されど奇術師はサイを振る

やっと辿り着きました

「なんなんだよ最悪だよ彼女にも振られるしよ俺が何したっていうんだよあいつがたけーカバン欲しいっつーから何個も買ってやったってのによくそが次は俺なんだよなんで俺なんだよあいつらに殺されるなら自分で死んだ方がましだよ殺すはずの相手が目の前で自殺したら悔しいだろうなくっくっくっ死んでやるよ死んでやるよへへへへ」

 手に持った剃刀を静かに喉に向けるその光景は、スローモーションでユイの視界に飛び込んだ。

 飛び散る赤い血。

 絨毯に落ちる血。

 赤い絨毯を更に赤に染める。

 油絵のように赤に赤を塗る。

 ユイが人の死ぬ、まさにその瞬間を見るのは、これが二度目だった。




<><><><>




 一度目の記憶。高校時代最後の忌まわしい記憶。ユイが大学に合格したのと同時に、アキは同じ大学から不合格の通知を受けた。大学に受かった受からなかったというのは一大イベントではあるが、命をかける程のものではないというのがユイの認識であった。しかしアキにとってはそうではなかったのだろう。アキは三人姉妹の末っ子で姉二人は国公立の大学に通っていた。両親から、姉二人が国公立に通っているのだから当然あなたも国公立に行きなさい、といわれているとアキは何度も語っていた。それに対する重圧がアキにのし掛かっている事はユイも気付いていた。だからといってその重圧をユイが軽減させる事は出来ないのだから、特別ユイがアキに対して何かをする事はなかった。

アキはユイと同程度には勉強が出来た。しかし普段から重圧に耐えていたアキは、試験というもう一つの重圧が同時にかかる事で、それに押し潰されてしまった。試験中に体調を崩したアキはなんとか解答欄を埋めはしたものの納得のいく解答は出来なかったらしい。

試験の後からアキはユイに連絡をしてこなくなった。ユイは心配になり何度も何度もメッセージを送ったが、一度も返事がないままであった。そして合格発表の日。ユイは大学まで結果を見に行こうとアキを誘ったが相変わらずアキから返事はなかった。ユイは合格であった事をアキに伝えるべきか迷った。もしアキが不合格だったら。そう考えているとアキからメッセージが入った。

「学校で待ってる」

 ユイは家に帰る途中であったが、急いで学校への道へと向かった。文面に書かれた学校という文字から一瞬大学が思い浮かんだが、高校の事だろうと思い直して大学に向かう事にした。先程とは別の線の真空管間高速鉄道チューブリニアに乗ってアキの下へと向かった。

 学校には多くの学生たちが教師への報告に訪れていた。多くの者がもう暫くしたら咲くであろう桜の樹の下で喜びの表情を開花させていたが、ユイの表情はいまだ開花せぬ蕾のままであった。アキに会えるのは素直に嬉しかったのだが、同時に不安が膨張していくのを感じていた。どうにか不安を誤魔化そうと別の事を考えるように努めた。

そしてユイは、「櫻の樹の下には」を思い出していた。作者の梶井基次郎は初出時にあった最終章にあたる部分を「檸檬」を刊行した際に収録された「櫻の樹の下には」ではなぜ削除したのか。それは剃刀の刃の話で、そこに梶井の心理・心境における何かがあったのだろうとユイは推測していた。剃刀の刃は暗闇で光る。それは思い浮かんだ形であって実際のそれとは異なるのかもしれないが、実際のそれが少なからず語り手の心に何かを訴えていたのだろう。それは梶井の心に訴えていた事でもあったとユイは考えた。

 色彩。

 作中には色彩が多くの場面で多様される。表面的な色彩は当然の事として、内面的な色彩が語られる。しかし剃刀の刃に関する色彩は現れない。鈍く光る事もあるだろう。鮮烈に光る事もあるだろう。なのに剃刀の刃が映し出すのは削除された箇所に含まれた死への予感のみ。

 死。

 それは櫻の樹の下に埋まる屍体へと繋がる。ユイはこの作品の中で死への軽薄さを感じていた。しかしそれはある意味で恐怖なのだと気付く。恐怖に打ち勝とうとする時、人間は軽薄さで恐怖を穿つ。それは逃げている訳では決してないのだ。梶井は死を見ながら生きたからこそ、死への恐怖を知り、軽薄を取り込んだ。それは、

