童話「恩を返せなかった猫」

@SyakujiiOusin

第1話

          童話「恩を返せなかった猫」


                             百神井 応身


 あたりの木々の葉っぱが、赤や黄色に染まって、もうすぐ寒い冬がやったきそうな秋が深まった午後のことでした。日陰に入ると、もうとても寒い風が吹いていました。

 やせ細って歩くのがやっとの子猫が、少しでも温かい陽射しをと、日当たりの良い場所を探してよろよろ彷徨っておりました。

 おなかはもうペコペコでした。お母さん猫とはぐれてしまったのか、心無い人間に無理やり遠くに引き離され捨てられてしまったのかわかりませんが、もう何日も食べ物にありつけていない様子でした。今日何も食べられなかったら、もう生きていられない程に弱っていました。


 それを見て、可愛そうに思った人間のお母さんが、台所からお魚を持ってきてあげようとしたのですが、用心深く後ずさりするばかりで食べようと近づいてはきませんでした。

 きっと、同じようにしてくれた人は、それまでにも沢山いたのでしょうが、親切に応えようとしないその態度に、どこでも憎まれて、ますますひどい目に遭うことになったに違いありません。可愛がられる方法を知らなかったのです。

 猫は、生まれて何日かの間、人に可愛がられることなく過ぎてしまうと、一生人に慣れることがないと言われています。

 今日一日何も食べなければ、もう危ないぎりぎりのところに来ているのに、素直にはなれなかったのです。


 お魚を持ってきた人間のお母さんは、近寄ってこない子猫に向かって、そのお魚を投げてあげました。人間は、時に猫にとっての神様であることがあります。でも子猫は、また石か何かを投げつけられて苛められたのかと思い、必死で逃げました。

 それでも空きっ腹には我慢できない美味しそうなお魚の匂いには勝てませんでした。

 逃げる途中で振り返ると、そのお魚が落ちているところまで走り帰り、口に咥えて一目散に物陰まで走って行って隠れるなり、夢中で貪りました。そうして、その日を生き延びることができました。

 次の日も、子猫はお腹が空くと、今日も運がよければ餌にありつけるかも知れないというかすかな望みに縋って、同じ場所に餌を求めてやってきました。

 人間のお母さんは今日も根気よく子猫が来るのを待っていてくれて、遠くから腹いっぱい食べることのできる量の餌をくれました。

 そうして何日か過ぎると、子猫は、どの家から出てくるお母さんが餌をくれるのかを覚えました。

 それからは、その家の玄関先に行って餌を待つようになったのですが、餌をくれる人の影が少し動いただけでも一目散に逃げ去り、人に慣れるそぶりは一向に見せることがありませんでした。


 毎日の餌に有りつけるようになると、子猫は見る見るうちに丸々と太っていきました。

 それとともに、餌の選り好みをするようになり、嫌いな餌は一口も食べず残すようになりました。大好きなミルクは、一滴も残さず舐めるので、いつからかミルクが沢山入る器が餌場に備えられるようになりました。その器は、子猫を見ない日であっても、いつの間にか空になるのでした。


 お母さんの家族は、子猫を大事にしているお母さんにつきあって、猫が餌を食べているときは自分たちが遠慮して、玄関から出入りしないようにしていました。

「なんで面倒を見ている方の側が、面倒を見られている方に気を使わなくっちゃならないんだ」なんていう不満を言うことはありませんでした。

 恩を着せようとか、何かの見返りを期待してのことではなかったのです。

 でも、もし猫語が話せたら「他人に好かれるようにするには、もっと心を開いたほうがよいし、そうした方がもっと伸び伸びとした気持ちで楽々暮らせるよ」と、教えたに違いありません。世間を狭めているのは、子猫自身だったのですから。


 段々慣れてきといっても、子猫から5メートル以内には、世話をしているお母さんでも近寄ることはできませんでした。そうこうしているうちに子猫は成長して、誰の助けも借りず自分で餌をとることができるようになりました。

 猫は、自分一人で大きくなったのだと思うようになり、好きな場所を探して生きようと旅立ちました。


 猫を見かけなくなって1年程過ぎたころ、線路を越えた向こうの草原に、白かった毛が真っ黒に汚れたその猫が走り回っているのを人間のお父さんが見つけました。

 お母さんにその話をすると「そう、元気で生きていたのね」と言って喜びました。


 逞しく育った猫は、その後は猫社会の中で生きるための戦いに明け暮れました。 誰も頼りにできなかったのです。気が付くと生まれ育った場所からは遠く離れてしまっていて、帰り道はもうわからなくなってしまっていました。

 戦いに次ぐ戦いで、ある日猫は大怪我をしてしまい、自分で餌を獲ることができなくなりました。何日もそんな日が続いて、空腹に耐えられなくなりました。

「まてよ、この感じ、ずっと前に同じようなことがあった」

 今日何も食べることができなければ、明日を迎えることはできそうもないと覚ったのです。

 その時になって、子猫の時に餌をくれた人間のお母さんのことを思い出したのです。甘えてじゃれついたことは一度もなく、お礼もひとことも言わないで出てきてしまったけれど、今だって帰れば黙って餌を出してくれるということだけは解っていました。

 でも、帰り道はもうわかりません。「顔を見せるだけで恩返しになるのだから」という声がどこからか聞こえてきたのですが、それもだんだん聞こえなくなっていきました。

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