者失格と言われても、格闘家《モンク》は世界を救いたい
神坂 理樹人
一章 義賊と黒い風
沼地で笑う男
ぬかるんだ地面に足跡を残しながらワンプの湿地帯を進んでいく。獣道よりも見えにくい行商人たちの踏み固めた街道をたどっていく。
視界の悪い中に毒性のモンスターが隠れているかもしれない。どうしてこんなところを一人で歩かなきゃならないんだ。拳を叩きつけた木が揺れて青々とした葉を散らした。
その原因は小一時間前に
「おい、田舎者。お前はここで帰れ」
「は? おいおい、冗談だろ? ギア」
魔王ペントライト討伐を任された勇者パーティの一つ。そのリーダーである
たき火を起こしての小休止。これを準備したのも俺だ。パーティの雑用は全部俺の役目。それもずっと我慢してきた。
貴族の出らしい澄ましていて冷静な言葉遣いはいつも変わらないが、冗談を言うときもこれじゃ困る。もう最前線基地であるフォートは目の前だ。そこで最後の支度を済ませて魔王城へと攻め込む作戦になっている。決めたのはもちろんギアだ。
「お前は足手まといだ。俺の作戦に支障が出る。だからここで捨てていく」
「ふざけるなよ! ここまで来て放り出されてたまるか!」
もう敵は目前だ。ようやくここまで来た。魔王ペントライトを倒せば報奨金が出る。そうすれば勇者を輩出した俺の村、エネットにも分け前がいく。厳しい土地でなんとかやりくりしているみんなが少し楽になれる。
「ワンプまでなら小物のモンスターをひきつけるのに使える。だがここから先は魔王の根城。大型の悪魔系モンスターが増えるだろう。お前じゃ火力不足だ」
ギアはさらりとした前髪を首を振って払う。腰に差した細身の長剣を俺に突きつけた。
「この業物ですらろくに斬れはしないモンスターたちだろう。それを拳で殴りつけるだけのお前が何の役に立つ?」
「陽動だって立派な戦術だろ。それに俺には」
「お前は
切れ長の瞳が俺を射抜いた。淡々としたギアの説明は少なくとも矛盾はない。いつもの冷静な分析だ。この頭の回転に何度も救われてきたことは事実だ。
「パーティに
「だからって俺をここで捨てていくのかよ」
「ここまでは役に立つから連れてきた。役に立たなくなったから外す。俺の目的は魔王の討伐だ。他のことなど知ったことじゃない」
「お前は……」
言葉に詰まる。言い返せるほど頭のいい俺じゃない。仮に人並みの頭があったところで、こいつは簡単には言い負かせられない。
「そうだよねぇ! 敵の周りをうろちょろしてるからいつもまとめて燃やしてやろうかと思ってたし!」
甲高い耳障りな笑い声とともにルビーが叫んだ。真っ赤な瞳と同じく炎を操る
目的を達していればギアは何も言わない。その後片付けは俺や
「ルビー、黙っていろ」
「わかったからそんなに睨まないでよ」
ひきつった笑いを浮かべながらルビーは視線を逸らす。こいつくらいのバカだったら俺にだってなんとか言いくるめられそうなもんなんだが。
「俺の作戦に文句があるなら出ていけ」
「どっちにしても同じじゃねえか!」
ギャグか? ギャグで言ってんのか?
