第二話 大熊の故郷を救え

『Don't Go So Smoothly !』

 お腹を撫でられたあと、「散歩に行こうか」と持ちかけられ、キャロラインは晩餐までの間を術士との散歩で館の周囲を回るのに費やした。

 街として発展してきた長い歴史のない、この遷都クレプシドラ。この四天王の館こと銀狼館も、元々この地の奥まった場所に作られた施設だった。七年と少しの歴史は、これからどうなるだろうかと術士は思う。


「お義父さん、こっちです」


 パタパタと尻尾を振りながら先導するキャロラインは、館の北側から大きく西に回り込んだ小川のほとりに術士を案内すると、彼のまわりをぐるぐる回りながら近くの岩場に腰掛ける。


「ここがキャロの秘密の場所か。夏場は心地よさそうだけど、この秋口だと若干肌寒く感じるねえ」

「背中を温めましょうか?」


 と、岩場からぴょんとばかりに彼の背中に抱きつく。温かさを感じながら術士は「これはいいもんだ」と目を細め、手元を覗き込んでくるキャロラインに懐から出したペンほどの細さと長さの白磁色をした杭を取り出してみせる。


「これを作ったのは五年ほど前でね。土壌に埋め込むと、日数年月をかけて周囲の地盤を改良していく術を込めた杭でね」

「錬金術の類いですか?」

「開発は錬金術。これは大量生産品の、そのまた試作品さ。――そうそう、この川の水は飲めるのかい?」

「飲めますがおすすめはしません。やはり、軽い魔素が入っていますから」


 術士は「そうだろうな」と頷く。魔素とは瘴気汚染された土壌から染み出る毒素で、いわゆる『毒』だった。異次元魔神発祥のそれは、根深く大地を侵す呪いに等しかった。


「キャロ、ここの水源はもう少し北だって話だったね」

「案内いたします」


 日が傾きかけるまで、水場を右手に望みながらやや小高い山を登る。ついてこられるかお互いを気遣いながらのトレッキングだったが、どちらも歩き慣れているせいか、すんなりとそこにたどり着く。


「あそこです」

「というと、この更に後ろの山の中の水が染み出てきてるんだな。――よし、じゃあこの辺りでいいかな」


 と、彼はキャロが指し示す山間の小渓谷に向けて、件の白杭をビュンと投げ打った。くるくると縦に回転しながら落ちていくそれは、すとんと眼下茂樹の奥深い岩場に落ちると、音を立てずにするんと飲み込まれていく。

 銀狼の目は文字通りそれがすり抜けるように沈み込んだように見えた。


「この規模なら二日もあれば充分か」

「浄化ですか?」

「ニュアンス的には改良だろうかな。無かったことにはしにくいので、あってしかるべき形に逸らせることで共存を図る」


 言っている意味合いがピンとこなかったのだが、キャロラインは小首をかしげ「どこかに集めるんですか?」と、やや的を射た呟きで術士を驚かせる。


「細工は流々、あとは仕上げをご覧じろってね。よし、戻ろう。帰る頃には晩ご飯だ。あっちの道を通るか? 少し遠回りになるけど早く帰るのももったいないし」

「いいんですか?」

「せっかく久しぶりの散歩だし。喉渇いてないか? 疲れてないか?」


 義父が何度か使った水筒を出すと、キャロは「いただきます」とこっそり飲み口をちゅぱちゅぱしながら喉を潤した。こっそりです。


「もしキャロの伯母さんがいらっしゃっていたら失礼になるかもしれない。それでも少し、急ぎで帰るか」

「待たせておけばいいんですよ……っと」

「その歳でおんぶをねだるのか? やっぱり疲れたのかい?」

「いえいえ。でも、重いですか?」

「娘の命が軽いわけないだろう。よっこらしょっと」


 それでも術士は軽々と彼女を背負う。まさかの展開に頬が緩む銀狼だが、義父に無理をさせてないかと慌てて降りようと身をよじる。しかしなかなか降ろしてはくれなかった。


「さっきの沢までね。誰も見てないし、恥ずかしくはないだろう?」

「あ……は、はい……」


 しかし誰かが見ていたのである。

 そう、あのメイド長が遠めがねでしっかり観察していたのだ。


「写真が間に合わなかったのが惜しいですが、陛下がいらっしゃったときにでも渡しますか」


 そう、彼女は優秀なのだ。




***




「陛――フェン――。…………伯母さまがいらっしゃいましたよ」


 離宮のそのまた離れに戻って一息ついたとき、メイド長がそういって訪ねてきた。術士は支給された服を着込み晩餐に備えており、キャロラインはその方を受けて露骨に嫌な顔をした。


