第14話 魔女の嫉妬
愛奈の母親にいつものコンビニ前まで送ってもらった頃、もう七時近くになっていた。
エイミには電話をしてあるが、彼女が千歳家に来てから、こんなに遅くに帰宅したことはなかった。
不安がっていないだろうか。
ふとスマートフォンを確認すると、新着メッセージが数件あるようだった。
――すべて、真由香だ。
『今、家にいるかな? 行っていい?』
四時ごろから始まったメッセージは数十分おきに続いていた。
『まだ学校?』
『無視してるわけじゃないよね』
『今から行く』
『家の前で待ってる』
最後のメッセージは三十分前だ。
まだ待っているのだろうか。美也子は真由香に電話を掛けながら、足早にマンションへと急ぐ。
スマホを確認していなかった自分も悪いが、既読にならないからといってこんなふうに連続してメッセージを送ってくるなんて、真由香らしくない。
真由香は電話に出ない。
母は遅くなると言っていたから、自宅にはエイミしかいない。来客には居留守を使うよう言ってある。
だが、美也子の部屋は共用廊下に接している。エイミが寝室に明かりを点ければ、中に人がいることが分かってしまう。それを真由香にどう説明したらいいのか。
エレベーターで九階に上がり、すぐ前にある自宅を見遣れば、玄関脇に立っている真由香と目が合った。
部屋の明かりは点いていない。
「お帰り、美也子ちゃん」
「ご、ごめん、友達の家にいて、スマホ見てなかったよ」
「そっか、いいの。急にごめんね」
真由香は微笑する。作り物のような笑みだった。
「ねぇ、今から上がっていい?」
「えっと、それはちょっと、散らかってるから」
家にはエイミがいる。すぐには上げられない。だが、長く待たせてしまった真由香を無下に帰らせることもできない。
「少し、待っててくれる?」
慌ててドアを閉めて、出迎えたエイミに向って静かにするようジェスチャーをした。
「友達が来てる。部屋に戻って、ぬいぐるみのふりをしててくれないかな」
「仰せのままに」
そして真由香を出迎えた。
「おいしそうな匂いがするね」
開口一番そう言われ、ドキリとする。玄関に夕飯の香りが漂ってきていた。
「おばさま、帰ってきてるの?」
「うん、ご飯作ってからまた会社行ったみたい」
苦しい言い訳だった。真由香がいつから待っていたか分からないのに。
「そうなんだ。……美也子ちゃんの家に来るの、久しぶりだね」
「そういえばそうだね。私の部屋は片付いてないから、リビングに来て」
導こうとするが、真由香は廊下から動かない。
「ねぇ美也子ちゃん、愛奈って子の家に行ってたの?」
「そ、そうだよ」
「匂いがする、すごく」
うつむく真由香がどんな表情をしているか分からない。匂いとは、愛奈の家の芳香剤だろうか。
「美也子ちゃんの部屋に行きたい。ダメなの?」
どうして今日の真由香はこんなに頑ななのだろうか。何かおかしい。
「うーん、お母さんいないし遠慮しなくていいから、リビングにしようよ」
穏便に提案する美也子は、次いで真由香が取った行動に唖然とするしかなかった。
真由香はおもむろに駆け出し、美也子の部屋の前に来ると勢いよく扉を開け放った。
「真由香ちゃん!」
美也子の非難と制止も聞かず、壁のスイッチを押して明かりを付けた。
ぎょろぎょろとした目で部屋中を見渡し、そしてベッドへ近寄る。
真由香がつかみ上げたのは、小犬に姿を変じたエイミだった。
「やっぱり、お前か!」
ついぞ耳にしたこともない、憎しみに満ちた真由香の声。
真由香が首元を絞めたのでたまらずエイミは元の姿に戻った。喘ぎながら床にくずおれる。
「真由香ちゃん!」
美也子は混乱しつつも、小柄な幼馴染の肩をつかんだ。それを真由香は振り払い、さらにエイミの頬を張った。
手加減の一切ない、憎しみの乗った一撃だった。
「この獣人め、やっぱり来ていやがったか!」
あまりに凶悪な真由香の声に、美也子は身をすくめて立ち尽くすことしかできない。
エイミは頬を抑えながら、苦々しげにつぶやいた。
「あなたは、ネヴィラの魔女ですね?」
「気安く話しかけるな!」
「あの耳長悪魔は、あなたの贈り物ですか?」
「あれの術を解いたのは、お前か!」
「だって、ご主人様を監視していた」
「監視じゃない、守っていたんだ!」
「真由香ちゃん!」
真由香とのエイミの間に押し入り、これ以上の暴力を防ぐ。
恐る恐る尋ねた。
「真由香ちゃん、どういうこと? あなたは、一体何なの?」
すると真由香は、叱られた子どものような顔をして見せた。まさに、『やってしまった』という顔だった。
「こんなつもりじゃなかった。もっと静かに見守るつもりだったのに、獣人に魔精まであなたに手を出して、気持ちが止められなくて」
瞳から大粒の涙がこぼれていた。こんなふうに泣かれては、美也子は真由香を責めることはできない。
「クリスデン」
真由香は愛おしむようにその名を口にする。
「あなたを愛しているの」
抱きついてくるわけでもなく、ただ立ったまま滂沱として泣いていた。
その様はあまりに艶めいていて、同じ年の少女とは思えなかった。
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