第48話 リンドバーク伯爵

                    by Sakura-shougen


 翌日は、実際に舞踏会衣装の稽古着を来て、ダンスを踊ってみた。

 サムエルとは息もぴったりだが、知識で覚えてはいても中々に体現できないところがもどかしい。


 ヒルワレル月の第1週はそうして過ぎ去った。

 翌週のブレアムにおさらいをして、シンディは漸く様になって来たと自分でも感じていた。


 あくる日は、午前9時過ぎにはベイリー邸で舞踏会衣装を着て、サムエルが来るのを待っていた。

 ギャリソンの運転する車に乗って、サムエルが正装で迎えに来てくれた。

 リムジンではないが、座席のゆったりしたセダンタイプは、国産では最高級車であった。


 午前10時少し前には、クレヴィス街にあるレグナン子爵邸に到着していた。

 ロスカウリン街に在った旧子爵邸に比べると敷地は若干小さめではあるが、邸そのものは逆に大きくモダンな建物になっている。


 後に聞いたところによる、ケント子爵が家を継いでから古い屋敷では手入れに人手がかかることと新たな設備を設置するのが難しく、子爵の経営する事業にも影響が出てきたので、クレヴィス街に新たに邸を作ったのだそうである。

 レグナン邸では執事が出迎え、応接間に案内してくれた。


 ギャリソンは一旦スカルデックに戻っていった。

 サムエルからの電話で迎えに来ることになっている。


 応接間ではレグナン子爵一家が揃って挨拶に来られ、テス夫人にも再開した。

 王宮での挨拶を互いに交わしながら、女性陣の話はすぐに衣装の話になった。


 シンディの着ている舞踏会用の夜会服は伝統に従って大きな襟が立っているロングドレスでありながら随所に斬新なアイデアを取りこんだものである。

 練習用は多少の汚れも目立たないように濃い紫であるが、本番用の衣装は薄紫で肩から腰にかけての白い帯がアクセントになっている。


 帯自体にも細かい刺繍模様が浮き出て見え、細かいビーズが随所に埋め込まれた華やかなものである、

 衣装の袖は肘ほどまでしかない短めのものであり、胸元が大きく開いている。


 だから必ずショールとコートを持っていかなければこの年末の時期は戸外では凍えてしまうことになるだろう。

 サブリナ女史は、衣装に合わせたショールとアクセサリーも用意してくれていた。


 髪飾りと二重の真珠の首飾りである。

 練習用は黒真珠、本番用は珍しい緋色真珠である。


 どちらも髪飾りと対になっていた。

 コートと靴だけは先日母と一緒に専門店で購入して来た。


 本番用に合わせて淡緑色の丈の長いコートを選んだし、ロングドレスの陰になって殆ど見えないが、靴はハイヒールで衣装と同じ色のものである。

 そうして、丈の長いレースの手袋が同じくアクセントになっている。


 この手袋もサブリナ女史のデザインの一部なのである。

 淡い白なのだが、光に反射して虹色に見えることもある。


 特にこの衣装全体が自然光よりも電飾光で効果を表すことは事前に確認済みである。

 テス夫人も、カテリーナ夫人も、その衣装を身につけたシンディをべた褒めしてくれた。


 そうして11時少し前に別の来客があった。

 リンドバーク伯爵夫妻である。


 子爵の説明では、子爵夫妻自体も王宮舞踏会への参加は120年ぶりのことであり、舞踏の練習をしなければならないそうなのである。

 尤もこれまで欠席していたとはいえ、子爵家の中でいつでも出られるように日々練習は欠かさなかったようではある。


 だが、本来の舞踏会に出ていないことで独りよがりの舞踏になっている可能性もあるという不安があるのだそうだ。

 そのために、王宮舞踏の師範でもあり、舞踏の世界では高名なリンドバーク伯爵夫妻にお出ましいただいて、今日を含めて二度ほど指南していただくことになったのだ。


 子爵夫妻に先導されて、サムエルとシンディも玄関まで伯爵夫妻を出迎えに行った。

 出迎えの際には、密かに練習した王宮風の御挨拶を子爵夫妻と共に披露した。


 リンドバーク伯爵夫妻は50代後半であり、伯爵は少々いかめしい顔つきをされた方だが、夫人の方はかつての美しさの名残が見える非常に和やかなお顔をされた人である。

 その二人が、サムエルとシンディの挨拶を受けて、少し驚いた表情を見せていた。

 その場では何も言わず、応接間に入って座ってから伯爵が口を開いた。


 「 ケント子爵から、若い御二方のお話は多少聞いていたが、確か、市井の方で貴

  族ではないと聞いていたのだが・・・。

   夜会服がこれほど似合う若い方も珍しい。

   それに、先ほどの見事な王宮風の儀礼は何処で覚えられたのかな?

