第35話 ベルリューサイト(1)

                    by Sakura-shougen


 すぐに呼び出し音が車内に響く。

 フリーハンドで話せるように車内のスピーカーに通しているらしい。


 サムエルは、制限速度一杯にまで速度を落として路肩近くを走行している。

 その分、マイクで拾う雑音は低減される筈だ。


 まもなく、相手が出た。


 「 はい、こちらは、ベルリューサイトでございます。」


 「 あ、こちらは、サムエル・シュレイダーと申します。

   恐れ入りますが支配人のコブラン様はいらっしゃるでしょうか。」


 「 はい、支配人でございますね。

   このまま少々お待ち下さい。」


 音声に保留中の音楽が流れ始めた。

 少しして音楽が途絶え、男性の声がした。


 「 はい、支配人のコブランでございます。」


 「 あ、支配人。

   こちらサムエル・シュレイダーです。」


 「 あ、これは、これは、サムエル様。随分お久しゅうございます。

   いかがお過ごしにございますか。たまにお越しいただかねば、シェフを含め随

  分と寂しがっている者がおりますぞ。」


 「 真に申し訳ない。

   貧乏暇なしでして、中々、行けませんでした。

   急な話で申し訳ございませんが、今夜、時間は8時半ごろになると思います

  が、二人分の席は用意できましょうか。」


 「 ほう、お二人で。

   もしやお一人は妙齢の女性ですかな?」


 「 はい、若い女性では拙いでしょうか?」


 「 いえ、いえ、とんでもございません。

   なれば何としてもお席を用意しませんとな。

   少々お時間をいただけましょうか。

   折り返し、お電話いたしますので。

   電話番号は、以前お聞きしている携帯で宜しゅうございますか。」


 「 はい、今も車内からその電話でかけております。」


 「 なるほど、では後ほどお電話申し上げます。」


 電話が一旦切れ、その後5分ほどして電話が来た。

 席が取れたと言うことで、8時半頃従業員一同お待ちしておりますという返事があったのである。

 隣で聞いていたシンディはすっかり呆れていた。


 「 ねぇサム、貴方どんなコネがあるの。

   大会社の社長ですらそう簡単には予約の取れない席を当日になってそれも僅か

  に三時間前に電話をかけて席が取れるなんて、普通の人にはできないわよ。」


 「 いや、たまたま僕が個人的に支配人を知っていたし、空いていたから席が取れ

  たのでしょう。」


 「 だって、普通、予約無しであれば席が空いていてもお断りするぐらい格式が高

  いところなのよ。

   一見の御客はまず予約すらできないところなのに・・・。」


 「 うーん、そうだなぁ。

   探偵稼業を始める前に、ベルリューサイトが困っている時にちょっとだけ手助

  けしたことが有ったんだ。

   で、支配人や従業員の人達と知りあいになってね。

   忙しくなる前は、1週間に一度ぐらいは食事に行っていた御得意客でもある。

   だから、支配人が動いてくれたんだ。」


 「 うーん、それも凄い話だわ。

   家族にできる自慢話がまた一つできちゃった。

   母なんか多分それだけで尊敬しちゃうわよ。

   それに、これは仕事の話と違うから話をしても構わないでしょう。」


 「 いや、事実はそうでも、むやみやたらに吹聴されては困るよ。

   僕という人物を信用してくれているコブランさんやそのほかの人に迷惑をかけ

  かねない。

   仮に、俺にもそういう特典を与えろと迫って来る者がいたらお店の人が困っち

  ゃうでしょう?