「もう少し遅くともよかったのに」

「キャロラインさん、そのようにいうものではありません。……お父さまはいかがなさいますか?」

「お待たせするのも失礼でしょう。晩餐前にご挨拶をしておきたいと思います。……ええと、キャロ」

「はい?」

「今更なんだが、伯母さまのお名前はなんと仰るんだい?」


 問われて口元を押える。「あ、考えてなかった」といった顔だが、伯母は伯母だし、しかし自分のこともあるので陛下ともいえず、ましてやフェンリではいろいろと支障が出かねない。

 さあどうしようかと銀狼とメイド長がその一瞬で言葉を飲みこみ、「よし、適当に変な名前を付けてやろう」とキャロが内心頷いた瞬間のことだった。


「問われたならば答えよう!」


 バーン!

 術士の部屋の扉が勢いよく開けられた。

 見事な隠身! 顕れたのは女王陛下フェンリそのひとであり、すっかり腐抜けたキャロは飛び上がらんばかりに驚いた。メイド長はこの仕込みを知っていたので素知らぬ顔だ。


「初めまして、キャロラインの母の姉フェンリです」

「これは――」


 突然の登場に度肝を抜かれたのは術士も同じで、慌てて彼女の前まで進み、しっかり正対して一礼、あらためて名乗るとソファーを勧める。


「ああ、どうしようか」


 お茶でもと思いつつ、キャロに頼むかどうしようか迷う仲、「ここは私が」とメイド長が手で制し頷く。つまらなさそうなキャロと、不意を突かれたものの落ち着いてフェンリを伺う術士は、同じように向かい合ってソファーに座る。

 座卓を挟み、肩を並べる義理の親子と、フェンリの図だ。

 あっさり名を明かしたが、名前自体はありふれたものだし、強き者の名前はいつだってあやかろうと子に付ける風習があると耳にしていた術士は気に留めはするもの気にしている様子はない。


「こうしてお会いするのは初めてですね」


 フェンリの優しい微笑みだった。その花のような笑顔に、ふと術士の頬が緩むがキャロラインの指に強めに脇腹を突かれるとコホンと咳払い。

 そして、キャロラインもフェンリも予想しなかった言葉が漏れる。


「妹さんにそっくりだ」


 しみじみと呟く術士に、さてどんな恨み言を言われるか身構えていたフェンリと、内心義父が何をいうのか不安だったキャロラインは、その言葉にじっと……彼の顔を見る。

 実に、遠い視線だった。


 フェンリは「術士どのは……」と言いよどみつつ、それでも「妹とは、その」と、やはり踏み込みきれずに目を伏せる。


「ちょうどいい機会です。……キャロライン、君ももう大人だね?」


 そこで念を押すと、彼女は静かに頷いた。

 小さい頃は生まれと血のつながりに不安になったことがあり、何度か義父に聞いたことだが、彼の口からは多くは語られなかった。

 多くを語れる情報が彼になかったのが正しい見方だが、その主観からキャロラインに実母のことを伝える機会を、それでも受け止めきれる年齢になったらと我慢していたのだろう。

 訪ねると悲しい顔をするのでいつしか聞かなくなったそれを、彼は自分から話そうとしているのだ。

 キャロラインは「はい」と頷く。


「彼女のことは、実はよく知りません。軍部の情報も、ただ『結界を張った術士』であるということだけ。私は彼女が術を行使する最後の地脈の近くで任務に就いておりました。ここから東、器用人にんげんの国、プレシェス山の山頂です」


 訥々と語られる内容は、実に単純だった。

 彼は異次元からの進行による空間振動の観測のために派遣された軍人だった。魔神侵攻という事実が大々的に発覚する前の、器用人の行った単独任務。そこにいたのが術士かれだった。


「名も知らぬ女性です。この子と同じ、銀の髪の美しい、しかし強そうな方でした。私が見たのはこの子を抱え、見たこともないような悪鬼羅刹と戦う彼女の姿です。山頂にたどり着いたとき、彼女の手助けをしました」


