ネクロくんとマンサちゃん

ハナミツキ

前編

雨は嫌いだ。あの日の事を思い出してしまうから。

 キミがボクの腕の中で、冷たくなっていったあの日を。

 今でもずっと、忘れられないあの日を。


「……」


 天気が崩れそうな気はしていたが、まさか突然大雨になるとは。

 自分の浅慮に呆れながら、ボクは一歩一歩帰路を急ぐ。

 ずぶ濡れになった靴は最早靴としての役割を果たしておらず、むしろ重りと言えるかもしれない。


「……ただいま」


 なんとか自宅へと帰り着いたボクは建付けの悪いドアを体当たりするように開けると、いつものように彼女に朝の挨拶をした。

 そんなボクの挨拶を受けて彼女はふわぁ、と大きな欠伸をすると、


「おはよう、今日も早いね」


 右手をひらひらと振りながら、そう挨拶を返した。

 ボサボサの髪を見た感じ、起きてきたのはついさっきだろうか?

 いや、ボクが整えてあげないといつでもボサボサの気もするけど。


「……少しだけ待って」


 今にもボクに飛び掛かって来そうな彼女を片手で制すと、ボクは荷物を玄関にどすんと降ろした。

 それから役立たずの靴をぽいと履き捨てるとそのまま脱衣所へと向かう。

 そして自分でも分かるぐらいに臭っている服を乱暴に投げ、蛇口を思い切り捻った。

 身体を洗ったら、すぐに彼女の朝食を作ってあげなければ。

 

「……どう?」


 目の前で朝食を頬張る彼女に、ボクはそう問いかける。

 下準備も何もしていないので料理というよりは素材の味そのままといった朝食。

 しかしよほどお腹が空いていたのだろう、彼女はボクの言葉にしばらく答えず器を貪っていた。

 しばらくして器の中身を空にした彼女はボクの方を上目遣いに見つめると、


「……おかわりは、ある?」


 そんな言葉を口にした。

 問いかけにボクは腕組みを返し、天井を見上げる。

 保存用に取っている分はあるのだが、保存用はあくまでも保存用。

 そう言葉を返したかったが、


「……」


 子供のような上目遣いを耐え続けられるボクではなく、結局冷蔵庫に入れていた残り半分も彼女に献上することとなった。


「キミは食べないの?おいしいよ?」


 おかわりの時は周りを見る余裕があるのか、彼女が器から顔を上げてそんなことを言った。

 ボクは返事の代わりに腕を伸ばすと食べカスを袖で拭いながら、


「……大丈夫。お腹、減ってないから」


 そう短く答える。


「ふーん……そっか」


 結局おかわりも皿を舐めるまで堪能した彼女は、満足そうに満面の笑みを浮かべるとソファーのほうへと軽やかに向かった。

 ボクはそんな後ろ姿を横目に台所へ洗い物を運びながら、明日のことについて思慮を巡らせる。

 保存用まで出してしまった。食料調達もそう簡単なことではないというのに。

 特に蓄えを作るために連続で調達へ行ったものだから、警戒も強くなっているだろう。

 かと言って代用品の算段も思いつかない。

 色々と悩むボクの背中に、ふわっと柔らかな感触。


「お腹いっぱいになったら、眠たくなっちゃった……」


 ボクの身体に寄りかかりながら、もう既に半分寝入りそうな声で彼女が言う。

 言葉に続きはないが、ボクを離そうとはしない彼女が続けようとしたであろう言葉は一つだろう。

 彼女に引っ付かれたまま引きずる様にして、さっきまで彼女が寝ていたソファーまで移動するとボクもそのまま横になる。

 まだ臭っていないか少し心配だったが、彼女はそんなこと気にしていないのかぐりぐりとボクの背中に頭を擦りつけると、


「んー……」


 と、幸せそうに声をあげた。

 ボクはそんな幸せそうな彼女の声を堪能しながらゆっくり目を閉じる。

 自分でも気づかないほど疲れていたのだろうか、ゆっくりと睡魔が僕の体を這い上がり包み込んだ。

 その感覚に逆らわぬよう、僕はゆっくりと眠りに落ちて行く。 

 とりあえず寝よう。考えるのはそれからでも遅くないはずさ。



 重く冷たい、彼女の身体。

 揺り起こそうとするも、ボクの身体も冷たく重く。

 無駄な足掻きを繰り返すうちに、ボクと彼女はゆっくりと、ゆっくりと。

 ゆっくりと底へと沈んでいった。



「……ん」


 体に妙な重みを感じて、ボクは細く目を開ける。

 目の前に広がる白い色と、顔面に広がる柔らかな感触。

 彼女がボクの上に圧し掛かっている、と理解するのに数秒かかった。


「ご、ごめん。重かった?」


 僕が目覚めたことに気付き、素早く飛びのく彼女。

 あまりにも勢いよく飛びのいたので、そのまま自分の服の裾を踏んでずでんと転ぶ。


「……大丈夫?」

 