   少なくとも付け焼刃ではない風情が感じられた。」


 サムエルとシンディがちょっと顔を見合わせ、サムエルが答えた。


 「 耳学問にしか過ぎませんが、子爵随行のカップルとして恥ずかしくないよう二

  人で練習はいたしました。」


 実のところは、サムエルが王宮そのものの精霊から古からの仕来りを教えてもらったものであり、王宮の精霊はその全てを記憶として見せてくれたものである。

 その記憶が、サムエルからシンディにも伝えられていた。


 「 ふむ、それにしては、見事なものだ。

   20代も前半の若さでは、生まれながらの貴族でも中々にあのような風情は醸

  し出せない。

   貴方がたの仕草は、極自然でその中に古の王侯貴族を思い起こさせるものがあ

  る。

   なれば、今日の舞踏の稽古も多分に期待できるというものです。」


 世間話をしながら、お茶を頂き、その後で稽古の場所になる大広間に移った。

 普段は会食をする場所であるらしい。

 舞踏曲をかけるためのオーディオ機器も用意されていた。


 「 午前1時間、午後1時間の稽古で、来週を含めて都合4回。

   舞踊の形は精々8つまででしょうかな。

   一度、私と妻が模範を示します。

   その後で、レグナン子爵、それから若いお二人の順で別々に踊って見て下さ

  い。

   一度目は何も申しません。

   そうして、次に二つのカップルが一緒に踊っていただく。

   その際に気付いた点を私と妻とで御直しいたしましょう。

   最初の舞踊は、レナックです。」


 曲が始まり、伯爵夫妻は優雅な動きで踊り始めた。

 流石に当代屈指の踊り手として知られる伯爵夫妻であり、息のあった見事な踊りを見せてくれた。


 続いて、同じ曲でレグナン夫妻が踊り始めたが少しぎこちない動きが目立った。

 やはり長年の欠場で子爵家に伝わる踊りにも少し欠落があるのかもしれないし、無理に伯爵夫妻の動きを真似ようとして動きがぎこちないのかもしれない。


 何とか踊り終えてレグナン夫妻はほっとため息をついていた。

 続いて、サムエルとシンディの番であった。


 シンディは無心で踊った。

 踊ると言うより、サムエルに身を委ねたと言う方が合っているだろう。


 足の運びも腰の動きも滑らかで淀みが無かった。

 踊り終わって、伯爵夫妻に向けて挨拶をした。

 リンドバーク伯爵の顔に笑みが浮かんでいた。


 「 では、二組同時に踊っていただこう。

   気付いたところはその場で申し上げよう。」


 二組が同時に踊り始めた。

 踊っている内に近づく場面もあるのだが、そのたびにサムエルが綺麗にターンを繰り返して距離を開ける。


 但し、決して大きくは離れない。

 その分、シンディのターンも増えていた。


 伯爵夫妻は、レグナン夫妻についていて、幾つか指導をしていたが、動きを止めるようなことはしない。

 唐突に伯爵と伯爵夫人が、わざとサムエルとシンディの動きを封じるような位置に立ったのはそんなときである。


 左脇にはレグナン夫妻が間近に迫っており、前後を伯爵夫妻に囲まれたような格好である。

 一瞬の判断で、サムエルはシンディを急速に二回転させて、右横に移動した。


 二回転のターンは練習でもしたことが無かったが、シンディはサムエルのリードにそのまま従った。

 そうして何事も無かったようにその後も踊り続けたのである。


 曲が終わって、踊りを終え、二組のカップルは同じように伯爵夫妻に挨拶をした。

 伯爵はにこやかな表情を見せながら言った。


 「 レグナン夫妻は、今少しの練習が必要ですな。

   特に脚の運びと腰の動きが微妙に異なる場面がございます。

   それが踊りの不安定さとなってぎこちない動きになるのです。

   基本は十分にできておりますから、今少し練習を積めばその不安要因は無くな

  るでしょう。

   少なくとも今の状態で標準以上の技量はございます。

   そうして、サムエル君とシンディ嬢の踊りは真に見事です。

   少なくともレナックに関する限りは申し分がない。

   それにツィンメルターンをあれほど完璧にこなすカップルがいたとは驚きで

  す。

   余りに上手に踊っているものですから、ちょっと悪戯をしようと敢えて二人の

  邪魔をする位置に私とメグが立ったのですが、・・・。

   いとも簡単に逃げられてしまった。

   あのようなことは舞踏会ではよくあることなのですが、私どもが立ったあの位

  置に立たれると逃げること自体が非常に難しい。

   レグナン夫妻は自分達の踊りに夢中で、他を見る余裕が無かったようですな。

   サムエル君から見て右へ、シンディ嬢から見て左へ、高速ターンで逃げるしか

  ないのですが、一人ならいざ知らず二人でというのは非常に難しいのです。

   特に私とメグが意図的に距離を詰めた時にはね。

   だが、それをかわして踊り続けた技量は並大抵のものではない。

   本当にこれはこれからの稽古が楽しみですな。」


 大層、立派な評価を貰って、シンディは漸く不安の一部が薄れた。

 その後、軽い昼食を挟んで、三回の練習を行い、二人は見事にやり遂げたのである。



 翌週、再度の練習があったのだが、伯爵の指示で変則的な練習を行った。

 互いのパートナーを変えて踊るのである。


 シンディは相手を変えて踊ったことなど無いので不安だったが、サムエルから指示を貰った。

 ケント子爵の表層意識だけを捉えて動きなさいという指示であった。


 相手に深く立ち入らず、表層だけを捉えていると相手の動きが直前にわかるのである。

 後はそれに身体を合わせればいい。


 更にばらけて、シンディが伯爵と踊ったり、サムエルが伯爵夫人と踊ることもあった。

 最後の方ではレグナン子爵夫妻も漸く固さが取れて、伯爵夫妻からお誉めの言葉を貰っていた。


 その日、上機嫌の伯爵夫妻が帰る際に、サムエルはクリュエスド・ヴィラを一ケースお礼と称して伯爵夫妻に手渡した。

 無論、レグナン子爵にも一ケースを手渡している。


 漸く準備が整ったと言う感じである。

 晴れの舞踏会は1週間後のことであった。

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