 ゆえに、戦友であると。


「交わした言葉は、魔神の先兵を倒し結界を張り、そして力尽きた彼女へ向けた『大丈夫か』という言葉だけです。彼女は――」


 そこでキャロラインを見てその肩に手を置く。


「この子を頼みます、とだけ言い残し、息を引き取りました。僕は頷くことしかできませんでしたが、伝わったかどうか」


 フェンリはひとつ、しっかりと頷き返す。


「伝わっていたと思います。妹の最期を看取ってくれて、ありがとうございます」


 そういい、深々と頭を下げる。


「妹は、魔神侵攻がなければキャロラインを産み育て、幸せに暮らしていたはずでした」

「――父親は」


 それは術士が聞きたかったことだろう。

 キャロラインはそれをもう聞かされているのだろうか。

 ただ静かに首を振るフェンリ。それが答だった。


「結界を張る旅の最中、魔神に追われつつこの子を産んだのでしょう。強力な術の行使と出産で、その生命力が枯渇したと考えられます。私の術では彼女を助けることができなかった。弔いすらできなかった。お許しください」


 深々と、術士は頭を下げようとする。が、キャロラインが縋るようにそれを止める。

 謝る必要はないと言うことだろうか。

 彼は素直に、ひとつ頷く。


「母にすがりつこうとする君を抱えて、魔神から逃げる必要があった。張られた結界の外にはまだ先兵がいる気配がしたからね。逃げるほかはなかった。二匹の魔神は、うちの部隊が倒したよ」


 敵討ちにもならなかった。

 悔恨。


「爾来、彼女を育てることに心血を注ぎました。国を脅威から守ってくれた英傑たる術士の忘れ形見。共に僅かでも言葉を交わし魔神と戦った戦友の願いでもありました。……しかし、ご家族にお返しするときは、さすがに堪えました」

「でしょうね」


 と、これはフェンリが当時のキャロラインを思い返して頷き返す。


「こうして元気に成人してくれて、やっと肩の荷が下りました。キャロのお母さんも、きっと喜んでくれるでしょう。いい子に育ったからね」


 そう頭を撫でる。

 キャロラインの面影越しに、あの山頂で看取った彼女を思い出しているのだろう。


「離別から軍を除隊し、以後は各地を回り術を磨きました。この国を、彼女が託したキャロラインが住むこの国を立て直すために尽力するのが私の望みです。だからきました。このケモフルールに」


 強い。

 強靱な意志がその言葉には乗っていた。

 鋼の印象はしかし、ほろりと漏れる笑いで霧散する。


「こうして娘と会えましたし、僕としては何よりのご褒美ですよ」

「お義父さま」

「まあこうしてまだまだ他人行儀な話し方ですが、しばらくしたらボロがでるでしょう。もっと甘えてもいいのになあ、と思うのは、親馬鹿なんでしょうかね」


 歳を感じる笑いだった。

 歳だけでいえば、フェンリと同じくらいだろう。亡くなった彼女の妹はそのひとつ下だ。


「失礼致します」


 頃合いを見計らい、メイド長が茶器を持ってやってくる。カートに乗せているのはお茶請けなどがあるためだろう。


 そこで術士は「ともあれ」と空気を変え、「お送りした経歴書のとおり、この国をむしばむ毒と戦うためにきました」と頷く。

 それを受け、フェンリも「では、もう方針が決まったのですか?」と、やや立場を漏らしつつ聞き返す。

 術士は頷く。


「火災は火元の処理から。延焼を防ぎつつ、瘴気毒の除去を試みたいと思います」

「というと?」

「魔神の門が開いた街。炎将ブラベアどのの故郷」


 フェンリは息をのむ。

 この術士、やはり流れをよく見てる。

 提案しようとしていたことなどすでに考慮の中だったのだ。


「案はいくつか」


 策ではなく、案というには訳があるのだろう。効果のほどの確信があるのか、実績を以てした言葉なのだろうか。

 術士はその手に、例のペンほどの杭をなにもない空間から出現させる。錬金術だった。

 見事――フェンリは言葉を飲み込んだ。


「術が備わっていれば、技は自ずと発露します」


 白杭を握り込む彼は、その手の内から無へと仕舞いなおす。これもまた分解の錬金術だった。


「この提案、四天王――ジレインどのやブラベアどのは承諾してくれますでしょうか」

「ご安心ください」


 フェンリは頷く。


「願ってもみないこと。きっと快諾してくれるでしょう。――キャロライン、あなたは術士どのの補佐を。生活のお手伝いはあなたに任せます。では、お茶を済ませたら、四天王――どのらを呼び、晩餐と致しましょうか。なんだか、安心してお腹が空きました」

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