 噛まれた肩をぱんぱんと払い、僕は彼女に手を伸ばした。

 そしてボクよりも一回り背の高い彼女を支えるためにソファーの端をしっかりと握ると、逆の手で彼女の腕を掴んで真っ直ぐ立たせる。


「えへへ、どじっ……」


 照れ隠しに頭を掻こうと上げた腕がふわりと宙を舞う。

 そのまま彼女の腕は壁まで綺麗な弧を描くと、ごとんと音を立てて床に落ちた。


「……」


「……」


 無言のままボクは落ちた腕を拾うと、まだ付いている方の彼女の手にそれをポンと手渡す。

 やはり先延ばしにするべきではなかったらしい。ボクは自分の浅慮さに再び溜息を吐いた。

 そんなボクをさっきまで表情豊かだった彼女が、虚ろな瞳見つめている。


「……少し出かけてくるね」

 

 聞こえているかは分からないが、彼女にそれだけ言い残してから玄関へと急ぐ。

 あの状態なら、まだ勝手に外へ出ていくことはないだろう。荷物を背負ってからもう一度振り返り、ボクはそう確信して家を後にする。

 昨日の今日なもので、あまり派手な行動はしたくない。だが、事態は急を要している。

 あーでもないこーでもないと頭を捻らせながら森を歩いていると、人気の無い花畑に一人の少くぁ年の姿が見えた。

 ボクは物音を立てないようにそこで立ち止まり、しばらく少年の姿を観察する。

 お目当ての花でもあるのか、地面とにらめっこを続けている少年。周囲への警戒は一切なく、大きな音でもしない限りは花畑に夢中だろう。


「……」


 ボクは荷物を降ろすと、中身を取り出す。

 初めての試みだが、普段とそう勝手が違うという事は無いだろう。

 問題の解決策があっさりと見つかったことに、ボクはとりあえず一安心した。

 しかし油断は禁物。ボクは小さく息を吐いてから、息を殺して立ち上がる。



 家へ戻ると、彼女は朝に見た姿そのままで立っていた。

 虚ろな瞳は完全に何も映さなくなっており、ボクの事にもまったく気付いていないように見えるが、もちろん死んでいるわけではない。

 その証拠に、ボクの荷物から漂う臭いに反応して指先がピクピクと動いている。


「……待っててね、今すぐ準備するから」


 言葉は届いていないだろうが、ボクはそう告げてから厨房へ進む。

 今日は鮮度がいいので分解に手間取らないだろうと思っていたのだが、意外と肉が硬くなってやり辛い。

 大きさは関係なく時間経過に問題があるのだろうか。とボクは自分の中で結論付けてから器を運ぶ。


「……」


 ボクは器に口を付け一欠片を口に含むと、そのまま彼女の眼前に立つ。

 相変わらず虚ろな瞳であらぬ方向を向く彼女。その顔をがっしと両手で掴み、顔を近づけた。

 柔らかい彼女の唇の感触を楽しみながら、欠片を彼女の口へと流し込む。

 きちんと飲み込んでくれるか毎度不安なこの方法だが、今回もちゃんと喉が鳴るのを確認した。


「……あ」


 ゆっくりと彼女の瞳に光が戻り、ボクの顔をしっかりと捉えると、


「……おかえり」


 優しい表情で、彼女が微笑んだ。

 ボクはそんな彼女の口元から垂れた血を袖で拭い、


「……ただいま」


 そう言葉を返して、小さく微笑みを返す。彼女の視線は既にボクの元を離れて器の方へ向いていたので、あまり意味は無かったが。

 

 やはり鮮度が違うと満足度も違うのか、彼女は皿の底まで綺麗に舐めとると、


「ごちそうさまっ」


 ぺろりと口の周りも嘗め回しながら、言うが早いか横になってしまった。

 満足そうに眠る彼女を見ながら、ボクは壁にもたれて溜息を吐く。

 ここの所、彼女の食事のペースが速くなっている。いや、実はこれが普通の速度で、今まで彼女が我慢していただけの可能性もあるが。


「……むぅ」


 とりあえず彼女が寝ている間に、また食料を確保してこなければ。寝起きの度に噛まれていてはたまらないし。

 ボクは彼女の寝顔に少し触れてから、また荷物を持って家を出た。

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