   何せ、僕はしがない探偵風情だけれど、あそこに入る御客は色々と華々しい肩

  書を持った人が多いんだから、特別待遇を得る者が別にいたと知れば、必ずそう

  言う無理を言ってくる輩が現れる。」


 「 ふーん、サムのそういう人のつながりを大事にするところが素敵だと思う。

   サムは、自分を危険に晒してもそういう配慮を忘れない。

   でもね、そう言うサムを気遣っている者が少なくとも一人はいると言うことを

  忘れないでね。」


 「 わかっている。

   そう言う君だからこそ、訓練をしておきたいんだ。

   そうしないと君が心配でおちおち仕事にも行かれないだろう。」

 シンディは、サムの本音を聞いたような気がして、恥ずかしい様な嬉しい様な気持になった。

 2号線を少しフライイング気味に走行して時間を稼いだが、週末のキレイン市街は道路が混んでいた。


 ダウニング街のベルリューサイトには8時半を僅かに回ったところで到着した。

 車はボーイの手で裏の駐車場に回される。


 サムエルはシンディの手を取って、店の中に入って行った。

 受付で名前を告げるとすぐに席に案内された。

 すぐに支配人がやって来て挨拶をし、メモ帳を取り出しながらシンディに尋ねた。


 「 ところで、シンディ様は、どういう方なのでしょうか?」


 シンディの代わりにサムエルが答えた。


 「 シンディは、ゴアラ特殊製鋼の社主であるクレイグ・ベイリーさんの娘さん。

   僕との関係は、友達以上恋人未満かな。」


 「 なるほど、意味深な言葉ですな。

   では、シンディ様。

   どうか当店の料理を御楽しみ下さいませ。

   貴方の御名前は、芳名帳に記録しておきますので、明日以降いつでもご用命い

  ただければと存じます。

   その際は、お名前とサムエル・シュレイダー様のご友人と申されれば結構でご

  ざいます。」


 支配人は丁重なお辞儀をして立ち去って行った。

 入れ替わりにウェイトレスがやってきた。


 「 こんばんわ。サムエル様。」


 「 やぁ、ファルシア。

   元気そうだね。」


 「 はい、お陰さまで。

   サムエル様が、今日はとても綺麗なお嬢様とご一緒ですので、従業員が皆噂し

  ておりましてよ。

   で、真に申し訳ないのですが、今日はシェフの特別メニューと言うことでござ

  いまして、残念ながらお客様に料理の選択権はございません。

   間もなく、楽団の生演奏も始まります。

   どうか今宵一時をごゆっくりとお楽しみくださいませ。」


 ウェイトレスは、フルコースの食器だけ並べて注文を取らずに去って行った。


 「 ねぇ、サム、さっきの支配人の話はどういう風に理解したら良いの?」


 「 ああ、芳名帳の登録?

   あれは、きちんとした紹介で店にやってきた人の登録台帳なんだ。

   だから、次の機会には一見の客としては扱われず、ある意味で会員となったと

  思って差し支えない。

   必ずしも特典と言うわけではないけれど、予約をする際には有利に働くことに

  なるだろうね。

   彼が君のことで聞きたかったのは、ある意味でこの店に相応しい人物なのかど

  うかを確認するための判断基準なんだ。

   少なくとも支払いに困るような人では、そもそも台帳に載せる資格が無い。

   お父様のクレイグの肩書きはこんな場面で有効に働くということだよ。

   少なくともシュレイダー探偵事務所の探偵ですと言うよりはずっといい。」


 「 喜んでいいのか悲しんでいいのかわからないわね。

   自分一人では何もできないと言うことに等しいもの。」


 それを聞いてサムエルはにこやかに笑っている。

 二人でそんな話をしていると、やがてソムリエがやってきた。

 ソムリエも挨拶をした。


 「 サムエル様、シンディ様。

   ようこそいらっしゃいました。」


 シンディと言う名は、先ほど支配人に告げたばかりであるが、もう従業員に知れ渡っているらしい。


 「 やぁ、アレックス。

   元気そうだね。

   例の品物は手に入れられたの?」


 「 いいえ、残念ながら、・・・。

   アフォリアでは極端に品薄でございまして、あちらこちらに声はかけているの

  ですが、こちらの店で入手するのはただの一本ですら難しい状況になっておりま

  す。」


 「 そうなんだ。

   じゃぁ、機会があれば、知人から醸造元に頼んで貰ってみよう。」


 「 本当ですか?

   もし、入手できたらそれこそ感謝状ものですよ。

   但し、期限が迫っておりまして、来月の下旬までに手配がつかなければ諦める

  しかございません。」


 「 わかった。

   それまでに入手が可能かどうかだけの目鼻はつけて連絡しよう。

   支配人のところで良いのかな?」


 「 はい、支配人へ連絡をしていただければ結構でございます。

   では、恐れ入りますが、サムエル様にもよろしくお願い申し上げます。

   本日の出し物でございますが、実は、本日のメイン料理に合わせた食前酒とワ

  インを用意してございます。

   但し、シェフからは食前酒とワインの銘柄等は言わないように厳命を受けてお

  ります。」


 「 ははぁ、マイケルシェフも企みましたね。

   銘柄を隠した食前酒やワインで何が出て来るかを当てろと言うのかな?」


 「 左様でございます。

   但し、食前酒やワインだけでは無理でしょうから、前菜をお出ししてからサム

  エル様の御考えをお聞きするとのことです。」


 「 なるほど、シンディ、君も協力してね。

   シェフの悪戯なんだけれど、時折、こうして楽しんでいるんだ。」


 「 あ、シンディ様、誤解のないよう予め申し上げておきます。

   楽しんでおられるのはサムエル様でございまして、シェフの方はいつも悩んで

  おられます。

   どうすればサムエル様をぎゃふんと言わせることができるかと日夜苦心惨憺し

  ておりまして、そのスケールも徐々に大きくなっています。

   もっともその刺激が嵩じて店全体の士気にもつながっているところです。」


 「 まぁ、面白いわねぇ。

   サムがそんなに人をやきもきさせているなんて知らなかったわ。」


 「 では、最初の一手、食前酒でございます。」


 デカンターに移した淡いピンクの液体をグラスに注いで、ソムリエは引きあげて行った。

 サムエルとシンディは、同じように臭いを嗅ぎ、一口味わった。


 とても香り高い甘いにおいであるが、少しピリッとする味わいがある。

 香辛料を入れた果実酒にその様なものがあると聞いたことがあるが、シンディは名前を知らなかった。

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