送り主

nobuotto

第1話

 とにかく死のうと思った。

 不眠症で睡眠薬を常備している友人から一瓶丸ごと盗んできた。

 最初に数粒飲んで、眠くなり始めた時に一気に飲んでしまえば、苦しむことなく死ぬことができるに違いない。

 これまでの三十五年の人生は決して捨てたものではない。

 小中高と成績はトップクラスで部活でもインターハイに出場し、一流の私立大学に推薦で合格、大手商社に就職することもできた。

 高学歴の同期の出世競走でも負けることなく、日本企業との共同事業の若き責任者として抜擢され、インド支社に単身赴任した。

 インド赴任時代は、寝る暇もないくらい働いた。勿論、ここで成果を出して自分の出世に必ず繋げる気であった。しかし、この事業が成功すれば日本とインドのパイプがこれまで以上に強くなる。日本の将来をつくる使命を自分が担っている、その高揚感に包まれて二十四時間働いたのだった。

 今にしてみれば、赴任前の数年、妻との結婚、娘の誕生のあの数年が人生のピークだったのかもしれない。

 インドから帰ってくると妻も娘も家を出ていた。1年の約束が2年に、そして3年に伸びることは商社ではよくあることなのだが、それが許せなかったという。

 しかし、きっと私のいない間に私の知らない事が妻にあったのだろう。

 家具だけが残った人間味が全くない家は、寝るためだけの場所だった。家に長く居るだけで気分が悪くなってくるので、毎日居酒屋をはしごしてから帰る。

 寝るためだけの家なのに、ここで眠れなくなってしまった。

 会社でうたた寝をするようになった。重要な会議でも気を失うように眠ることもあった。赴任の疲れが一気にでてきたのだろうと上司から病院を紹介されたが行く気にならない。

 プライベートについては誰にも話していない。仕事の疲れだけと上司が考えている方が何倍も気が楽である。

 会社も休みがちになった。

 会社に行く気にもなれず、外に遊びに行く気になれない。家でテレビを一日中見ている。番組がだらだら流れているテレビをじっと眺めているような生活がもう何日も続いている。

 とにかく死のうと思った。

 不思議な事に死のうと決心したとたんに頭も体も動き始め、友人の家を訪ねて睡眠薬を盗んできた。

 これで死ねる。遺書を書こうとも思ったが、誰に何を書いていいかわからない。今更妻へでもないだろうし、両親兄弟へ何を書いていいかもわからない。

 ソファーに横たわりテーブルにおいた瓶から薬を飲もうとした時に、ドアのベルがなった。

 これから死ぬのだから無視しようと思ったが、何度も何度もしつこく鳴らしてくる。死ぬ前に何か気がかりなことを残すのも嫌な気がする。

 ドアをあけるとそこには宅急便の配達員がいた。

 本人確認をして荷物を受け取った。差出人は自分である。

 思い出した。

「そうか、今日は俺の誕生日だった」

 インドからの帰国前に、自分の誕生日を配送日指定で日本に送った品々である。誕生日には自分の横には妻がいて、かわいい娘もいて、そこにインドからの土産が送られてくる。そんなサプライズをあの頃は思い描いていた。

 何を送ったか頭がどんよりして思い出せない。

 荷物を開けてみる。

 カラフルな彩りのマラカスがでてきた。日本でも売っていそうだったが、牛だか犬だかわからない不思議な絵柄に惹かれて娘に選んだものだ。

 ベリーダンス用の大きな金の首飾り。日本で付けるには勇気がいるかもしれないが、変わり物好きで活動的な妻が喜んでくれそうだと思い買ったものだ。

 そして、タブラ。

 なぜ、あの時に、この打楽器を自分用に選んだのであろう。

 そうだ、仕事絡みでいった店でタブラの演奏を見て、その澄んだ音と軽快でリズミカルな演奏に感動したのだった。

 「こんな感じだったかな」

 とあの時の演奏者を思い出し指先で叩いてみた。

 重ったるい音しかしない。もっと早く軽く叩いてみよう。少しはそれらしい音になってきた。叩きつづけた。音楽というより単調な雑音の連続でしかなかったが、それでも叩き続けた。

 右手でやってみて、左手でやってみて、そして両手で十本の指をひたすら使って叩いてみた。

 叩いているうちに、何故か涙がボロボロでてきた。そして、腹の底から何かが湧き上がってくるようが気がした。

 湧き上がってくる何かを吐き出すように叫んだ。意味もなく大きな声で叫んだ。

 泣きながら叩いて、叫ぶ。一体自分は何をしているのだろう。自分で自分が分からなくなってきた。

 だんだん眠くなってきた。

 今一気に薬を飲めば死ねる。そう思いつつも、涙は止まらず、指は太鼓を叩き続ける。本当に眠くなってきた。

 死ぬのが面倒になってきた。

 このまま寝よう。久しぶりにぐっすり眠れそうである。

 死ぬかどうかは起きてから、また考えよう。そう、起きてから考えよう。

 せっかく、あの時の自分がプレゼントを送ってきてくれたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

送り主 nobuotto @nobuotto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る