「お前らもおかしいとは思わねえのかよ?」
俺はギアの説得を諦めて、周りを見た。ルビーはもちろん、セレンもダマスカスもうつむいたまま何も答えない。
俺だってわかってるんだ。そろそろ周りについていけなくなっていることも。この先についていくと、俺だけじゃなくパーティ全体に迷惑がかかることも。
それでも俺にも戦う理由がある。
「この作戦が成功したらエネットについては俺から口利きをしてやろう」
核心を突かれる。こいつが知らないはずもない。
「それは、嘘じゃねえだろうな」
「作戦の邪魔にならないのなら構わない。お前がそれで消えるならな」
それがトドメだった。そう言われたらここで引き下がる以外にない。こいつが嘘をついている可能性よりも、俺のいないパーティが魔王に勝てる可能性の方が高い。
ギアに言われた通り、囲んでいたたき火から離れる。黒くそびえたつ魔王の居城に背を向けてその場を離れた。
「ユーマさん、待ってください」
「わかってるさ。セレンにも負担をかけたな」
あんな顔で黙られちゃ、俺も返す言葉がない。ここまで一緒に来たから、なんて甘い考えて倒せる相手じゃないことくらい、俺だってわかっている。
そして俺は自分の無力さに歯を食いしばりながら、こうしてワンプの湿地帯を敗残兵のように歩いているのだ。
「これからどうすりゃいいんだ」
いったいどんな顔をして村に戻ればいい? 必ず大金を持ち帰るとみんなに約束したっていうのに。
「た、助けてくれー!」
「ん?」
木々の向こうから声が聞こえる。姿は見えないがとにかく助けてくれと言われたからには行くしかない。声の聞こえた方へと走る。
近道でもしようとしたのか、街道から外れたところで
「しゃあねえなぁ」
ぬかるんだ地面を踏みしめる。一足飛びに野盗の横に踏み込むと右の拳を叩きつけた。
泥をまとって飛んでいく。まがりなりにも勇者候補生だ。あんなもんわけもない。
「ああ、あり」
尻もちをついたまま声を震わせている行商人を助け起こそうとして、危機感を信じてその場を飛び退いた。
「ハッハッハー。今のを避けるたぁたいしたもんだ。褒めてやろう」
「てめえ、あいつの仲間か」
高笑いをしながら地面に刺さった足を引き抜く。あの泥沼の中に突っ込んだのに脚はきれいなままだった。
動物の油で後ろに流して固めた白銀の髪。しっかりとした染物の服。野盗にしてはかなりいいものを着ている。彫りの深い顔から楽しそうな笑顔が漏れていた。
「あいつ? なんのことだかわからんな。ハッハッハー!」
バカデカい声が鼓膜を震わせる。野盗にしちゃずいぶんと派手なやつだ。
「今から逃げ出すってんなら見逃してやらんこともないぞ」
「ふざけんなよ。俺が逃げると思ってんのかよ」
パーティから負けて逃げ出して、ここでも誰かを見捨てて逃げ出すって言うのかよ。そうすれば俺は一番大事なものを失うことになる。
「俺にはまだこの拳がある! こいつが俺を裏切らねえ限り、俺もこいつを裏切らねえ! 俺の、最後のプライドだ!」
「上等だ! なら、覚悟しとけよ!」
言うが早いか、いかり肩の巨体からは想像もできない速さで男の姿が消える。
速い。脇腹に蹴り。肘を落とす。相打ち。
左の回し蹴り。カウンターで拳を伸ばす。届かない。リーチがある。
体を逸らして威力を下げたがびりびりと肌が震えている。さっきのやつは格が違う。元は勇者候補の一人だったと言われても頷けるほどだ。
だが、こっちもまだ隠してるものはある。
息を大きく吸いこんで体に魔力を集める。これだけが誰にも真似できない俺の特技だ。この力だけで俺は厳しいギアの作戦に耐えてきたんだ。
「気功法!」
自分の体の傷を一瞬にして癒す法術。普通の治癒法術と違って他人の回復はできない代わりに強力かつ即効性がある。
即死でなければ俺は何度でも立ち上がれる。予備動作が長いからとギアには信用されていなかったが、一対一なら十分隙を見て使える技能だ。
ひりついていた右頬が癒えていく。さて、仕切り直しだな。
「ほお。なんかすげえことできんだな、お前」
「てめえもただもんじゃねえな」
さっきみたいに簡単にはいきそうにねえな。しょうがねえ。俺はまだ状況が飲み込めていない行商人に向かって叫んだ。
「「おい。今のうちにさっさと逃げろ!」」
声が重なった。俺と寸分違わない言葉を発したのは、野盗のはずの男だった。
「ハッハッハー! なんだ、お前追いはぎじゃないのか!」
「てめえこそさっきの野盗の仲間じゃねえのかよ!」
俺はまだ伸びたままの野盗を指差す。それをちらりと見やってから男は笑い続けた。
「俺様は金剛脚のモンド。ここいらの自警団をやってるもんだ」
そう豪快に笑ったまま、モンドは倒れていた野盗を抱え上げる。自警団? なんだそりゃ。
「間違って蹴っちまったからな。詫びと言っちゃなんだが昼飯くらい食わせてやるぞ」
「そんなもん、いら」
ない、と言おうとしたそばから俺の腹が嘘だと訴える。さっきの休憩中も言い合って出てきたせいで何も食べていなかった。
「ほら、ついてこい。我慢は体に毒だぞ」
てめえに蹴られた方がよっぽど毒だ、と思ったのは黙ったまま、俺はモンドについていく。メシの誘惑には勝てない。この毒と沼と森しかない土地でいったいどんなことをしているのかも気になった。
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