第36話 ベルリューサイト(2)

                    by Sakura-shougen


 無論、これまで口にしたこともない味である。

 シンディは正直にその旨を伝えた。


 「 シンディが知らないのは無理もないよ。これはアフォリアでは殆ど輸入されて

  いない筈だ。

   ボーリア大陸にあるクラケシュタという山がちな小さな国でしか栽培されてい

  ないヒスタという柑橘類を絞って、発酵させ、香草を炊きこめた特殊な樽に三年

  以上保存したものが、エル・クラケシュタというアペリティフになるんだ。

   この食前酒は、その芳醇な香りと溶け込んでいるスパイスから、野趣あふれる

  動物の肉をメイン料理に使う場合に用いられることが多い。

   特に使われるのはイノシシ、シカの類かな。

   それに、このエル・クラケシュタはかなりの年代物だ。

   少なくとも10年以上は温度管理がなされた樽に保管しないとこのまろやかな

  味にはならない。

   クラケシュタでは、20年保存された最高のエル・クラケシュタをキ・エル・

  クラケシュタと言って珍重しているそうだ。

   僕はそのものを飲んだことが無いからわからないけれど、多分、キ・エル・ク

  ラケシュタではないかと思う。

   エル・クラケシュタと比べると随分と味わいが深いからね。」


 暫くしてウェイトレスがやって来て、前菜を置いて行った。

 その直後に、ソムリエがやって来て、黙って赤のワインをグラスに注いだ。


 「 さっきのアペリティフは、キ・エル・クラケシュタなのかな?

   僕は、エル・クラケシュタまでしか飲んだことが無いから正確にはわからない

  けれど、少なくともこれまで飲んだ事のあるエル・クラケシュタとは次元が違う

  様な気がするんでね。」


 ソムリエは頷いた。


 「 当店でも初めてお出しするものでございます。

   私も不勉強でエル・クラケシュタすら知らなかったのですが、サムエル様は流

  石でございます。

   では、もう薄々お分かりでしょうか?」


 「 多分、獣肉と言うのはわかるけれど、何でしょうね。

   シェフが色々と考えた末の結論となると、・・・。

   うーん、食前酒だけでは範囲が広すぎるな。ワインと前菜を頂いた上で申し上

  げよう。」


 「 わかりました。

   シェフには、キ・エル・クラケシュタがサムエル様に見破られたと言うことだ

  けご報告して参ります。

   では、後ほど。」


 ワインも臭いを嗅ぎ、口に含んで味とフレイバーをみる。

 シンディには、このワインも少し毛色が変わっているように思われた。


 非常に甘いのである。

 ワインがこれほど甘い飲み物とは思っても見なかった。


 それに飲みやすい。

 ただ、かすかに記憶に残るワインだった。


 シンディの12歳の誕生日にまだ元気だった曽祖父がわざわざ買ってきてくれた珍しいワイン・・・。

 そう、確か貴腐ワインと言っていた。

 その話をすると、サムエルが頷いた。


 「 よく覚えていたね。10年以上も昔の味だろうに。」


 「 それだけ、印象深い味だったのでしょうね。でもこのワインはその味に似てい

  るけれど違うと思うわ。」


 「 うん、それはとっても良いアドヴァイスだね。それで、12年前のアレザリス

  の貴腐ワインは捨てられる。それ以前又は以後でこの店に相応しいワインとなる

  と、二つ。

   24年前のクスネルの貴腐ワイン、それに7年前のベルデの貴腐ワイン。

   でも、ベルデのブドウの味ではない。

   そうして、さらにそれ以前の貴腐ワインは30年以上の年月が立つから商品価

  値としては高いけれどワインの味は悪くなる筈。

   この店でそんなものを出す筈もない。

   クスネルの貴腐ワインだとすれば、・・・。

   北エロイデ地方の料理・・・か。

   あるいは、エロイデ・トナカイかな?