「ユイ」

 後ろから聞こえた声に振り返る。そこにはアキが立っていた。ユイが声をかけようとするより早くアキがいう。

「屋上行こう」

 ユイは小さく頷くとアキに続いた。普段とは違うアキの生気を感じさせない表情のせいで、ユイは何も喋りかける事が出来なかった。ただアキの後ろ姿を前に歩くのみ。ユイには、アキの背中から桜の樹が生えているようなそんな気がした。

 屋上の扉は開いていた。

 事前にアキが開けたのだろう。なぜかそれがユイには理解出来た。

 屋上に出た途端ユイは身を縮こませた。まだまだ冷たい風が吹いていたからだ。アキはその風をものともせずに凛としていた。今思えばもう覚悟を決めていたのだ。その時にはもう。

「大学受かった?」

 アキはこちらを振り返らずにいった。

「うん、受かってたよ。アキは?」

 アキは振り返った。

 アキは怒っていた。

「良かったね。自分は落ちたよ。どうせあんたは落ちた人間を見て優越感にでも浸ってるんだろうね!!」

 アキはただ怒っていた。

「どうしたっていうの?」

「白々しい! あんたも落ちたら良かったんだ!」

「アキ? 落ちたのは残念だったと思うけれど、来年だってチャンスは」

「来年なんて無いよ」

 風が止んだ。ユイはアキと会話をしているはずでいた、しかしそこにいるアキはユイの知るアキでは無かった。

「今年落ちたらそれで終わり。もう私は誰にも相手にされないんだ!」

「私も出来る事があったらお手伝いするからそんな事いわないで、友達なんだから」

「あんたの手助けなんているわけないでしょ? バカなの? あんたなんかと本当に仲良くするわけない じゃない! 勘違いも甚だしい! あんたと仲良くしてるみたいにしてれば教師からの評価が良いから、それだけの理由で仲の良い振りをしてただけだから! この三年間本当に疲れた! それなのにあんた自分だけ良い大学に行くなんてふざけないで! 返してよ! 人生を、返してよ!」

「待って、アキ。ボクは」

「うるさいうるさいうるさい!」

「ボクはアキに何もしてないのに」

「うるさいっていってんだよ!」

 アキは私の前からすっと姿を消した。

 衝撃と何かが砕け潰れる音。誰かの悲鳴。視線を動かす。揺れる樹。桜の樹。

 櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる!

 ユイの頭にはアキと会う前に考えていた内容が蘇っていた。作者の梶井が削除した最終章。最終章にある剃刀の刃に書かれた言葉?

 Ever Ready。

 さあ、何時なりと。

 ユイは校舎の下を覗き込んだ。人形のように肢体をあらぬ方向へ曲げるアキ。落ちた拍子に飛び散った血がアキの周りに広がっていた。アキの背中から桜の木が生えているような気がしたユイだったが、それは間違いではなかったと知る。アキの桜は満開だった。

「櫻の樹の下には」で語り手は「櫻の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか」といっている。ユイはその意味が分かっていなかった。でも今は分かる気がした。屍体と桜の樹は別物である。いや、そうだろうか? 一方は美しく、一方は醜い。これは一般的な解釈であるが、果たしてそうだろうか? 桜はすぐに散ってしまい、散ってしまえば誰も見向きはしない。一方で屍体というものは時に美しくもある。人生の凝縮であるかのように、葬式では見知った者たちが屍体を「綺麗」だと拝む。相反するものでも共通点はいくらでもある。光と陰が表裏一体であるように美醜もまた表裏一体で、生死も当然表裏一体なのだろう。どちらかが無くては存在出来ないのかも知れない。

 いや、それがなんだっていうんだとユイは我に返った。

 桜を見て、ユイは思う。

 私は剃刀の刃に気を取られていたけど、それは削除されたところ。本当に気にしないといけなかったのは残されたところだったんだ。



<><><><>




 倒れたクアルトはもう助からないような気がした。ユイはクアルトがいった言葉を思い返す。

「次は俺なんだよ」

 この一連の事件には殺害される順番があるかのような言い草。

 ユイは閃いた。そして考える。全ては表裏一体であるから。マーフの死を、アイダの死を、オキノの死を、ジャックの破壊を、クアルトの死を醜いものでなく美しいものにする為に。

「やっと辿り着きました」

 ここにいる誰もが連続する死を直視し精神を麻痺させてしまったのか、クアルトが目の前で自殺を図った事に対して何もしない。それはユイも同じ。

 ここにあるのはミステリィの流儀のみ。

 解決編を行わなければ、事件は終わらないのだ。現実だからなんて言い訳は通じない解決こそが、ミステリィの流儀における美徳。

「犯人に」

 そういってようやく、ここにいる全員がユイを見た。

 本当の解決編が始まる。

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