陰口

nobuotto

第1話

「新庄さんよ」

 智子はエレベータの中の新庄をウットリと見つめていた。

 社員のいるフロアーを通るたびに、新庄は手を振りガッツポーズを取っている。

「どうしてもあの軽さが耐えられない」

 隣の席の明子は顔をしかめて言う。

「彼は許されるのよ。憧れちゃうわよね。ここだけの話しだけど今度新庄さんと食事する約束してるの」

「まあ、凄い。どうやってそんな機会作れたの」

 智子の手前こうは言ったが、明子は正直どうでもよかった。

 男子社員もこそこそと話しをしている。

「ほーら、負け組の陰口が始まった。ほんと情けない連中」

 その会社には一般社員用とは別に、ガラス張りの役員専用エレベーターがあった。役員はエレベーターの中から社員の仕事をながめながら移動する。

 社員は嫌でも目に入る役員専用という、成功者だけが乗ることを許されるエレベーターを日々見ながら仕事をする。いつの日か、このエレベーターに自分も乗ることを夢見て、日々の仕事に励み、出世競争を繰り広げるのである。

 新庄は三十代半ばにしてこの役員専用エレベーターに乗った。

 浮かれてはいけないと思いつつも、見る側にいた自分が見られる側になった喜びは抑えきれない。

 そんな新庄でも、派手な振る舞いができるのは、自分一人で乗っている時だけであった。

 会社の役員は十段のピラミッドで構成されていた。新庄は一番下のランクである。トップランクの役員、会長や社長と乗り合わせると流石の新庄も緊張し、自分の部屋がある四十一階で降りると思わずため息をついてしまう。

 そして、更に上に昇っていく役員を見ながら、自分も四十二階、四十三階、いずれは最上階五十階まで昇ることを夢見るのであった。

 新庄は夢見るだけでなく確実に成果を出して階を昇っていった。ひとつづつ階が上がるたびにスーツも新調した。まさに昇り龍であった。

 そんな昇り龍の新庄が足元をすくわれた。

 味方も多くいたが、それ以上に敵も多かったのだった。

 南アフリカ進出の足がかりとなる新規栽培事業を新庄は全面的に任されていた。この事業が成功すれば会社には莫大な利益が入る。そして、成功の暁には一気に四十八階の社員になることを新庄は約束されていた。

 しかし、この事業に地元の裏組織が関係していた。それをマスコミにスッパ抜かれた。当然十分に現地調査を行い進めていたが、何者かがこの情報を内々に潰していたのだった。

 事業所を閉鎖し、会社トップがマスコミの前で頭を下げることで事態は収拾した。経済的な損失は最小限で抑えることができたが、会社のイメージは大きくダウンしてしまった。

 新庄の責任問題となったが、これまでの会社への貢献も考慮し、役員からの降格処分、平社員からの出直しのみで幕引きとなった。

***

「新庄さんよ」

 明子が智子に話しかける。

 エレベーターの中で新庄は以前と変わらずガッツポーズを取っている。

 役員専用エレベーターに一旦乗った社員はそこから降りることはできない。

 そして、一旦乗って降りることになった社員には、もうひとつの規則が課せられた。

 上りのときは一般社員用エレベータを使い、下りは役員専用を必ず使用するという規則であった。

 平社員に降格した新庄も、一般社員用で昇った帰りは、ガラス張りの役員専用エレベータに乗らないといけない。そして、地階にある部署、別名「地下牢」と言われる部署へ下っていくのだった。

「どんな時でも元気なのは立派だわ」

 明子がそう言っても、智子はチラリとエレベーターを見るだけだった。

「まあね。けど、元気そうにしてるけど、笑顔引きつってるじゃないの」

 男子社員がこそこそ話している。

「また、陰口。競争から脱落したのを面白がってるわけね。そんな暇あったらエレベーターに乗るために努力すればいいのに」

 智子の辛辣な言い方は好きでないが間違ってはいない。

「会社はまだ彼に期待してるのよ」

「そんな訳ないでしょ。一旦役員専用エレベーターに乗ったら二度と降りられないなんて。上りは天国、下りは地獄って言ってるようなものだわ」

「新庄さん、これからどうするのかしら」

「さあ。彼次第じゃないの。どっちにしろ、下りには興味ないわ。それより、明子、吉永さんよ」

 女性総合職の実績トップで役員に昇格した吉永がエレベーターの中にいた。

 爽やかな笑顔で昇っていく。気品高く独身の吉永は男子社員の憧れの的であった。

 男子社員がこそこそ話している。

「全く、高嶺の花なのに。一緒に食事でもとか思っているのかしらね。バカ男子たち」 

 明子は喉元まで上がってきた言葉をなんとか飲み込みはしたものの、思わず書類に書き込んでしまうのだった。

「お前が言うか」

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