   前菜を食べてみようか。何かわかるかもしれない。」


 前菜には三種類があったが、どれもピリッとした辛みが残った。一つはアフォリアでも栽培されているクレオ蕪のピクルス、一つはウィルサーモンの燻製を綺麗に切り分け薔薇の形にくみ上げたもの、最後は芋と鶏肉の煮込み料理である。

 今日は昼から余程辛みの多い料理が付いて回っている。


 香辛料やハーブが多用されているようだが、左程気にならず、むしろ隠し味として素材の味を引き立てているのは流石に一流の仕事人のなせる業である。

 サムエルがシンディに尋ねた。


 「 この三つの前菜に共通しているハーブは何かわかるかい?」


 「 ブリスとカーグ、それにファロメかしら。」


 「 そのとおり。

   シンディはいい料理人になれるよ。

   それともいい奥さんかな。

   美味しい料理を作るには舌が肥えていなければできない。

   微妙な味の違いが判らなければ美味しい料理はできないからね。

   それにもう一つ隠し味で使っているものがある。

   これもまたアフォリアでは使っていないものだけれど、鶏肉と芋の煮込み料理

  にほんのわずかだけ使ったようだ。

   蕪とサーモンでは多分味が変わってしまうので使わなかったのだろうけれど、

  果たしてヒントなのかそれともひっかけなのかが判らないな。

   シンディ、どっちかわかるかなぁ。」


 「 随分と妙なところで悩むのね。

   ヒントにしろ、ひっかけにしろ、適切な料理があるのでしょう?

   その主材料がトナカイであれば、サムがどちらの料理の方が美味しいと思うか

  考えれば良いじゃない。

   シェフは、サムよりももっと人に美味しいと思われる料理を食べさせるために

  工夫しているわ。

   単にクイズに勝つためだけに美味しくない料理を出すわけがない。」


 「 うーん、なるほど。

   流石、シンディだ。

   良いことを言う。よし、これで決まりだ。」


 ほどなく、ソムリエが現れた。


 「 いかがでございましょうか。

   メイン料理の用意ができましたが、お出ししてよろしゅうございますか?」


 「 いいよ。

   ところで、このワインはクスネルの貴腐ワインなんだろうか?

   少なくとも、二人で検討したところではアレザリスでもベルデでもない。

   となるとクスネルと言うことになるんだけれど・・・。」


 「 はい、間違いございません。クスネルの貴腐ワイン24年物でございます。」


 「 であれば、メイン料理は、トナカイ。

   おそらくはエロイデ・トナカイの肉を使った物だろう。

   前菜から判断できるのは二つ。

   一つは野趣溢れる香草炊き、もう一つは香草と肉を塩の壁で固めて蒸し焼きに

  する塩釜焼き。

   どちらか迷ったけれど、シンディがシェフなら必ず美味しいと思うものを客に

  出すと言うのでね。

   その言葉に従うと、トナカイの香草塩釜焼きになると思う。

   使う香草は、ブリスとカーグ、それにエクィドルを使う筈だ。

   前菜に使ったファロメは、トナカイの肉には合わないからね。」


 ソムリエのアレックスはため息をついた。


 「 お見事でございます。

   確かに、トナカイの香草塩釜焼きでございます。

   シェフの目論見では、最初のアペリティフでサムエル様の度肝を抜き、次いで

  貴腐ワインで止めを指すおつもりだったようです。

   キ・エル・クラケシュタは、シェフが独自のルートで入手した貴重な一本でご

  ざいますし、クスネルの貴腐ワインは当店にただ一本だけ残った珍重品でござい

  ます。

   但し、クスネルの貴腐ワインは年末には処分される予定でございました。

   当店では独自にワインは25年までとしておりますもので。

   シェフもこれで当分頑張る目標ができました。

   最近、随分と気力が落ちたと嘆いていましたが、何しろ負けず嫌いで有名です

  ので、これだけ完璧にやられると、絶対にシェフは頑張ります。

   では、料理をお出しするよう厨房に行って参ります。」


 間もなく厨房から大きなワゴンに載せられた料理が運ばれてきた。

 真っ白な塩に包まれた中に肉と野菜、香草が入っており、塩釜を叩いて割る時に随分と良い臭いが周囲に立ちこめた。


 塩釜が適度な塩分を与え、同時に旨みを外に逃がさない。

 素材が確かであればあるほど、手間暇をかける分、とても理想的な料理になる。


 トナカイの肉と野菜は柔らかくとてもジューシーだった。

 最後のデザートになって、ゆったりとした気分でお茶を飲んでいると、これまでゆったりくつろがせる演奏を続けていたバンドが演奏を止めた。

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