舞台

nobuotto

第1話

 私は身動きがとれない。まるで体がベットの一部となっているようだ。

 窓から階段が見える。

 私のいる建物は高台の中腹にあるらしい。身動きの取れない体で、窓から見える階段、その階段の踊り場だけが今の私の唯一の世界だ。

 私にとってこの踊り場は、私一人が観客の劇場の舞台であった。

 そんなに登場人物は多くはないし、登場人物も時間によって大体決まっている。

 白髪混じりの女性が降りてくるのを見たことがないので、登りだけこの階段を使っているようだ。いつも小さなケーキの箱を持って登ってくる。

 必ず階段の踊り場で一休みして、少し息を整えて、上を見上げて、そしてまた登り始める。きっとこの踊り場までもかなりの段数があるし、その先もかなりの段数が続いているのに違いない。

 かなり前のお気に入りの登場人物は、三歳くらいの子供とその父親であった。

 背の高い父親がその背を屈めて、子供と手をつないで階段から踊り場まで登って来る。父は踊り場でひと休みしたいようであるが、子供はそれを許さず父の手を引くように登っていく。父親は自分も腰までもない子供に引っ張られて登っていくのだった。階段の上に二人の家があるのだろう。

 しかし、最近全く見ない。どこかに引っ越したのかもしれない。

 そういえば、不思議な親子もよく出てきた。少年が踊り場に駆け上って来る。少年は踊り場に着くと汗を拭って、また駆け上っていく。その後に、その父親らしい男が踊り場に現れる。少年と同じように汗を拭っては上に向かって何か叫び、また駆け上がっていく。親子ゲンカなのだろうか。

 この親子も最近は出てこない。この家族も引っ越したみたいだ。

 階段を駆け登っていく若者が何度も登場してきた。ウェアからみてサッカー部のようだ。私も高校時代はサッカー部だった。暇さえあれば階段をダッシュして足腰を鍛えた。この階段はかなりきつそうだろうから、いい練習になるに違いない。青春ドラマのような清々しさと懐かしい気持ちが湧いてくる。

 その彼も最近見ないなあ。

 あいかわらず起きているのか、寝ているのわからない。踊り場が見えている時は起きていて、それ以外は寝ているのだろう。

 ここ数日は調子が良いようである。手が少し動くようになった。ベットの一部だった体がだんだん自分の元に帰ってきたようである。

 今日は誰も踊り場に現れない。

 すっかり暗くなってきた。

 薄暗い中、青年が踊り場まで駆け上がってきた。服装は違うが、あの背格好と走り方は以前よく見ていたサッカー青年に違いない。そして男性が登ってきた。

 踊り場で争っている。そして青年は、その男性を突き落とした。

 なんという惨劇だ。

 誰かに伝えなくてはいけない。そう思っても、声もでない。手で踊り場を指すことしかできない。もどかしい。

 青年が振り返った。

 そういえばこれまで踊り場の登場人物の顔を見たことがない。白髪混じりの女性も、子供とその親も、小学生とその親も、サッカー青年も、その顔を見たことがない。いや、全く覚えていない。顔だって見えるはずの距離なのに、まるで誰もが白い仮面を被って現れた仮面劇を見続けてきたような気分だ。

 ところが青年は振り返ったのだ。

 そして私がこの建物の窓から見ていることを知っているかのように、踊り場から身を乗り出してこちらを見た。

 もう暗くなっていたが、それでも私は彼が誰か分かった。

 彼は私だった。

 髪を振り乱し、目は落ちくぼみ、頬はこけていた。そして、薄気味悪く私に微笑みかけた。間違いなく彼は私だ。

 踊り場から私が私に不気味に微笑みかけている。

 私は全てを思い出した。

 そうだ、私は父を踊り場から力一杯突き落としたのだ。

 私は麻薬から抜け出せないでいた。しかし、それは父から受け継いだ性分だった。

 父も麻薬中毒だった。幻覚をみては、私を追いかけ回した。殺してやるといつも追いかけてきた。私もいつか殺してやると思っていた。なにもかもが嫌だった。

 父がつかまり刑務所にいる間は平穏だった。私は自分の中の鬱憤を晴らすようにスポーツに打ち込んだ。本当に普通で平穏な日々だった。

 しかし、父は帰ってきた。そして、また中毒になった。今度は私も巻き込んだ。もう生かしておくわけにはいかない。そう決意した。

 踊り場でこちらを見ているのは、あの時の私だ。

 昔はよかった。

 記憶はおぼろげであるが、父と手を繋いで階段をよく登った。飽きずに登っては降り、登っては降りを繰り返す私に父はいつも付き合ってくれた。

 父が本当に好きだった。

 そうだ、あの白髪混じりの女性は私の祖母だ。

 私と父を心配して、いつも小さなケーキを持って様子を見に来てくれた。

 二人が心配で、一番早く家に着けるように、汗びっしょりになって、あの急な階段を登って来るのだった。

 三人で食べるケーキは、いつもおいしかった。

********

「ご臨終です」

 看護婦が医師に告げた。

「17時30分です。結局自分の罪を償うことなく亡くなりましたね」

「そうですね。あの高さから飛び降りたのですから、私達もどうしようもない」

「先生、この人は最期まで罪の意識に悩まされていたのでしょうか。最近はうなりながら窓の外を指さしていました。ただ、ご臨終間際は、苦しそうな顔が一瞬穏やかになりました。不思議です」

 医師はベッドの青年をみて言った。

「人は死ぬ前に走馬灯のように、これまでの人生が見えるといいます。最期になにか自分の人生で幸せだったシーンを見たのかもしれないですね」

 そして看護婦と医師は部屋を出て行った。

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